表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第5巻 忘却の祭壇と虚無の王

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/45

第38章:狂気の指揮者

 三千年の静寂に包まれていた忘却の祭壇の最奥は、吐き気を催すほどの濃密な血の匂いと、耳を塞ぎたくなるような不快なノイズに満ちていた。

ゼノリス、フィリーネ、カシムの三人が、壁画の大広間を抜けて辿り着いた先は、巨大なすり鉢状の空間だった。その中心には、帝国の栄華とは無縁の、黒く歪な形をした石の台座が置かれていた。

その台座の足元で、身をよじって蠢いている人影があった。

「……ガズ!」

ゼノリスが声を上げる。泥と油にまみれた足跡の主――かつてゼノリスたちを連合に売り渡し、私腹を肥やしていた商人、ガズだった。 だが、かつて豪華な毛皮を纏い、金貨の重さで他人の命を値踏みしていた強欲な商人の面影は、もはやどこにもない。彼は自らの吐物にまみれ、衣服はズタズタに引き裂かれていた。

何より異様なのは、彼の身体に、目に見えない透明な「魔力の糸」が無数に突き刺さっていたことだ。


「ひ、ヒィィッ……!た、助けてくれ……私の、金貨が……!私の財産が、音が鳴って……!」

ガズは虚空を掴もうと必死に手を伸ばしていたが、その目は焦点が合わず、恐怖と狂気に完全に濁りきっていた。彼の命そのものである魔力が、糸を伝って宙へと吸い上げられているのだ。

「なんてことだ……。こいつから吸い上げられてるのは、ただの魔力じゃねえ。極限の『恐怖』や『苦痛』そのものだ」

カシムが短剣を構えたまま、顔をしかめて後ずさった。


ガズの身体から吸い上げられた魔力は、ただの純粋なエネルギーではない。極限の恐怖と絶望、そして命が削られる瞬間の「痛み」を伴った、黒く濁った不協和音そのものだった。 「助け……私は、選ばれた商人だ……!こんなところで……私の金がぁぁァァッ!」

それが、彼の最期の言葉だった。

ピィン、と一本の糸が弾けるような不快な音が響いた瞬間、ガズの身体は限界を迎え、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。金と権力に執着し、他人の命を数字として扱い続けた男は、見えざる指揮者が奏でる『楽器』として無惨に使い捨てられ、一握りの灰と化して消え去った。

「……酷い。人の痛みや苦しみを、こんな風に使い捨てるなんて……」

フィリーネが杖を強く握りしめ、青い瞳に激しい怒りを滲ませた。


「その通り。実に醜く、そして滑稽な音色でした。金という虚像にすがり付く俗物の最期としては、少しばかり品が足りませんでしたがね」

暗闇の奥底から、優雅で、そして底知れぬ狂気を孕んだ声が響いた。

三人が同時に声のした方角――すり鉢状の空間の空中を見上げる。

そこには、まるで不可視の階段に立っているかのように、虚空にふわりと浮かぶ一人の男の姿があった。

漆黒の夜会服を纏い、顔の半分を覆う銀縁の片眼鏡モノクルの奥で、感情の欠落した瞳を細めている男。


「……サイラス・ヴォーン」

ゼノリスが、搾り出すような憎悪を込めてその名を呼んだ。

かつて学園の教頭を務め、ゼノリスたちを極北の『忘却の監獄』へと突き落とし、残酷な血脈の真実を突きつけた男。行方不明になっていた彼が、なぜギルダーの地下深くにいるのか。

「ごきげんよう、ゼノリス君。そして美しきフィリーネ君と、影に潜むカシム君。……ああ、皆さんの心音が奏でる『怒り』と『警戒』のアンサンブル。遠く学園の地下や、東方の空から響いてくる別動組の調べと共に、実に素晴らしいハーモニーを形成していますよ」

サイラスは、まるで最高のオーケストラを前にした指揮者のように、恍惚とした表情で両手を広げた。

彼の手には、細く黒いタクトが握られている。サイラスがそのタクトを優雅に振るうと、彼の周囲の虚空に、真っ黒な魔力で描かれた「巨大な五線譜」が浮かび上がった。

先ほどガズから抽出された黒い魔力や、大魔導炉で搾取された無数の市民たちの悲鳴が、おぞましい音符となってその五線譜に次々と刻み込まれていく。


「お前が……お前がギルダーの連中を裏で操り、人々の命を吸い上げさせていたのか!」

カシムが怒号を上げ、足元の影を刃に変えてサイラスへと放った。

だが、黒い影の刃はサイラスに届く寸前、五線譜から発せられた不快なノイズの壁に弾かれ、霧散してしまった。


「操る?人聞きの悪いことを言わないでいただきたい。私はただ、マルクスやガズといった俗物たちに、彼らが望む『効率的な搾取のシステム』のヒントを与えただけですよ。……彼らが勝手に巨大な魔導炉を造り、愚かな人間たちを繋ぎ止めて、極上の『絶望の音色』をかき集めてくれた。私はそのおこぼれを、こうして少しばかり頂戴しているに過ぎません」

サイラスはタクトを振り続けながら、薄く笑った。


「お前の目的は何だ……!こんな狂った真似をして、一体何を企んでいる!」

ゼノリスが黒い剣を正眼に構え、黄金と闇の双眸で狂気の音楽家を睨み据える。

「目的? それは実にシンプルですよ、ゼノリス君。私はただ、この世界が奏でる偽りの調和を破壊し、あの方が望む『真の終焉』……完全なる虚無の沈黙を導くための、究極のプレリュードを完成させたいだけなのです」

サイラスの瞳に、狂信的な光が宿る。

「三千年前、大アドラスティア帝国が封じ込めたこの『忘却の祭壇』。ここは、ただの遺跡ではありません。次元の底に眠る『虚無の王』を呼び覚ますための、巨大な共鳴箱なのです。……私はこのギルダーという街全体を楽器にし、人々の絶望を音符にして、その封印を解くための『究極の不協和音』を編み上げてきた」

虚空の五線譜が、ドクン、ドクンと心臓のように脈打ち、空間全体が耐え難いほどの重圧に包まれ始めた。


「だが、まだ足りない。ただの俗物どもの悲鳴では、深淵の扉を開くには至らない。……だからこそ、君たちを待っていたのですよ、ゼノリス君!」

 サイラスはタクトの先を、真っ直ぐにゼノリスへと向けた。

「魔王と勇者の力を宿す器。その相反する力が絶望に染まり、仲間を失う恐怖で完全に狂い咲いた時……君の魂が奏でる悲鳴こそが、私の楽譜を完成させる最後の『鍵』となるのだから!」

サイラスの言葉と共に、五線譜から無数の黒い音符が実体化し、鋭い刃となって三人に襲いかかった。

「させません!お兄様には、指一本触れさせない!」

フィリーネが白銀の杖を掲げ、純白の魔力の障壁を展開する。

「来るぜ、リーダー!こいつの狂った演奏、俺たちでぶち壊してやろう!」

カシムが影の中から無数の短剣を投擲とうてきし、ゼノリスもまた、黒い剣に白銀の魔力を纏わせて地を蹴った。

三千年の記憶が眠る祭壇の最奥で、狂気の指揮者サイラスとの、世界の命運を懸けた最終楽章が今、幕を開けた。



 三千年の静寂がよどむ祭壇の最奥で、カシムが放った無数の影の刃と、ゼノリスの漆黒の剣撃が、虚空に浮かぶサイラスへと迫る。しかし、サイラスが手にした細いタクトを優雅に一振りすると、彼の周囲に展開された真っ黒な魔法陣が、ガラスを引っ掻くような不快なノイズを放ち、二人の物理的な攻撃をあっさりと弾き返した。


「無駄ですよ。物理的な力や、単純な魔力の放出など、私が編み上げるこの『絶望の儀式』の前には何の意味も持ちません」

サイラスは同情すら誘うような冷酷な笑みを浮かべ、タクトの先を真っ直ぐにゼノリスへ向けた。その瞬間、魔法陣から放たれた黒いもやが、うねりを上げてゼノリスへと殺到する。

「そのおぞましい力、お兄様には届かせない!」

フィリーネが前へ飛び出し、純白の魔力の障壁を展開する。

しかし、サイラスの放った黒い靄は、物理的な質量を持った魔法ではなかった。それは空間そのものの波長を狂わせる『呪いの波動』であり、フィリーネの障壁をすり抜けるようにして、ゼノリスの身体をすっぽりと包み込んだ。


「ぐ、あぁぁッ……!」

ゼノリスは頭を抱え、冷たい石床に激しく膝をついた。それは肉体を切り裂く痛みではない。彼の脳髄に直接、泥のように濁った無数の『呪いの声』が響き渡るのだ。

大魔導炉で生きたまま魔力を搾り取られたガズや市民たちの悲鳴。そして何より、三千年前の大アドラスティア帝国において、死者の悲鳴を美しい魔力へと変換する「ろ過装置」として使い捨てにされた、ゼノリスの先祖たちの底知れぬ怨嗟。それらが鋭いとげとなって、彼の精神を内側から直接削り取っていく。

「あ、ああ……やめろ……頭に、入ってくるな……!」

ゼノリスは喉を掻き毟り、苦悶に顔を歪めた。右手のひらに刻まれた『三つ目の星』の火傷跡が、呪いの声に呼応するようにドクンドクンと激しく、そして異常な熱を帯びて脈打つ。彼の中に眠る「魔王」の破壊衝動が、注ぎ込まれる絶望を貪り喰らい、この狂った世界すべてを無に還したいという暗い怒りとなって暴れ出そうとしていた。


(壊してやる……こんな惨めな世界、全部……!)

ゼノリスの視界がどす黒く染まり、黄金と闇の双眸が、魔王の狂気に呑み込まれそうになる。彼の全身から、周囲の空気を凍らせるほどの禍々(まがまが)しい黒いオーラが立ち上り始めた。

「素晴らしい!その調子です、ゼノリス君!君の血に刻まれた呪いが、今ここに極上の悲鳴を奏でようとしている!」


「黙りなさいッ!」

フィリーネが杖を放り出し、黒いオーラを放つゼノリスの背中に強くしがみついた。強烈な負の魔力が彼女の白い肌をジリジリと焼くが、彼女は全く意に介さない。

「目を覚ましてください! サイラスの呪いに呑まれてはだめです!私たちを、あの温かい光で守ってくれたことを思い出して!」

フィリーネの純白で清らかな魔力が、ゼノリスの体を優しく包み込む。

「しっかりしろ、ゼノリス!」

カシムも駆け寄り、ゼノリスの肩を両手で強く掴んだ。

「お前は過去の亡霊の操り人形じゃねえ『星屑の軍団ステラ・レギオン』のリーダーだろ! 俺たちがお前を一人で闇に沈めさせるかよ!」

過酷なスラム街を生き抜いてきたカシムの力強い腕と、フィリーネから伝わる清らかな体温。その二つの絆が、ゼノリスの心の中で暴れ狂っていた破壊衝動に、確かなくさびを打ち込んだ。


(そうだ……。僕の力は、世界を壊すためのものじゃない。過去の呪いを引き受けるためのものでもない。……大切な仲間をまもるためのものだ!)

ゼノリスは深く息を吸い込んだ。

限界まで暴走しかけていた地響きのような魔王の力と、それを抑え込もうとする澄んだ勇者の力。

ゼノリスは相反する二つの魔力波長を同調させ、破壊のリズムを鎮める彼自身の力――『銀色の残響エコー』を極限まで引き上げることで、激しく衝突する二つの力を強引に調律し、一つの白銀の光へと束ね上げた。

黒いもやを吹き飛ばすように、彼の全身から純度の高い白銀の魔力が溢れ出し、祭壇の闇を真っ白に照らし出した。


「……残念だったな、サイラス。僕の魂は、お前の期待するような絶望には染まらない!」

ゼノリスは立ち上がり、黒い剣に白銀の閃刃を限界まで纏わせた。

「馬鹿な……。これほどの三千年分の呪いを浴びて、なぜ自我を保っていられる……!」

サイラスの表情に、初めて明確な焦りの色が浮かんだ。

「行くぞ、二人とも!」

「おうよ!この狂った儀式、俺たちでぶち壊してやる!『影葬かげそう』・乱れ咲き!」

カシムが自身の影をサイラスの足元まで伸ばし、そこから無数の黒い刃を一斉に突き出させる。

サイラスが慌ててタクトを振り、防御の魔法陣を足元へ向けたその瞬間。

「お兄様の道を、私が拓きます!」

フィリーネが純白の魔力を解放し、サイラスの死角を覆っていた不快なノイズの壁を中和して、真っ直ぐな一本の道を切り開いた。

「これが、僕たちの意志だ!」

ゼノリスが床を力強く蹴り、一直線にサイラスへと肉薄する。

サイラスは顔を引きつらせ、幾重にも重なる黒い防壁を前面に構築した。だが、ゼノリスが放った白銀の閃刃せんじんは、相反する力を調和させ、あらゆる不協和音を打ち消す一撃だった。

鋭い閃光が暗闇を切り裂く。

「――ッ!」

白銀の刃は、サイラスの黒い防壁を容易く両断し、そのまま彼の胸元を深く、斜めに切り裂いた。

鮮血が舞い、サイラスの身体が虚空から力なく崩れ落ちる。彼が握っていたタクトは真っ二つに折れ、冷たい石床に甲高い音を立てて転がった。

「……やったぜ、リーダー!」

カシムが歓声を上げ、フィリーネが安堵の息を吐きながらその場にへたり込む。


致命傷を負い、自らの血の海に倒れ伏したサイラス。普通ならば死を待つだけの状態だ。だが、彼は痛みで顔を歪めるどころか、その口元を不気味な三日月型に歪め、くつくつと喉の奥で笑い始めた。

「フフ……アハハハハッ!素晴らしい……!本当に素晴らしいですよ、ゼノリス君!」

サイラスは血を吐きながら、狂喜に満ちた声で叫んだ。

「何がおかしい……!」

ゼノリスが剣を構え直すが、サイラスは震える血まみれの指先で、祭壇の中央に鎮座する黒い石の台座を指し示した。

「君は気づいていないようですね。私が欲していたのは、単なる『絶望の悲鳴』ではない。魔王の衝動に抗い、仲間への想いで極限まで高められた感情……君の魂が限界を突破して放った、その『強力で純度の高すぎる白銀の魔力』こそが、私の求めていた最後の『鍵』だったのですよ!」

サイラスの言葉に、ゼノリスはハッとして祭壇を振り返った。

サイラスが倒れた床に広がった血と、空間に満ちていたゼノリスたちの激しい魔力の残滓、そして何よりゼノリスが放った強大な白銀の光が、祭壇の中心にある黒い石へと恐ろしい速度で吸い込まれていく。

「絶望を乗り越え、極限まで高められた希望の光……それすらも呑み込むほどの圧倒的な虚無!ついに……ついに究極の歪みが完成した!次元の底の扉が開くぞ!」

サイラスの狂信的な絶叫と共に、祭壇の中央の「虚無の封印」が不気味な脈動を始めた。空間がガラスのようにひび割れ、次元の境目が砕け散る不快な音が響き渡る。

そして、世界そのものを押し潰すような、底知れぬ黒い闇が、ひび割れた空間から大瀑布となって噴き出し始めたのだ。

その圧倒的な闇の奔流を前に、致命傷を負っていたサイラスは逃げるどころか、恍惚とした表情で自ら両手を広げた。

「ああ……。あの方の、美しい闇が……」

サイラスが最後に残した狂喜の呟きは、押し寄せる虚無の闇に呑み込まれ、その身体ごと音もなく消滅した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ