第36章:星屑の五重奏(クインテット)
大魔導炉の底を揺るがした激突の轟音は、無機質な機械都市の深淵に、反逆の産声となって響き渡った。数百体という圧倒的な物量で雪崩を打って迫り来る機械化兵団。その最前列に陣取っていた数十体の装甲が、フィリーネの放った『氷結の絶界』によって大地へと縫い留められた。絶対零度の冷気は黒鋼の装甲を瞬時に白く染め上げ、関節部の駆動ギアを容赦なく凍結させる。ピキピキと音を立てて凍りつく機械の群れは、後続から押し寄せる仲間たちの波に押され、巨大な氷の防壁となって敵自身の進軍を阻む障害物へと変わっていた。
「オラァァァッ!!」
その氷の防壁の僅かな隙間を縫うようにして、テオが獣の咆哮を上げながら突撃した。
彼の両腕は限界まで膨張し、鋼鉄のような硬度を帯びて漆黒の重盾を構えている。テオの狙いは、氷の足止めを逃れて側面から回り込もうとしていた、右腕に回転式の重槍を装備した特化型の機体群だった。
ガガァァァァンッ!!
回転する重槍とテオの黒盾が真正面から激突し、凄まじい火花が大魔導炉の薄暗い空間を照らし出した。並の騎士の鎧ならば一瞬で紙くずのように貫かれるであろうその一撃を、テオは歯を食いしばり、足元の鉄板を削りながらも受け止める。
「……こんな鉄クズの重さなんて、あの監獄で味わった絶望に比べりゃ、羽毛みたいに軽いぜ!」
テオは重槍の回転の勢いを逆利用し、盾を斜めに滑らせて敵の体勢を崩した。そのまま踏み込み、巨木のような太い脚で機械兵の膝関節を蹴り砕く。バランスを失い倒れ込んだ機体の上を、別の機体が容赦なく踏み越えて突進してくるが、テオは一歩も引くことなく盾を構え直し、その広い背中で仲間を庇いながら、ゼノリスたちへ向かうすべての物理的脅威を黒盾で堰き止めていた。
「テオ、そのまま前線を維持して!敵の第二波が左翼から回り込んでくるわ!」
後方から、ナディアの凛とした声が戦場を切り裂く。彼女の手の中にある黄金の羅針盤は、機械化兵団の背中に繋がれたパイプから供給される青白い魔力の流れを、一本の濁った川として正確に読み取っていた。
「左翼の三機、魔力砲の充填を開始している!発射まであと十秒!カシム、射線を潰せる!?」
「十秒?余裕だ。……俺の影は、光が強いほど濃くなるんだからな」
ルカスが持ち込んだ魔導灯の光と、敵の魔力砲が放つ青白い輝き。それらが強まれば強まるほど、カシムの足元から伸びる漆黒の影は、底なしの沼のようにその粘度と密度を増していく。
「――影縫い、乱れ咲き」
カシムが低く囁くと同時に、左翼から魔力砲の照準を合わせていた三機の機械兵の足元の影が、突如として実体を持った刃となって逆立った。黒い刃は装甲の隙間――首の駆動部や魔力砲の砲身の接続部といった最も脆弱なポイントを正確に貫き、内部の魔導回路を破壊する。
「ギ、ギギ……」
青白い致死の光を収束させていた魔力砲が不発のまま暴発し、自らの腕を消し飛ばして三機が同時に機能停止した。
「よし! ナディア、次はどこだ!」
カシムが影に溶け込みながら次の獲物を探す。
「カシムはそのまま左翼の残敵を撹乱して!ゼノリス、右翼の奥!敵の陣形の一番後ろで、他の機体に魔力を分配している『司令機』がいるわ! あいつの背中の太いパイプを断ち切れば、右翼全体の動きが劇的に鈍るはずよ!」
「了解だ!ナディア、テオ、僕の背後を頼む!」
ゼノリスは、ナディアが羅針盤で指し示した「陣形の急所」へ向けて、一気に地を蹴った。
彼の右手のひらに刻まれた『三つ目の星』の刻印が、大魔導炉の不快な魔力に呼応し、白銀の熱を帯びて激しく脈打っている。彼が纏う魔力は、かつてのように暴走の危険を孕んだものではない。魔王の破壊衝動と勇者の守護の意志を、彼自身の魂で『調律』した、極めて純度の高い白銀の閃刃だった。
「目標、確認した……!」
ゼノリスの黄金と闇のオッドアイが、何重もの装甲兵の奥に隠れるように立ち、背中からひときわ太いチューブを伸ばしている司令機を捉えた。
「――排除。プロトコル・デルタ、実行」
ゼノリスの接近を察知した司令機が、周囲の護衛機に無機質な命令を下す。十体近い機械兵が一斉にゼノリスへ向き直り、両腕の重槍と魔力砲を同時展開した。
「……邪魔だ!」
ゼノリスはその突進の勢いを殺すことなく、黒い剣を正眼に構えた。
彼の脳裏にあるのは、この巨大な大魔導炉で使い潰され、絶望の中で命を落としていった名もなき人々の悲鳴だ。彼らの命を燃料として動き、効率と数字のためだけに殺戮を行うこの鉄屑どもに、一秒たりとも時間をくれてやるつもりはなかった。
「――銀色の残響、共鳴刃!」
ゼノリスが剣を薙ぎ払うと、白銀の魔力が半月状の斬撃となって空間を切り裂いた。
その一撃は、ただ純粋な破壊力を持っているだけではない。機械化兵団を動かしている「強制抽出された魔力」の不協和音に直接干渉し、その波長を強引に調律して崩壊させる性質を持っていた。
白銀の刃が触れた瞬間、護衛機たちの黒鋼の装甲は紙細工のように両断され、内部の魔導回路が激しい火花を散らしてショートした。十体近い機械兵が、反撃の糸口すら掴めぬまま、一瞬にして鉄のスクラップへと変わり果てていく。
「残るはお前だけだ!」
ゼノリスは護衛機たちの残骸を飛び越え、司令機へと肉薄した。
司令機が慌てて腕の魔力砲を振り上げようとするが、ゼノリスの動きの方が遥かに速かった。彼は無駄の一切ない踏み込みから、司令機の背後に回り込み、人々の命を吸い上げているその太いパイプへと、渾身の力で黒い剣を振り下ろした。
ズバァァァァンッ!!
青白い魔力が血のように噴き出し、司令機の機能が完全に停止した。
それと同時に、右翼で陣形を組んでいた数十体の機械兵たちの動きが一斉に鈍り、センサーの赤い光が明滅を繰り返して混乱状態に陥る。
「……信じられない。あの圧倒的な物量による完璧な包囲網が、たった五人の連携によって、局地的にとはいえ崩され始めているだと……?」
頭上の防音ガラスの向こう、安全な階段の上から高みの見物を決め込んでいたマルクスの表情に、初めて焦りの色が浮かんだ。
彼の計算式において、ゼノリスたち五人がこの数百体の機械化兵団を相手に生存できる確率はゼロだった。彼らの体力と魔力が先に尽き、無残に蹂躙されるだけの簡単な掃除のはずだったのだ。
だが、現実はどうだ。
テオの盾が防衛線を支え、ナディアの羅針盤が敵の急所を的確に暴き出す。その情報をもとに、カシムが影から死角を突き、ゼノリスが敵の陣形を切り裂いていく。そして、後方からはフィリーネの氷結魔法が、敵の増援を容赦なく大地に縫い留め続けている。
彼ら「鉛の騎士団」が、学園の地下で、忘却の監獄で、そして数々の死線で培ってきた『絆の旋律』が、マルクスの冷徹な数字と効率の論理を、真っ向から打ち砕こうとしていた。
「……たかが不良債権の寄せ集めが。調子に乗るなよ……!」
マルクスは、銀縁の片眼鏡の奥で瞳を血走らせ、自らの懐からある『切り札』を取り出そうと、震える指を伸ばした。
彼の手の中に現れたのは、鈍い光を放つ「黄金の歯車の破片」だった。それは、三千年前の大帝国が遺した、計り知れない狂気と闇の力を秘めた禁忌の遺物である。
「これを私自身が使うことになるとは。だが、お前たちをここで始末しなければ、私の計画は終わらない」
マルクスは忌々しげに呟くと、その歯車を自らの胸の中央へ強く押し当てた。
青白い光が漏れ出し、歯車が衣服と皮膚を破って肉体の奥へ沈み込んでいく。
「あ、ああ、アァァァッ!」
マルクスの口から、機械の駆動音と人間の絶叫が混ざったような声が響き渡った。
彼の身体が異常に膨張し、皮膚を突き破って黒い鋼の管や歯車が次々と姿を現す。骨が組み替わる嫌な音が響き、人間の形を失った醜悪な金属と肉の混ざり合った怪物へと変貌していく。
銀縁の片眼鏡は割れて地面に落ち、代わりに額のあたりから赤いセンサーの光が灯った。
ゼノリスたちは、その異様な光景に息を呑んで動きを止めた。
「マルクス……お前、自分の体まで機械にしたのか」
「機械ではない。……これは進化だ」
怪物となったマルクスの声は、複数の金属がこすれ合うような響きに変わっていた。
マルクスは大きく腕を振り払った。その一撃で、近くにいた機械兵数体が粉々に砕け散る。彼はその残骸から漏れ出た魔力を、背中から伸びる管で吸い上げた。
「数字だ。計算だ。お前たちの命の価値など、この歯車一つにも満たない」
マルクスが階段を蹴り、ゼノリスたちに向かって降ってくる。巨体が石畳に叩きつけられ、大魔導炉の底が激しく揺れた。
土煙が舞う中、異形の怪物は着地の勢いそのままにゼノリスたちへと突進してくる。
「退いて!」
テオが前に出て、黒盾を構えてマルクスの突進を受け止めた。
金属同士がぶつかり合う重い音が響き、テオの足が地面にめり込む。盾の表面がひしげ、テオの顔が苦痛に歪んだ。
「重い……さっきの機械兵とは比べ物にならない!」
カシムが影から飛び出し、マルクスの背中の関節を狙って短剣を投げる。だが、刃は硬い金属の皮膚に弾かれ、乾いた音を立てて床に落ちた。
「効かないわね……なら、これならどう!」
フィリーネが杖を振り、鋭い氷の槍を何本も放つ。しかし、マルクスの体から噴き出す高熱の蒸気に触れた瞬間、氷はすべて溶けて消えてしまった。
「無駄だ。私に弱点などない」
マルクスは腕から蒸気を噴き出し、さらなる連撃をテオの盾に叩き込む。テオが少しずつ後退していく。ナディアの羅針盤が激しく針を揺らして危険を知らせるが、逃げ道は塞がれていた。
「テオ、無理をするな!」
ゼノリスが前に出て、黒い剣でマルクスの腕を弾き返す。
剣と金属の腕がぶつかり合い、青白い火花が散る。ゼノリスの右手にある『三つ目の星』の刻印が熱を帯びた。
マルクスから放たれる魔力は、頭上の抽出装置から無理やり吸い上げた人々の命の力だ。ゼノリスの耳には、その魔力の流れがひどく歪んだ嫌な音として聞こえていた。
「お前の計算には、他人の痛みが入っていない。だから、そんな歪んだ姿になるんだ!」
ゼノリスは剣に力を込め、マルクスを押し返す。
「痛みなど無用だ!私に必要なのは結果だけだ!」
マルクスは背中から伸びる太い管を鞭のように操り、ゼノリスを打ち据えようとする。
ゼノリスは身を低くしてそれをかわし、マルクスの脚の関節を狙って剣を振り下ろした。
だが、浅い。硬い装甲に阻まれ、刃は数ミリしか食い込まなかった。
戦闘が激しさを増す中、大魔導炉の周囲にある機械の動きが早くなっていった。
マルクスの怪物化に伴い、彼が消費する魔力が増えたため、頭上の抽出装置の稼働が加速しているのだ。パイプを通じて、さらに多くの人々の命が吸い上げられていく。
「ゼノリス、このままじゃ上にいる人たちが危ないわ!」
ナディアが叫ぶ。抽出室の人々が限界を迎えるまで、時間は残されていない。
「僕が奴の動きを止める。みんなはその隙に、壁を這っている魔力パイプを破壊してくれ!」
ゼノリスは仲間たちに指示を出し、マルクスに向かって一気に踏み込んだ。
「生意気な口を利くのもそこまでだ、ゼノリス!」
マルクスが両腕を大きく振りかぶり、ゼノリスを上から叩き潰そうとする。
ゼノリスは逃げずに、剣を真っ直ぐに構えた。
彼の中に眠る「調律」の力を剣の刃に集中させる。硬い装甲を力で斬るのではなく、マルクスを動かしている魔力の波長そのものを崩すのだ。
「星帝の旋律に、還れ!」
ゼノリスの剣が、マルクスの腕に触れた。
激しい音とともに、剣の先から銀色の魔力がマルクスの体内へと流れ込む。
マルクスの動きが止まった。彼を覆う金属の装甲に、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
「な、なんだこれは……私の計算が、狂っていく……!」
マルクスが苦しげな声を上げ、後ずさりする。
「今だ、みんな!」
ゼノリスの合図で、仲間たちが動いた。
テオが盾を背負い、壁のパイプに向かって突進する。
「壊れろ!」
テオの拳が太い真鍮のパイプを打ち砕き、青白い魔力が吹き出した。
カシムが影の刃でパイプの接続部を切り裂き、フィリーネが氷の魔法でパイプを内側から凍らせて破裂させる。ナディアも羅針盤で魔力の流れが強い場所を見つけ出し、短剣で的確に破壊していく。
次々とパイプが壊れ、大魔導炉への魔力供給が途絶えていく。
頭上の抽出室から聞こえていた不気味な稼働音が、少しずつ静かになっていった。
「やめろ……私のシステムを、壊すな!」
マルクスが叫び、ゼノリスに向かって再び腕を振り下ろす。
だが、魔力の供給を断たれた彼の動きは、先ほどよりも目に見えて遅くなっていた。
「人の命を燃やして出した答えに、何の価値がある。……お前の計算は、ここで終わらせる」
ゼノリスはマルクスの攻撃を軽くかわし、懐に潜り込んだ。
右手の刻印から溢れる銀色の光を剣に纏わせ、マルクスの胸の中央――黄金の歯車が埋め込まれた場所を狙う。
「これで、終わりだ!」
ゼノリスが渾身の力を込めて剣を突き出す。
銀色の刃がマルクスの装甲を貫き、胸の奥にある歯車を正確に砕いた。
甲高い金属音が響き渡り、歯車が粉々になって飛び散る。
「あ、ああ……」
マルクスは虚空を掴むように手を伸ばし、そのまま崩れ落ちた。
彼の体を覆っていた金属の部品が次々と剥がれ落ち、元の人間だった姿に戻っていく。彼は意識を失い、石畳の上に静かに倒れ伏した。
大魔導炉の底に、静寂が戻った。
周囲を埋め尽くしていた機械兵たちも、魔力の供給が途絶え、指揮官を失ったことで、機能を停止して動かなくなっている。
「終わった……」
ゼノリスは剣を鞘に収め、荒い息を吐いた。
仲間たちが彼のもとに集まってくる。
「やったわね、ゼノリス。これで上にいる人たちも助かるわ」
ナディアが羅針盤をしまいながら、ほっとしたように笑った。
「うん。でも、まだやることがある」
ゼノリスは頭上の抽出室を見上げた。
「急いで上に行って、繋がれている人たちを解放しよう。彼らを安全な場所へ運ばないと」 「そうだな。急ごう」
テオが頷き、カシムとフィリーネもそれに続く。
彼らはマルクスをその場に残し、螺旋階段を駆け上がっていった。
抽出室の扉を開けると、そこには無数の人々が鎖とパイプに繋がれていた。
パイプが破壊されたことで魔力の抽出は止まっていたが、人々は疲れ切って意識を失っている。
フィリーネがすぐさま治癒の魔法をかけ、人々の体力を回復させていく。
カシムとテオが手分けして鎖を外し、彼らを解放していった。
「大丈夫ですか? もう抽出は止まりました。安全な場所へ案内します」
ゼノリスが一人の中年男性に声をかけると、男はうっすらと目を開け、涙を流した。
「あ、ありがとう……助かった……」
解放された人々を支えながら、ゼノリスたちは大魔導炉の施設から外へと向かう。
これで、ギルダー商業公国の恐ろしいシステムの一つを壊すことができた。
だが、カシムが言っていた「忘却の祭壇」や、地下深くに眠るさらなる闇の正体は、まだ分からないままだ。
人々の救出作業を進めながら、ゼノリスはふと足元に違和感を覚えた。
破壊されたはずの大魔導炉の底から、微かな振動が伝わってくるのだ。
「……これは?」
ゼノリスが立ち止まると、ナディアも羅針盤を見て顔をしかめた。
「ゼノリス、羅針盤の針がおかしいわ。大魔導炉のさらに下の方を指して、激しく揺れているの」
「どういうことだ? 抽出装置は壊したはずだぞ」
カシムが階段の下を覗き込む。
破壊されたパイプから漏れ出た魔力が、霧散することなく、床の隙間からさらに深い地下へと吸い込まれていくのが見えた。
「魔力が、下に向かって流れている……。カシムが言っていた『忘却の祭壇』が、魔力を吸い込んでいるのか?」
ゼノリスの言葉に、仲間たちの顔が引き締まる。
「マルクスのシステムは、ただの入り口に過ぎなかったのかもしれない。本当の闇は、あの下にある」
ゼノリスは、救出した人々をテオとナディアに任せ、フィリーネ、カシムと共に再び大魔導炉の底へと視線を向けた。
「……僕たちは先に行くぞ。この闇を、ここで終わらせる」
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