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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第5巻 忘却の祭壇と虚無の王

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第39章:不完全なる王と四魔将

 狂気の元教頭サイラスが命を散らして開いた次元の底から、息の詰まるような黒い闇の奔流が噴き出していた。

祭壇を飲み込もうとするその重圧に、カシムが両手で喉を押さえて膝をつく。普段ならどんな物理的な圧力もすり抜けるはずの彼の『影』すら、床に張り付いたまま動かない。

「息が……できねえ……!」

フィリーネが悲鳴のような声を上げ、純白の魔力の障壁を展開しようと杖を掲げた。だが、彼女の杖の先から生まれた光は、闇に触れた瞬間に黒く染まり、音もなく消え去った。

「嘘……私の魔法が、届く前に消えちゃうなんて……」

息苦しい暗闇の中、ゼノリスだけが黒い剣を杖代わりに踏みとどまっていた。彼の右手のひらに刻まれた『三つ目の星』の火傷跡が、皮膚を焼き切るような熱を放っている。体内に眠る魔王の脈動が、目の前の闇に激しく共鳴して暴れ出していた。


 やがて、大瀑布のように噴き出していた闇が、不意に空間の中央にある一点に向かって吸い込まれていく。嵐が嘘のように静まり、祭壇の奥には耳鳴りがするほどの静けさが訪れた。  その闇の名残から、五つの影が姿を現した。

先頭に立つのは、雪のように色素の薄い銀髪と、光を吸い込むような漆黒の双眸を持つ男。豪奢な黒い外套を纏い、人間離れした美しさを持っている。

だが、その輪郭は時折ノイズのようにブレており、足元は黒いもやとなって透けていた。強大すぎる力が現世の法則に弾かれ、無理やりこの場に留まっているような不安定さがある。

 男の後ろには、四人の異形の魔族たちが付き従っていた。

身長三メートルに迫る岩のような巨漢、ガルヴァス。彼が息を吐くたびに、周囲の重力が軋むような重い音が鳴る。

露出の多い紫黒のドレスを纏う美女、ヴィオラ。彼女の指先からは、生き物のように蠢く真紅の血の刃が滴り落ちていた。

全身をボロボロの黒ローブで覆い、宙に浮遊する痩身の男、ネビュロス。その周囲には、すべてを灰に還す禍々しい黒い炎が揺らめいている。

そして、古びた銀色の甲冑を纏い、顔を兜で隠した魔騎士、ザガン。


「……三百年。長すぎた」

銀髪の男は、透けかけている自分の右手を面白くなさそうに眺め、低く呟いた。


「お前は……何者だ……!」

ゼノリスが荒い息を吐きながら問う。男はゆっくりと視線を向けた。その漆黒の瞳と目が合った瞬間、ゼノリスの中の魔王の脈動がさらに激しく打ち鳴らされる。

「問うまでもあるまい。お前の血が知っているはずだ。我が兄の魂を宿す器よ」

「兄……?」

「私の名はルシオン。かつて帝国が生み出し、世界を焼き尽くそうとした魔王……その弟だ」


 その言葉の重さに、カシムもフィリーネも息を呑んだ。

だが、ルシオンの背後に立つザガンだけは、兜の下で真っ直ぐにゼノリスを見つめていた。無言のまま大剣の柄を握りしめているが、向けられた視線には殺気ではなく、微かな震えのような熱が宿っている。


 ルシオンは自らの身体を覆うノイズを苛立たしげに払った。

「扉が開いたというのに、力が半分しか戻っていない。このままでは、現世のことわりに肉体が耐えきれん」

不快そうに目を細めたルシオンだったが、ゼノリスの背後で震えるフィリーネを捉えた瞬間、その瞳に冷酷な歓喜の光が宿った。

「……ほう。このような辺境の地で『星の種』にお目にかかれるとは」

フィリーネが身を強張らせる。

「あの娘の血肉を喰らい、魔力を補えば、私の身体は満たされる。そうして初めて、私は八ヵ国連合もろとも、この不快な世界を白紙に戻すことができるのだ」

背後に控えていたヴィオラが、血の刃を舐めながら艶めかしい声で進み出た。

「あのような可愛らしいお嬢さんが、ルシオン様を満たす鍵なのですね。フフ……私の血の海で、美しく染め上げて差し上げますわ」

「俺が重力で手足を潰し、生きたまま献上してやろう」

ガルヴァスが地鳴りのような声で笑い、戦斧を地面に叩きつける。

ネビュロスは無言のまま、底知れぬ黒い炎を燃え上がらせた。

ザガンもまた、静かに大剣を抜いた。だが彼は仲間たちとは異なり、その剣先をゼノリスたちではなく、彼らの背後にあるわずかに崩れかけた壁の隙間――空間の綻びへと、誰にも気付かれないように傾けていた。


「お前たち……フィリーに指一本でも触れてみろ! 生かしては帰さない!」

ゼノリスは激痛に耐えながら、フィリーネを庇うように黒い剣を構え直した。

「威勢がいいな。だが、その力で私に勝てると思っているのか?」

ルシオンは退屈そうに目を細め、四魔将に命令を下した。

「あの者たちを蹂躙し、娘を生け捕りにしろ」

重力、鮮血、黒炎、そして空間を斬り裂く剣気。四つの強大な魔力が一斉に解放される。

「……カシム、フィリーネ! ここを抜けるぞ!」

死の気配が迫る中、ゼノリスは黒い剣を握りしめ、襲い来る魔族たちに向かって決死の覚悟で吠えた。


 空気がきしむ音がした。

巨漢の魔将ガルヴァスが、身の丈ほどもある戦斧を無造作に振り下ろす。刃が床に触れる前に、ゼノリスたちの周囲の重力が跳ね上がった。

「がはっ……!」

カシムが血を吐き、冷たい石床に這いつくばる。ゼノリスも両膝を折られそうになるが、黒い剣を杖にして必死に耐えた。骨が軋み、内臓が下へと強く引っ張られる激痛が走る。 「あら、潰してしまうのはもったいないわ」

魔女ヴィオラがなまめかしく笑い、紫黒のドレスを翻す。彼女の指先から放たれた数本の真紅の血の刃が、生き物のようにうねりながら、ゼノリスの後ろでうずくまるフィリーネへと迫った。


「やらせるか……!」

ゼノリスは重圧に抗いながら剣を振り抜き、血の刃を弾き落とす。だが、弾かれた刃から甘い香りが立ち上り、ゼノリスの視界がぐらりと揺れた。思考が麻痺しそうになるのを、右手の火傷の痛みが強引に引き戻す。


「……灰トナレ……」

宙に浮くネビュロスが、ボロボロのローブの下から両手を突き出した。音もなく燃え広がる黒い炎が、ゼノリスたちの背後を半円状に塞いでいく。炎に触れた石柱が、一瞬で白い灰となって崩れ落ちた。


 重力が動きを封じ、血の刃が隙を狙い、黒炎が退路を断つ。

ゼノリスは荒い息を吐きながら、包囲網の中で剣を構え直した。身体は限界に近い。フィリーネの治癒の光も、この黒い炎と重圧に阻まれて彼らには届かなかった。

 その時、これまで静観していた銀冑の魔騎士、ザガンが一歩前に出た。

「俺がやる」

ザガンの低い声が響く。彼が大剣を上段に構えた瞬間、空気が鋭く張り詰めた。

振り下ろされた刃は、ゼノリスの首を真っ直ぐに狙っていた。ゼノリスは残された力を振り絞り、防御のために黒い剣を掲げる。

だが、ザガンの剣閃はゼノリスと激突する直前、ほんのわずかに軌道を逸らした。

斬撃がゼノリスの耳元を通り抜け、背後へと走り去る。

直後、鼓膜を破るような轟音が響いた。ザガンの放った剣気は、ゼノリスたちの退路を塞いでいたネビュロスの黒炎を真っ二つに分断し、さらにその後ろにあった分厚い石壁を広範囲にわたって崩落させたのだ。

「……チッ。身体が鈍っているか」

ザガンは舌打ちをし、大剣を肩に担ぎ直した。兜の奥の鋭い瞳が、真っ直ぐにゼノリスを見据えている。

ゼノリスは背後に開いた大穴と、ザガンの瞳を交互に見た。

「カシム、フィリーネ! あの穴へ走れ!」

ゼノリスは躊躇うことなく叫んだ。

カシムが、重力の縛りが緩んだ一瞬を突き、自らの影を大穴へと伸ばす。

「捕まれ!」

カシムの影がゼノリスとフィリーネの足首に絡みつき、三人は崩れた石壁の向こう側へと一気に引きずり込まれた。


「逃げたわよ! 追う?」

ヴィオラが血の刃を構え直すが、ルシオンは退屈そうに手を振った。

「放っておけ。どうせあの程度では、私を満たすには足りない。それに、この身体を現世の理に適応させるのが先だ。……ネズミの命など、いつでもめる」

ルシオンの言葉に、ガルヴァスもネビュロスも武器を下ろす。ザガンもまた、無言のまま主君の後ろへと下がった。


 壁の向こう側に逃れたゼノリスたちは、暗い地下通路をがむしゃらに駆け抜けていた。

「……ハァ、ハァ……! なんだったんだ、あいつの攻撃は……!」

カシムが息を切らしながら振り返る。

「わざと外した……? いや、まさか……」

ゼノリスは、右手の火傷を押さえながら呟いた。敵の意図はわからない。だが、今は立ち止まっている余裕はなかった。

「お兄様、前方に強い風を感じます! 出口が近いです!」

フィリーネの声に前を向く。暗闇の先に、かすかな地上の光が見えていた。

ルシオンの目覚めにより、ギルダーの地下は至る所で崩落を始めている。頭上からは巨大な瓦礫が降り注ぎ、地鳴りが止まない。

「止まるな! 一気に地上へ抜けるぞ!」

ゼノリスは仲間たちと共に、光の差す方へと走り続けた。

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