第34章:裏路地の影と16歳の誕生日
廃棄された旧市街区の地下深く。カシムが見つけ出した隠れ家は、地上の喧騒と冷酷な監視網から完全に切り離された、嘘のように静かな空間だった。
部屋の隅に置かれた小さな魔導コンロから、コトコトと湯を沸かす素朴な音が響いている。カシムが手際よく淹れてくれたお茶の香りが、埃っぽかった石造りの部屋を優しく満たしていった。
「……ふぅ。温かいね。生き返る気分だよ」
テオが、少し欠けた陶器のマグカップを両手で包み込み、ほっとしたように動物の耳を垂らした。彼の逞しい腕には、先ほどの傭兵部隊の鋼鉄杭を黒盾で受け止めた際の、微かな赤みと疲労が残っている。フィリーネが隣に座り、彼の手首にそっと淡い治癒の光を当てて、その痛みを静かに和らげていた。
「テオ、無理はいけませんよ。貴方の盾が私たちを守ってくれているのは事実ですが、痛みを隠す癖は直してくださいね」
「ごめんよ、フィリーネ。でも、本当に平気だから」
テオは照れくさそうに笑い、お茶を一口飲んだ。その穏やかなやり取りを見つめながら、ゼノリスもまた、自分のカップから立ち上る湯気に目を細めていた。
地上で目撃したスラム街の凄惨な光景。強制魔力抽出装置に繋がれ、命を燃料として使い潰されていく人々の亡骸。その冷酷なシステムに対する静かな怒りが、今もゼノリスの胸の奥で黒い炭火のように燻っている。だが、こうして仲間たちとテーブルを囲み、温かいお茶を分け合っていると、その怒りが暴走することなく、次へ向かうための確かな決意へと変わっていくのを感じた。
「それにしても、カシム。本当に感心するわ」
ナディアが室内をぐるりと見渡し、黄金の羅針盤を磨きながら感嘆の声を漏らした。
「こんな地下の奥深くに、これだけの生活物資と通信機材を揃えるなんて。ギルダーの監視網を掻き潜りながら、よくここまで立派な拠点を作れたわね」
「俺は砂漠の生まれだからな。水と安全な寝床を確保するのは、息をするのと同じくらい染み付いてるんだ。それに……」
カシムは壁際に立てかけた自分の短剣を布で拭いながら、少しだけ目を伏せた。
「エテルナで見た悲劇を、この国で終わらせるためには、絶対に拠点が必要になる。そう思って、ここ数日は地上の警戒網を避け、ずっと影に潜みながら地下を調べていたのさ」
カシムの言葉に、部屋の空気が少しだけ引き締まる。ゼノリスはマグカップをテーブルに置き、ずっと気になっていたことを切り出した。
「カシム。つい最近まで、お前はリィンと一緒にこのギルダーの裏ルートを探っていたんじゃないのか? 通信では合流したと聞いていたが……彼女は今、どこにいるんだ」
ゼノリスの問いに、カシムは短剣を鞘に収め、小さく息を吐いた。
「ああ。少し前までは一緒に密輸ルートを洗っていたんだが……リィンなら、『シルフィード東方霊樹国』へ一時帰国したぜ」
「自国へ? どうしてまた、このタイミングで」
テオが不思議そうに首を傾げる。リィンは東方の剣士であり、かつては一族にかけられた「裏切り者」という汚名に苦しんでいた。しかし、禁断の遺跡のさらに奥底で真実を知り、一族の誇りを取り戻したことで、彼女の心にあった迷いは完全に消え去っていたはずだ。
「逃げ帰ったわけじゃないぜ。むしろ、戦うための準備さ」
カシムは立ち上がり、壁に貼られた大陸の地図を指差した。
「俺たちが追っていた八ヵ国連合の怪しい資金源。その流れを二人で追っていくうちに、豪商連合議会が他国に対して裏で莫大な魔導兵器を流している決定的な証拠を、リィンが見つけたんだ。彼女はそれを自分の目で確かめた後、『この情報を一族の長に直接届け、シルフィードが八ヵ国連合にどう対抗すべきか、国の意志を固め直してくる』と言って、東へ向かった」
「……なるほど。彼女らしい決断ですね」
フィリーネが静かに頷いた。リィンは無口だが、内に秘めた責任感は誰よりも強い。自分たちがこのギルダーで戦いを起こせば、間違いなく大陸全土を巻き込む大きなうねりになる。その時、彼女の祖国がどう動くべきか、王族の血を引く者として筋を通しに行ったのだ。
「リィンだけじゃない。聖教国に潜り込んだセレスティアとイリスからも、暗号化された手紙が届いている。あいつらも教会の腐敗を内側から突き崩すために、危険な橋を渡っているらしい。ルカスとガイルのあの二人も、学園の地下から俺たちの通信を死に物狂いでサポートしてくれている」
カシムが仲間たちの近況を語る声には、隠しきれない誇らしさが滲んでいた。
「俺たちはバラバラに動いているように見えて、ちゃんと一つの網目を編んでいる。ゼノリスがここで大元を叩き潰すための、最高の舞台を作るためにな」
ゼノリスは、カシムの真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
離れ離れになっていても、彼らは「鉛の騎士団」として確実に繋がっている。それぞれが自分の戦場で泥にまみれながら、この腐った世界のシステムに風穴を開けようとしているのだ。
「ありがとう、カシム。……みんなが戦っているなら、僕たちがここで立ち止まるわけにはいかないな」
「その通りよ。でも、戦う前にはちゃんと英気を養わないとね」
ナディアがポンと手を叩き、少し重くなっていた部屋の空気を明るく変えた。彼女は自分の荷物袋から、甘い乾燥果実の包みを取り出した。
「ほら、みんな。これも食べて。……それとカシム、あんた、リィンが帰国してから一人でこんな埃っぽい地下に潜伏してたんでしょ。ちゃんと食べてたの?」
「俺は干し肉と水があれば十分だ。余計な世話を焼くなよ」
カシムが少し顔をしかめてそっぽを向くと、ナディアはにやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうやって強がると思ったわ。でもね、私たち、ちゃんと覚えてるのよ。……数日前の八月八日が、あんたの十六歳の誕生日だったってこと」
その言葉に、カシムの肩がピクリと不自然に跳ねた。
彼は手入れをしていた短剣をテーブルに置き、信じられないものを見るような目で、仲間たちの顔を順番に見回した。暗闇に潜む獣のように鋭かった彼の瞳が、今はただの年相応の若者のように、戸惑いと照れくささで揺らいでいる。
「お前ら……なんで、俺の誕生日なんか……」
「学園の寮で暮らしていた時、名簿の記録を偶然見かけたんだよ」
ゼノリスが、温かいお茶の入ったマグカップを両手で包み込みながら、穏やかに微笑んだ。 「アル・ザハブの砂漠出身で、情報屋としてずっと一人で生きてきたお前は、自分の誕生日を誰かに祝ってもらう習慣がなかったんだろう? ……でも、今は僕たちがいる。お前はもう、一人じゃないんだ」
「ゼノリスの言う通りだよ、カシム。はい、これ、僕からのプレゼント」
テオが、腰のポーチから小さな布の包みを取り出してテーブルに置いた。
「エテルナの市場で見つけた、『月光苔』を乾燥させたものだ。これを少しだけ水に溶かして傷口に塗れば、すぐに痛みが引く。……君はいつも危険な裏道ばかり歩くから、怪我だけは気をつけてほしくてさ」
「私からは、これです。……少し形は不格好になってしまいましたが」
フィリーネが恥ずかしそうに差し出したのは、細い銀色の糸で編まれた、小さな星型の護符だった。
「エテルナを出航する前、クララさんからいただいた護符の編み方を教えてもらったのです。これを持っていれば、どんなに深い影の中に潜んでいても、私たちが必ず貴方を見つけ出します」
カシムは、テーブルの上に置かれた甘い乾燥果実、傷薬、そして手編みの護符を、言葉を失ったまま見つめていた。
ギルダー商業公国に潜入して以来、彼は息を殺し、冷たいコンクリートと鉄の隙間に影を落とすようにして生きてきた。油と錆の臭いにまみれ、誰とも言葉を交わさず、ただ冷酷な監視網の目を欺き続ける孤独な日々。
それが、どうだ。今、目の前にあるのは、自分のためだけに用意された、不器用で、けれど何よりも温かい「体温」の結晶だった。
カシムは褐色の頬を微かに赤らめ、誤魔化すように乱暴に頭を掻いた。
「……ったく。こんな埃っぽい地下の隠れ家で、男の誕生日パーティーかよ。お前ら、本当に調子が狂うぜ」
悪態をつきながらも、彼の口元は隠しきれない喜びに緩んでいた。カシムはナディアが差し出した乾燥果実を一つ口に放り込み、ゆっくりと噛み締める。その自然な甘さが、乾ききっていた彼の心に、優しく染み渡っていった。
「悪くないだろう? たまにはこうして、肩の力を抜く時間も必要だ」
ゼノリスが微笑むと、カシムは手元の護符と傷薬を、壊れ物でも扱うかのようにそっと自分の胸ポケットへとしまった。
「……ああ。悪くねえな。最高の誕生日プレゼントだ。……ありがとうよ、お前ら」
照れ隠しのように目を逸らしながら呟いたその言葉には、偽りのない彼自身の真っ直ぐな響きが宿っていた。地下の冷たい石造りの部屋に、ランタンの暖かな光と、仲間たちの穏やかな笑い声が満ちていく。彼らが「鉛の騎士団」として学園の旧時計塔で過ごしたあの頃と変わらない、確かな絆の時間がそこにあった。
だが、ささやかな宴が一段落し、全員のカップが空になった頃。
カシムの纏う空気が、一瞬にして情報屋としての鋭いものへと切り替わった。
「さて。最高のプレゼントをもらった礼に、俺からも最高の情報をくれてやる」
カシムは立ち上がり、壁に貼られていたギルダーの市街図の上に、いくつかの古い羊皮紙の図面を重ねて広げた。そこには、複雑な魔導回路と、巨大な機械構造物の設計図が描かれている。
「お前らがスラム街で見た『強制魔力抽出装置』。あれは、この街のシステム全体を動かすための、ほんの末端の枝葉に過ぎない」
カシムが短剣の先で図面の中央を指し示す。
「借金漬けにされた市民や難民たちから吸い上げられた魔力は、地下水脈に張り巡らされたパイプを通って、この街の心臓部へ集められている。……それが、豪商連合議会が管理する巨大な『大魔導炉』だ」
「大魔導炉……。それが、八ヵ国連合に売り捌かれている高純度の魔導バッテリーの製造元というわけね」
ナディアが羅針盤を弄りながら、険しい顔で図面を覗き込む。
「ああ。だが、それだけじゃない。問題は、その大魔導炉が『どこに建てられているか』だ」
カシムの言葉に、ゼノリスは微かな悪寒を感じた。
エテルナでの機甲兵の暴走。ルサルカでの海神の汚染。それらはすべて、古代帝国の遺産を悪用した結果引き起こされたものだった。
「……カシム。まさか、その大魔導炉の下に……」
「ご名答だ、リーダー。……議会の連中は、ただ闇雲に施設を作ったわけじゃない。三千年前の大アドラスティア帝国が遺した、地図にも載らない巨大な地下空間……『忘却の祭壇』。その真上に、大魔導炉を建設しやがったんだ」
昨日その名を耳にした時から、ゼノリスの右手の火傷の痕は、不吉な共鳴を告げるように微かな熱を帯び続けていた。かつて彼らが死線を潜り抜けた「忘却の監獄」や「忘却の聖域」と同じ、帝国の深い闇を封じ込めた古く重い歴史の影が、この鉄の街の真下にも口を開けているのだ。
「俺が調べた限り、連中はその祭壇に眠る古代の術式を強引にハッキングして、魔力抽出の効率を何十倍にも引き上げている。……古代の遺産を悪用して、人間の命を最後のひとしずくまで絞り尽くしているんだ。それが、このギルダー全体を覆う狂った不協和音の正体さ。連中にとって、何千人の命が失われようと、それはただ自分たちの富を増やすための『数字』に過ぎないんだ」
カシムは一旦言葉を切り、短剣をテーブルに突き立てて声を一段低くした。
「……だが、それだけじゃない。俺が一番嫌な予感がしているのは、その『忘却の祭壇』のさらに奥深くの存在だ。議会の連中すら把握していない、もっと深い場所から、時折……おぞましいほどの『冷たい闇』の気配が這い上がってくるのを感じるんだ。まるで、三千年の間ずっとそこで何かが目覚めるのを待っているような……そんな気配だ」
ゼノリスは、ルサルカの夜の海で、狂気のままに消え去ったサイラスの嘲笑を思い出していた。サイラスが「究極のフィナーレ」と呼んだ、次なる舞台。それは間違いなく、このギルダーの地下深層に眠る闇と繋がっている。
「……大魔導炉を破壊し、捕らわれている市民を解放する。そして、その奥に眠る祭壇の真実を確かめる。……それが、僕たちのやるべきことだ」
ゼノリスが静かに、しかし鋼のような決意を込めて宣言した。
「その通りだ、リーダー。……だけど、大魔導炉は街の最厳重警備区画にある。正面から突っ込めば、あっという間にハチの巣だ。俺の影魔法と、ナディアの羅針盤によるナビゲートで、警備の死角を縫って地下から侵入するルートを見つけ出す必要がある」
「わかったわ。任せてちょうだい。私の羅針盤なら、どんなに複雑な機械の迷路でも、魔力の流れから最短ルートを必ず導き出してみせるわ」
ナディアが力強く頷き、テオも大盾を背負い直して拳を鳴らす。
「僕も、みんなを絶対に守り抜くよ。こんな非道なシステム、これ以上動かさせてたまるか」
十六歳の誕生日という、ささやかで温かな時間は終わりを告げた。
彼らの瞳には、再び戦士としての鋭い光が宿っている。ギルダー商業公国の冷酷なシステムを根底から打ち砕くための、過酷な潜入作戦が、今まさに静かに幕を開けようとしていた。
カシムがテーブルの上に広げたギルダーの市街図。その上に、ナディアが自らの「黄金の羅針盤」を静かに置いた。
羅針盤の針は、大魔導炉が位置する市街地の中心部を指し示しながら、チリチリと火花を散らすように細かく震えている。
「……ひどい魔力の濁りだわ。ルサルカの海で見た『這い寄る鉛糸』の時とは違う、完全に機械的で冷酷な、無理やり命を絞り出しているような不自然な流れ。……羅針盤が、悲鳴を上げているみたい」
ナディアが険しい顔で盤面を覗き込む。
「正面突破が不可能だっていうのは、カシムの言う通りね。大魔導炉の周辺には、魔力を探知するセンサーが網の目のように張り巡らされている。私たちの魔力を持ったまま近づけば、一瞬で警備網に引っかかるわ」
「ああ。ギルダーの豪商どもは、金を稼ぐことと、自分の財産を守ることに関しては天才的だからな。物理的な防壁よりも、あの神経質なスキャン網の方がよっぽど厄介だ」
カシムが腕を組み、忌々しげに舌打ちをした。
その時、部屋の隅に置かれていた小型の魔導通信機から、ザァッ……というノイズと共に、途切れ途切れの音声が響いた。
『……ザーッ……聞こえるか、ゼノリス、カシム!こちら学園地下、ガイルだ。なんとかギルダーの防衛ネットワークの暗号を一つぶち抜いたぞ』
通信機から聞こえてきたのは、ボサボサ頭の参謀役、ガイルの少し興奮した声だった。続いて、ルカスの冷静な声も混じる。
『僕の構築したバイパス回路も安定している。……君たちが手に入れた大魔導炉の周辺図、こっちの解析データと同期させるよ』
通信機が青白い光を放ち、テーブルの地図の上に、半透明の光の図面を投影した。それは、カシムが足で集めた二次元の地図を、立体的な地下構造へと拡張するものだった。
「おお、すげえ!地下のパイプの繋がりまで丸見えだ!」
テオが感嘆の声を上げる。
『解析の結果だが、ナディアの言う通り、地上から大魔導炉への侵入は生存確率ゼロだ。だが、地下水脈の構造に一つだけ、不自然な空白地帯がある』
ガイルが遠隔操作で、立体図面の一角を赤く光らせた。
「ここは……地下水脈の旧合流地点か。数十年前に放棄された区画のはずだぞ」
カシムが目を細める。
『その通り。だが、完全に放棄されているわけじゃない。そこは大魔導炉を冷やすための『冷却水の排水路』として、未登録のまま裏で利用されているんだ。そこなら、強力な魔力探知センサーは配置されていない』
「なるほど。ゴミを捨てるための裏口、というわけね。……私の羅針盤が示している『魔力の流れが途切れている場所』と、完全に一致するわ」
ナディアが羅針盤の針と光の図面を重ね合わせ、自信に満ちた笑みを浮かべた。
『ただし、問題もある』
ルカスが、眼鏡を押し上げる音とともに付け加えた。
『そこには魔力探知こそないが、一定周期で高温の冷却用蒸気が噴出している。さらに、物理的な防犯シャッターが三重に下りているはずだ。僕がこっちから通信網にジャミングをかけて、一時的にシステムを誤作動させることはできる。……でも、せいぜい90秒が限界だ』
「上等だ。90秒あれば、俺の影魔法でシャッターの隙間を抜け、内側からロックを破壊できる」
カシムが短剣の柄を指先で弾きながら答える。
「熱い蒸気なら、僕の盾でみんなを覆って防ぐよ。……任せて」
テオが、自らの逞しい胸をポンと叩いた。
ゼノリスは、光の図面を見つめながら、静かに息を吐いた。
学園都市の地下からサポートしてくれるルカスとガイル。影魔法で道を切り開くカシム。羅針盤で最短距離を導くナディア。仲間を守るテオの盾。
遠く離れた地から支えてくれる仲間たちと、今ここにいる仲間たち。彼らの力は確実に一つに束ねられ、ギルダーの巨大な闇を貫くための鋭い矛となっている。
「ありがとう、ガイル、ルカス。君たちのおかげで、確かな道が見えた」
『礼はいい。……だが、気をつけてくれ、ゼノリス。大魔導炉のその奥……『忘却の祭壇』があるという深層エリアは、僕の解析でも完全にブラックボックスだ。……そこから、底知れないほどの『不協和音』が漏れ出しているのを感じる』
ガイルの警告に、ゼノリスは右手の火傷の痕を左手でそっと押さえた。
「ああ。わかっている。……必ず、全員無事で戻るよ」
『健闘を祈る。……通信を切るよ』
通信機の光が消え、部屋には再びランタンの温かな光だけが残った。
「……ルートは決まりましたね、お兄様」
フィリーネが、決意を秘めた青い瞳でゼノリスを見つめる。
「ああ。大魔導炉に侵入し、強制魔力抽出装置のコアを破壊して市民たちを解放する。そして、その下にあるという『忘却の祭壇』の真実を確かめる」
ゼノリスの言葉に、四人は力強く頷いた。
「……息を殺して。ここから先は、ギルダーの『腸』の中よ」
ナディアの低く緊張を孕んだ警告と共に、五人は埃っぽいアジトを後にし、地下水脈のさらに奥深くへと足を踏み入れた。
豪商たちが巨万の富を貪り、華やかな光に包まれている地上の裏側。この地下水脈は、街のすべての汚濁を引き受ける掃き溜めだった。生活排水と工場から垂れ流された廃液が混ざり合い、鼻を突くような鉄錆とヘドロの悪臭が空間に充満している。足元には鉛色に濁った水が淀み、天井や壁面にはまるで巨大な大蛇のように、錆びついた真鍮製のパイプが無数に這い回っていた。
フィリーネはひどい臭気と足元のぬかるみに思わず顔をしかめたが、すぐに気丈に表情を引き締め、手にした白銀の杖の光を最小限に絞った。
「……大丈夫かい、フィリー」
ゼノリスが小声で気遣うと、彼女は泥水に汚れるのも構わずに歩みを進めながら、力強く頷いた。
「はい、お兄様。これくらい、どうということはありません。ただ……空気がとても重いです。人の命を数字に変えるこの街の冷たさが、澱のように底に溜まっているような気がして」
「ああ。だが、僕たちで必ずこの澱みを断ち切る。……足元に気をつけて進もう」
暗く入り組んだ迷路のような水脈。その中で彼らの歩みを支えているのは、ナディアの持つ「黄金の羅針盤」だった。
羅針盤の針は、大魔導炉から漏れ出す狂った不協和音に苦しげな振動を伝えながらも、淡い金色の光を放ち続けている。網の目のように張り巡らされた魔力探知センサーの死角――「魔力の空白地帯」を、彼女は針の微かなブレから正確に読み取り、五人を安全なルートへと導いていた。
さらに、先頭を行くカシムが自らの影に深く溶け込み、物理的な警備の罠や音鳴子の仕掛けを次々と解除していく。彼の動きには一切の無駄がなく、スラム街で生き抜いてきた情報屋としての真骨頂が発揮されていた。最後尾では、テオが大盾を背負い、鋭い獣の聴覚で背後の気配を絶えず警戒している。
ほんの少しでも魔力を漏らせば、即座に頭上のセンサーが警報を鳴らす極限の緊張状態。ゼノリスは、右手のひらの火傷の痕が不協和音に反応して熱く疼くのを必死に抑え込みながら、無言で泥水を掻き分けて進んだ。
息の詰まるような潜入行が数十分続いた頃。
不意に前方の空間が少しだけ開け、彼らの行く手を巨大な防犯シャッターが完全に塞いだ。
厚さ数十センチはあろうかという、三重に重なった鋼鉄の壁。そしてその手前には、大魔導炉から排出される超高温の冷却蒸気が、一定間隔で猛烈な勢いと轟音を立てて噴き出しており、容易には近づけない熱の壁を作っていた。
「……着いたぞ。ここが大魔導炉へのゴミ捨て用裏口だ」
蒸気の熱で揺らぐ暗がりから実体化したカシムが、シャッターを指差して短く告げた。
ゼノリスは頷き、懐から小型の魔導通信機を取り出す。
「ルカス、ガイル。ポイントに到達した」
『了解した。防衛ネットワークのバイパスはすでに構築済みだ。ガイルの解析データに合わせて、僕がシステムにジャミング(通信妨害)をかける』
通信機越しに、ルカスの眼鏡が光るのが見えた気がした。
『――行くぞ。システム誤作動の限界時間は90秒。カウントダウン開始、今だ!』
ガイルの合図と共に、シャッターの上部に設置されていた魔導ランプが赤から青へとチカチカと点滅し、警報システムが不自然なエラー音を立てて沈黙した。
「よし、探知は切れた! だが蒸気は止まってねえぞ!」
カシムが叫ぶ。シャッターをこじ開けようにも、その前には数百度の熱風が吹き荒れており、生身で触れれば一瞬で大火傷を負う。
「俺の背中に隠れろ!!」
その声は、普段の温厚な「僕」ではなく、戦士としての「俺」へと切り替わっていた。
テオが前線へ躍り出る。彼の太い腕の筋肉が獣化の気配を纏って一気に膨れ上がり、漆黒の巨大な重盾(黒盾)を前面に構えて、噴き出す超高温の蒸気の中へと真正面から突進した。
「うおおおおおっ!!」
テオの全身から滝のような汗が噴き出すが、彼は歯を食いしばり、仲間を守るための絶対的な防壁として、吹き荒れる蒸気を左右へと強引に割り裂いた。
その熱風の中に生じた一瞬の死角――テオの盾が作り出した「影」。
カシムが動いた。彼は自らの影を、シャッターの僅かな隙間に落ちる影へと繋ぎ合わせる。――『影渡り』。
一瞬にして物理的な熱の壁と鋼鉄の障壁をすり抜け、彼はシャッターの内側へと潜り込んだ。
『残り60秒!』
ルカスの焦燥したカウントが響く。
ガキンッ、ギギギギギ……!
内側からカシムが機械式の錠を破壊し、手動のハンドルを力任せに回して、重いシャッターをこじ開けた。
「開いたわ! 急いで!」
ナディアの叫びと共に、ゼノリス、フィリーネ、ナディアが隙間へ滑り込む。最後にテオが盾を構えたまま後退し、蒸気の熱から逃れるようにしてシャッターの内側へと転がり込んだ。
『残り十秒!ジャミング切るぞ!』
背後で、三重の防犯シャッターが地響きを立てて再び完全に閉鎖された。
間一髪の突破だった。
「……はぁ、はぁ……。やったな、テオ。ナイスガードだ」
カシムが、肩で息をしながらテオの背中を叩く。
「へへっ……これくらい、平気さ」
テオは獣化を解き、いつもの優しげな顔に戻って滝のような汗を拭った。
だが、彼らが安堵の息をついたのも束の間だった。
立ち上がった五人の目に飛び込んできたのは、ついに辿り着いた「大魔導炉」の真下の、想像を絶する光景だった。
見上げれば、巨大な真鍮製のパイプが網の目のように張り巡らされ、頭上の階層から青白い魔力がドクドクと脈打ちながら、生き血のようにこの大魔導炉へと吸い降ろされてきている。そして、そのパイプの起点……すり鉢状になった空間の上部をぐるりと取り囲む、分厚い防音ガラスの向こう側に広がっていたのは、スラム街で見たのと同じように、無数の市民や難民たちが鎖で繋がれ、命そのものである魔力を強制的に抽出されている地獄のような光景だった。
「……なんてひどい。人の命を、本当にただの燃料として……」
フィリーネは自らの白銀の杖が微かに震えるほどの力を込め、その澄み切った青い瞳の奥に、すべてを凍てつかせるような怒りを沈ませた。
「これが、ギルダーの富の正体だ。……絶対に、許しておくわけにはいかない」
ゼノリスは黒い剣の柄を握り、黄金と闇の双眸で、冷酷な機械都市の心臓部を真っ直ぐに睨み据えた。




