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星帝物語  作者: 藤堂 貴之
第5巻 忘却の祭壇と虚無の王

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第33章:欲望の鉄都市、ギルダー商業公国

 黒煙が重く立ち込める空の下、西の海に抱かれたルサルカ海洋公国を出航した高速通信船『エトワール号』は、大陸東方の海域へと深く、そして後戻りのできない一歩を踏み入れていた。

風を孕んで白く膨らんでいた帆は、もはや潮の香りと太陽の温もりを含んだ清涼な海風を受けてはいない。代わりに吹き付けてくるのは、秋の初め特有の微かな冷涼さを完全に殺してしまうほどの、重油の焦げた不快な臭いと、冷たく乾いた鉄錆てつさびの匂いであった。

エトワール号の船首が切り裂く波の色は、ルサルカ近海の透き通るようなサファイアブルーから、どろりとしたコールタールを思わせる暗緑色へと変貌している。波が船体にぶつかるたびに、清らかな水音ではなく、粘り気を持った不気味な飛沫が甲板へと跳ね上がり、足元の白い木材にどす黒い染みを作っていった。


「……ゼノリス、鼻が痛いよ。空気に、鉄の匂いと……なんだか、生き物が無理やり押し潰されているような、すごく嫌な匂いが混ざってる」

甲板の最前列。テオが、動物の耳をぴたりと伏せ、両手で鼻と口を覆いながら苦しげに息を吐いた。この海域が放つ機械的で暴力的な悪臭は、彼にとって本能に強烈な警鐘を鳴らす猛毒に近いものだった。大きな背中に背負った漆黒の重盾の下で、逞しく成長した筋肉が、見えざる敵への警戒から微かな震えを帯びている。


「……空気が、ひどく淀んでいるわね。魔力の潮流が、冷たい鉄と機械に無理やり捻じ曲げられているみたいで、安全な航路ルートがまったく読めないわ」

テオの隣で、ナディアがいつもの明るい笑顔を消して呟いた。

腰から外した「黄金の羅針盤」を険しい顔で見つめている。魔力の潮流を読み取るその針は、今や激しく火花を散らすかのように小刻みに震え、目前に迫る巨大な鉄の要塞を、まるで最大の警告を発するかのように指し示していた。

 

エトワール号の船首に立つゼノリスは、眼前に立ちはだかる鉛色に淀んだ空と巨大な防波堤を見上げ、右手のひらをギュッと握りしめた。包帯の下に隠された火傷の跡と、「三つ目の星」の刻印が、微かな熱を帯びて明滅している。彼のオッドアイは、冷酷な威容を誇るその都市の全貌を、一切の瞬きをせずに捉えていた。


 目前に迫ったその国は、これまで彼らが旅してきたどの国とも異なっていた。活気に満ちた自由都市エテルナや、西の海に抱かれた美しいルサルカとは対極にある、異形の要塞。

そこには、自然の恩恵という概念が初めから存在しないかのようだった。海と陸の境界線は、分厚いコンクリートと鋼鉄で完全に塗り潰され、巨大な防波堤が波を無慈悲に跳ね返している。天を衝くほどの巨大な無数の煙突群が、真っ黒なすすと排煙を絶え間なく吐き出し、空を分厚い灰色の雲で完全に覆い隠していた。

街の至る所に、巨大な真鍮しんちゅう製の歯車や魔導パイプが剥き出しで張り巡らされ、都市全体がまるで一つの巨大な機械生命体のように、ズゥゥン……ズゥゥン……と、心臓の鼓動を思わせる重苦しい駆動音を響かせている。


「おぞましい場所です。空気そのものが、人間の温かな感情を否定し、冷たい計算式だけでできているようです……」

ゼノリスの右腕に、フィリーネが両手でしっかりと抱き着いた。彼女の純粋な魔力は、この無機質な鉄の街とは最も相容れない存在だった。その瞳には、どんな地獄であろうとも兄の隣を離れないという、深い情愛と独占欲が静かに揺らめいている。


「ギルダー商業公国……。『金こそが唯一の正義』とする実利主義な国民性を持つこの国は、軍事力こそ低いものの、他国への莫大な資金援助や兵糧の供給を通じて、八ヵ国連合全体に多大な影響力を持っている。エテルナやルサルカのように、感情や人情が通用する場所じゃない。すべての命が、冷酷な『数字』として計算される国だ」

ゼノリスは、自分の中に眠る世界を救う「勇者」の力と、世界を破壊する「魔王」の相反する脈動を静かに調律しながら、仲間たちに告げた。

「……気をつけて、みんな。ここから先は、少しでも隙を見せれば一瞬で磨り潰される。……息を潜めて奴らの狂ったシステムに溶け込み、内側から破壊する隙を窺うんだ」


 やがてエトワール号は、巨大なコンクリートと鉄で固められたギルダーの中央港へと接岸した。

タラップを降りた彼らを迎えたのは、血の通った人間の活気など一切存在しない、極限まで効率化された無機質な空間だった。見渡す限り広がる巨大な埠頭ふとうでは、蒸気と魔力を動力とする巨大なクレーンが機械的な音を立てて荷物を運び、無数の労働者たちが無言で、ただ決められた歩幅で右から左へと移動している。彼らの目には光がなく、着ている灰色の作業服の胸元には、名前ではなく「管理番号」だけが冷たく刻印されていた。


「ここは私に任せて。航海士として、こういう港の役人を手懐てなずける方法は嫌というほど知ってるわ」

入国審査の巨大な鉄格子のゲートを前に、ナディアが不敵な笑みを浮かべて進み出た。

ゲートの向こうには、仕立ての良い漆黒の制服を着た数名の役人が、分厚い帳簿と最新式の魔導計算機を前にして無表情に座っていた。彼らは入国者の顔など一度も見ようとしない。

ただ、提示された書類と荷物の「価値」だけを、魔力的なスキャンと金銭的価値への自動換算で査定しているのだ。


「次。……身分証明書と入国目的を申告しろ」

役人の声には、人間らしい抑揚がまったくこもっていなかった。ナディアは、エテルナで偽造された商人の通行証を自信満々に差し出すと同時に、その書類の下にそっと、鈍い輝きを放つ純度の高い魔石を三つほど忍ばせた。それは、かつて学園の地下動力室からルカスが持ち出し、携帯用に加工した極めて純度の高い資源の一部だった。


「……我々は、西の海から来たしがない香辛料の行商人よ。この素晴らしい商業都市で、新しい市場を開拓したくてね。……これで、手続きを『円滑に』進めてもらえるかしら?」

ナディアが愛想よくウインクをすると、役人は彼女の顔には目もくれず、ただ書類の下の魔石を一瞥した。その瞬間、彼の指先が魔導計算機の鍵盤を弾き、機械が瞬時にその物質の価値を弾き出した。

チャリン、という冷たく乾いた音が計算機から響く。


「……査定完了。対象物、第三級資産価値に相当。……入国を許可する。ギルダー商業公国へようこそ、『数字』の神のご加護があらんことを」

役人は魔石を素早く自分の引き出しに収めると、通行証に無造作にスタンプを押し、金属のゲートを開いた。彼らにとって、入国者が何者であり何を企んでいようと、もたらされる『利益』が基準値を上回っていれば、すべての行為は正当化される。人の命や魔力でさえも単なる「数字」として扱う、それがこのギルダーの絶対のルールであった。


「……呆れた。本当に『金』だけで門が開くのね」

フィリーネが、吐き気を催すような冷徹なシステムに嫌悪感を隠さずに呟き、ゼノリスの腕にさらに強くしがみついた。

「これが、この国の正義さ。……行くぞ、まずは街の様子を探らなきゃならない。この国を牛耳る連中が、裏で何を企んでいるか見極めるためにもね」


ゼノリスたちはゲートを抜け、ギルダー商業公国の深部へと足を踏み入れた。

街の中は、外から見た異常さをさらに煮詰めたような光景が広がっていた。

分厚い石畳の上を、蒸気を上げる巨大な荷馬車や、魔力で駆動する装甲車が絶え間なく行き交っている。空を覆い尽くすように張り巡らされた魔導パイプからは、時折、熱湯や排気が無慈悲に路上へと噴き出し、歩行者たちはそれに慣れ切った様子で機械的に避けて歩いていた。街路に立ち並ぶのは、美しさの欠片もない、ただ効率的に人を詰め込むためだけに建てられた四角いコンクリートの集合住宅と、黒煙を吐く工場群だ。

通行人たちは皆、足早に歩き、誰とも目を合わせようとしない。交差点や建物の角には、街の至る所に配置された監視用の魔導カメラがギョロギョロと動き、警備兵たちが「非効率な行動」をとる者を常に監視しているからだ。


「……太陽の光が、全然届かないね。草も花も、どこにもないよ」

テオが、排煙でどんよりと霞む鉛色の空を見上げて、悲しそうに呟いた。彼の故郷である砂漠のオアシスや、学園の黄金の麦畑とは違い、ここには大地の温もりが一欠片も存在しなかった。

 彼らは街の中心部――豪商たちが贅沢を極めるという高層の議事堂エリアを避け、まずは情報の集まりやすい最下層、スラム街へと足を踏み入れた。

そこは、華やかな商業都市の裏側に隠された、文字通りの地獄だった。

陽の当たらない薄暗い路地裏には、借金で首が回らなくなった市民や、他国から流れてきた難民たちが、冷たいコンクリートの壁に身を寄せ合うようにしてうずくまっていた。彼らの身体は極度に痩せ細り、着ている服は油と泥にまみれ、瞳には絶望すら通り越した完全な虚無の色が宿っている。


「止まれ! 今日のノルマに達していない不良債権ども!貴様らの命の価値は、すでに借金の利息すら下回っている。さっさと地下の『強制魔力抽出装置』へ行け!」

突然、路地の奥から規則正しい金属の足音と共に、重武装の警備兵の部隊が現れた。彼らは路地裏にうずくまる人々を、まるで粗大ゴミを回収するように次々と乱暴に引きずり起こし、首に管理用の鉄の首輪をはめていく。

「お、お許しを……! あと少し、あと少しだけ時間をくれれば……娘が、まだ幼い娘が病気で……!」

一人のやせ細った男が、泥水の中に膝をつき、警備兵の足元にすがりついて懇願した。しかし、警備兵はその男を無慈悲に蹴り飛ばした。

「例外は認められない。規定のノルマを下回った、それが全てだ。連れて行け。燃料として使い潰して、不足分を補填しろ。お前たちのような不良債権の命など、この国においてはただの『燃料』であり、管理される『数字』に過ぎないのだからな」

蹴り飛ばされた男は抵抗する力もなく、他の人々とともに、地下工場へと続く暗く深い階段の下へ引きずられていく。彼らの身体から強制的に抽出された魔力は、純度の高い魔導バッテリーに変換され、八ヵ国連合に高値で売り捌かれるのだ。


「……なんてひどい。人の命を、ただの燃料としてしか見ていないなんて……!」

フィリーネが、持っていた杖を白くなるほど強く握りしめ、青い瞳に激しい怒りの炎を灯した。

「止めに入りましょう、お兄様! あんなこと、絶対に許されるはずがありません!」

フィリーネが一歩踏み出そうとし、テオも大盾を構えて飛び出そうとした。

だが、ゼノリスは両手を広げて、二人を力強く引き留めた。

「待って、二人とも! ここで騒ぎを起こせば、すぐに豪商連合議会に目をつけられる。彼らの狙いは、僕たちがこの街で孤立し、追い詰められることだ」

「でも、ゼノリス! あの人たちが……!」

「わかってる、テオ。僕だって、今すぐあいつらを叩き斬ってやりたい」

ゼノリスの黄金と闇のオッドアイにも、抑えきれない怒りが激しく渦巻いていた。右手の刻印が、理不尽な悪意に対する怒りに呼応して、痛いほどの熱を放っている。


「だけど、ここで目の前の警備兵を倒したところで、何も解決しない。……僕たちがこの国に来た本当の目的は、この狂ったシステムを裏で操っている元凶を突き止め、不協和音そのものを終わらせることだ」

ゼノリスの低く、鋼のような決意を帯びた声に、フィリーネとテオは唇を噛み締め、悔しそうに足を止めた。

この非人道的なシステムを操る議会が、自分たちの利益を脅かす存在を黙って見過ごすはずがないのだ。莫大な資金と技術力を持ち、人の命すら利益の歯車に組み込む彼らは、、間違いなく冷酷な罠を張り巡らせてゼノリスたちを待ち構えているはずだ。

さらにゼノリスは、この街を覆う冷たい空気の奥に、これまで世界に不協和音をばら撒いてきた『見えざる悪意』の源流が潜んでいる気配を肌で感じ取っていた。誰かが世界の裏側で糸を引き、人々の苦痛を嘲笑っている――そんなどす黒い闇が、この欲望の都を不気味に覆い尽くしているのだ。


「……待ち受けているのは、僕たちの命すら『数字』として計算し、絶望の底へ沈めようとする冷酷な悪意だ。……だけど、僕たちは独りじゃない」

ゼノリスの脳裏に、大陸の各地に散った仲間たちの顔が浮かんだ。

彼らが今どこで何をしているのか、確かなことはわからない。だが、離れ離れになっていても、同じ目的に向かって命を懸けて戦っていると、彼には確信があった。いつかまた、あの時計塔の屋根裏部屋で、あるいは世界のどこかで、全員で集い笑い合う日を信じて。彼らが奏でる反逆の旋律は、このギルダーという一つの座標に向かって、確かな共鳴アンサンブルを響かせているはずだ。


「まずはこの街の裏側に潜り込み、身を隠せる場所を探す。敵の監視網の死角から情報を集めるんだ。この狂ったシステムごと、俺たちの『調律チューニング』で正してやる」

ゼノリスの力強い言葉に、テオが巨大な黒盾を掲げ、ナディアが黄金の羅針盤を構え、フィリーネが深く頷いた。


黒煙と機械に覆われた欲望の鉄都市、ギルダー商業公国。

若き『ステラ・レギオン』の四人は、冷酷な管理社会の真っ只中へと、その一歩を力強く踏み出した。彼らが放つ希望の光が、鉄と金貨で作られた絶望の要塞をいかにして打ち砕くのか。次なる嵐の幕開けは、もう目前まで迫っていた。



ゼノリスたちは足音を殺し、ギルダー商業公国のスラム街を奥へと進んでいた。

大通りを照らしていた華やかな魔導灯の光は、この路地裏には一切届かない。両脇にそびえ立つ石造りの建物はどれも窓ガラスが割れ、壁には深いひびが縦横に走っている。上空を見上げると、腕の太さほどもある無骨な鉄のパイプが建物の隙間を縫うように無数に張り巡らされ、空を完全に覆い隠していた。パイプの継ぎ目からは時折、シューッと鋭い音を立てて高温の白煙が噴き出し、路地を不気味な霧で包み込んでいる。

さらに、雪のように絶え間なく降り注ぐ黒いすすが、彼らの髪や肩を容赦なく汚していった。


「……止まって。上よ」

先頭を歩いていたナディアが、腰の羅針盤を握りしめたまま低い声で警告した。

四人が素早く崩れかけたレンガの壁に身をへばりつかせた直後、頭上の狭い空を、赤い光を放つ監視用の小型ドローンが音もなく滑るように通り過ぎていった。

ドローンの下部から照射されるスキャンの赤い光が、路地の隅々を舐めるように動く。瓦礫の隙間に隠れた熱源や魔力反応を、冷酷に探り当てようとする光だ。ゼノリスは壁の冷たさを背中に感じながら、息を殺してその光が通り過ぎるのを待った。


「……息苦しいな。まるで、見えない檻の中を歩かされているみたいだ」

赤い光が遠ざかったのを確認し、テオが動物の耳をぴたりと伏せながら呟いた。

彼の優れた嗅覚と聴覚は、このスラム街の異様さを誰よりも鋭く捉えていた。充満する鉄と機械油の匂い。その奥に張り付いている、微かな血の匂い。そして、建物の陰や路地の両側から聞こえてくる、大勢の人々が発する重く沈んだ絶望の息遣い。

ゼノリスが視線を向けると、路地の両側には、泥にまみれたボロボロの毛布を被った人々が等間隔でうずくまっていた。彼らの頬は骸骨のようにこけ、目は虚ろに宙を見つめている。ゼノリスたちがすぐ目の前を通り過ぎても、彼らは顔を上げることも、反応を示すこともなかった。ただ冷たい石畳の上で、自分たちの命の火が消えていくのを静かに待っているかのようだった。


「……ひどい。エテルナの貧民街だって、こんなに生気を失ってはいませんでした」  フィリーネが唇を強く噛み締める。


ゼノリスは無言のまま、右手のひらを固く握りしめた。脳裏に浮かぶのは、エテルナの街で出会い、そして命を落とした吟遊詩人の少女、ライラの姿だった。

病気の母親を救うため、このギルダーの商人たちが持ち込んだ古代機械に繋がれ、魔力を限界まで搾り取られた少女。最期には髪が白く変色し、干からびた老婆のような姿になって息を引き取った彼女の悲痛な最期が、ゼノリスの胸を鋭く締め付ける。

目の前にうずくまるこの人々は、明日のライラだ。借金の形に命を担保にされ、使い潰されるのを待つだけの存在。人間の命をただの「燃料」としてしか見ない、この街を支配する豪商たちのやり方に、ゼノリスの胸の奥で静かな、しかし決して消えることのない怒りの炎が燃え上がっていた。


「お兄様、あちらを。……あれが、この街の真実なのですね」

フィリーネがゼノリスの袖を軽く引き、路地の先を指差した。

狭い路地を抜けた先には、周囲の古い建物を取り壊して作られた、不自然に広い広場があった。そこに、異様な巨大構造物がそびえ立っていた。

 地面から突き出た、見上げるほどに巨大な真鍮しんちゅう製のタンク。その表面には無数の太い管が接続され、青白い魔力がドクドクと脈打ちながら、地下へ向かって猛烈な速度で吸い込まれていくのが見えた。

それが、先ほど警備兵が口にしていた『強制魔力抽出装置』だった。

装置の足元では、分厚い防護服を着た作業員たちと、重武装の警備兵が立ち並んでいた。彼らは、ノルマを果たせなかった市民たちを次々と引きずり出し、首にはめられた鉄の首輪に、装置から伸びる太い魔導ケーブルを無造作に接続していく。


「や、やめてくれ! まだ働ける、まだ……!」

一人のやせ細った男が悲鳴を上げるが、警備兵は表情一つ変えずに装置のレバーを引いた。  瞬間、ケーブルを通じて男の身体から青白い魔力が――生命力そのものが、暴力的な勢いで吸い上げられていく。

「ああああああっ!」

男の絶叫はすぐに掠れ、空気が抜けるような音に変わった。数分ののち、完全に生気を失い、髪が白く変色して干からびた木々のようになった男の亡骸は、用済みのゴミのように隣の荷車へと放り投げられた。

 その荷車には、すでに何十人もの犠牲者が山積みにされている。人間の命が、ただの燃料として消費され、今日の利益を埋めるための数字に変換されている光景だった。

テオのたくましい肩が怒りで小刻みに震え、フィリーネが耐えきれずに目を伏せる。ゼノリスは、その巨大な装置から立ち上る異様な響きを肌で感じ取っていた。それは、エテルナの地下で聞いたものと同じ……いや、それ以上に組織化され、洗練された狂った響きだった。世界を破滅へ導く悪意の旋律が、この街の土台に深く根を張っている。右手の火傷の跡が、その悪意に反応して熱く疼いた。


「……あんな真似、これ以上続けさせるわけにはいかない」

ゼノリスが剣の柄に手をかけた、その時だった。

 背後から、不意に耳障りな機械音が響いた。

予定外の巡回ルートから現れた、別の監視ドローンだった。その赤いスキャン光が、ゼノリスたちが隠れていた木箱の影を急激に照らし出そうとする。


「まずい……!」

ナディアが息を呑む。

スキャン光の動きに反応し、広場にいた警備兵たちが一斉にこちらへ武器を構えた。重い金属の足音を鳴らし、十人ほどの部隊がゼノリスたちの隠れている路地へ向かって接近してくる。

ここで戦闘になれば、街中の警備システムが作動してしまう。大元である狂ったシステムを叩き潰す前に、全軍に囲まれてしまえば勝ち目はない。絶体絶命のピンチだった。

赤い光が彼らの足元に迫る。

テオが前に出て黒盾を構えようとし、ゼノリスが剣を抜こうと踏み込んだ、まさにその瞬間だった。

彼らの足元に広がる、路地裏のわずかな暗がり。そこから、不自然なほどに色濃く、まるで自らの意志を持った生き物のような「黒い影」が、スルスルと音もなく伸びてきた。

影は四人の足首に素早く、しかし傷つけない程度の力強さで絡みつくと、彼らを路地のさらに奥、崩れかけたレンガ壁の深いくぼみへと一気に引きずり込んだ。


「なっ――!?」

テオが驚きの声を上げそうになるのを、影の一部が瞬時に口元を覆って防ぐ。

直後、彼らの目の前に分厚い『影の膜』がドーム状に張り巡らされ、路地の壁と完全に同化した。

 その数秒後、頭上の狭い空からドローンの赤い光が降り注ぎ、彼らがつい先ほどまで隠れていた木箱の裏を冷酷に舐め回した。さらに、重武装の警備兵たちが重い金属の足音を鳴らしながら駆けつけてくる。


「……おかしいな。確かにこの辺りに熱源反応があったはずだが」

「ただの野良犬か、行き倒れた下層民だろう。探すだけ時間の無駄だ。戻ってノルマの回収を続けるぞ」

警備兵たちの事務的な会話が、影の膜を透かしてくぐもった音で聞こえてくる。スキャン光が影の膜の表面を撫でたが、魔法によって認識を阻害された光は、そこに「ただの古いレンガ壁があるだけ」と判定して通り過ぎていった。

やがて、警備兵たちの足音が完全に遠ざかり、ドローンの駆動音も聞こえなくなる。

張り詰めていた空気がわずかに緩んだ、その暗闇の中。


「……相変わらず、危なっかしい歩き方をしてるな。リーダー」

 影の奥底から、聞き慣れた、けれど以前よりも一段と低く、落ち着きを増した声が響いた。  四人の足元に広がっていた影が一つに収束し、そこから音もなく、黒い服に身を包んだ一人の少年が姿を現した。砂漠の民特有の褐色の肌と、暗闇の中でも獲物を逃さない夜行性の獣のような鋭い瞳。


「カシム……!」

ゼノリスは思わず声を弾ませた。

学園を旅立って以来、別動組として各地で情報収集にあたっていた頼もしい仲間、情報屋のカシムだ。16歳になった彼は、以前よりも背が伸び、無駄のない引き締まった体つきになっている。その立ち姿には、危険な裏社会を単独で生き抜いてきた遊撃手としての凄みが漂っていたが、ゼノリスたちを見る瞳には、隠しきれない仲間への親愛が宿っていた。


「よっ。久しぶりだな、お前ら。無事で何よりだ」

カシムは口元に微かな笑みを浮かべ、手にした短剣を器用に指先で回して見せた。

「カシム! お前、どうしてこんな所にいるんだよ!」

テオが嬉しさのあまり大声を出しそうになり、カシムが慌てて「しっ、声が大きいぞ、馬鹿力」と軽くテオの胸を小突いた。

「相変わらずだな、テオ。……ナディアも、フィリーネも。怪我はないみたいで安心したぜ」

「ふふ、私たちを誰だと思っているの。でも、助かったわ。貴方の影魔法、また一段と洗練されたんじゃない?」

ナディアが羅針盤を腰にしまいながら、頼もしげにカシムを見る。

フィリーネも「ええ、本当に助かりました」と静かに微笑んで一礼した。

「俺は各地の裏ルートを回りながら、八ヵ国連合の怪しい金の動きを追っていたんだ。エテルナで暴走した古代機械の出所や、世界を狂わせている連中の資金源を探っていったら、結局このギルダー商業公国に行き着いたってわけさ」

カシムは表情を引き締め、影の膜を少しだけ広げて四人が息をしやすいように調整した。

「だが、この国は俺たちが想像していた以上に腐りきってるぜ。街全体が巨大な監視装置になっていて、人間が人間として扱われていない。さっきの『強制魔力抽出装置』を見たか?」

「ああ。借金を抱えた市民の命を、ただの燃料として使い潰していた。……人間の命を、ただの使い捨ての道具としてしか見ていない連中のやり方だ」

ゼノリスが、静かな、しかし決して消えることのない怒りを込めて答える。


「その通りだ。この国の豪商どもは、人間の命を吸い尽くして高純度の魔導バッテリーに変換し、それを八ヵ国連合に高値で売り捌いている。……あの抽出装置の中枢は、このスラム街のさらに地下深くに隠されているんだ」

カシムがもたらした情報は、ギルダーの底知れぬ闇の深さを物語っていた。彼らが探していた、世界に不協和音をばら撒く源流の一つが、間違いなくこの機械都市に根を下ろしている。


「……ここで立ち話は危険だ。奴らの巡回ルートは常に変わるし、今のスキャンの精度は厄介だ。俺が見つけた安全なアジトがある。誰にも見つからない、俺専用の隠れ家だ。……ついてこい」

「ありがとう、カシム。頼りにしているよ」

「礼はいいさ。俺はお前たちの見えない糸になるって、あの日約束したからな」

カシムが指を鳴らすと、路地の影がさらに深く、濃くなった。

ゼノリスたちは彼の背中を追い、張り巡らされた鉄のパイプをくぐり抜け、監視の目を欺きながら、スラム街のさらに深い闇の中へと足を踏み入れていった。

 だが、彼らはまだ気づいていなかった。

この国のすべてを監視する豪商連合議会が、彼ら「ステラ・レギオン」の侵入をすでに察知し、冷酷な傭兵部隊を彼らの逃走経路へと密かに差し向けていたことに。

静かなスラム街の奥底で、次なる死闘の足音が、確実に彼らへと迫りつつあった。



(ここから)


 カシムが展開した『影の膜』に包まれながら、ゼノリスたちはスラム街のさらに奥深くへと歩みを進めていた。

頭上を覆い尽くす巨大な鉄のパイプ群は、まるで大蛇が絡み合っているかのように複雑に入り組んでいる。時折、パイプの継ぎ目からシューッと高温の蒸気が噴き出し、路地を白く濁らせた。足元の石畳は油と泥にまみれ、歩くたびに微かな粘着音が鳴る。

カシムの影魔法は完璧だった。赤い光を放つ監視ドローンが頭上を通り過ぎても、彼らの姿は古いレンガの壁やゴミの山と完全に同化し、熱源反応すら探知させない。


「……さすがだな、カシム。以前よりも影の密度が濃くなっている。これなら、どんな監視網でも抜けられそうだ」

ゼノリスが小声で称賛すると、カシムは前を向いたまま軽く肩をすくめた。

「当然だろ、リーダー。世界を飛び回るお前らの背中を追うには、俺も立ち止まってる暇はなかったからな。……それに、この街ではこれくらい念入りに隠れないと、すぐに命を『換金』されちまう」

カシムの言葉通り、このギルダー商業公国は異常だった。路地の片隅にうずくまる人々は誰もが飢えと絶望に目を濁らせ、上空を飛び交う監視ドローンは、そんな彼らの命の価値を冷酷に値踏みしているように見える。


「……カシムのアジトまでは、あとどれくらいなの?」

ナディアが腰の羅針盤を握りしめながら尋ねた。彼女の青い瞳は、周囲の油臭い空気に強い警戒心を抱いている。

ここから地下水路へ降りて、廃棄された旧市街区を抜ければすぐだ。……よし、この角を右に――」

カシムが言いかけた、まさにその瞬間だった。


ビィィィィィィンッ!

 突然、彼らを包んでいた影の膜が、激しい高周波の音とともに大きく波打った。

「なっ……!?」

カシムが驚きの声を上げる。影の膜の表面に、強烈な青白い光が照射されていた。光は影の魔力を内側から強引に分解し、ドーム状になっていた結界を紙切れのように焼き払っていく。


「影が剥がされた! 全員、散開しろ!」

ゼノリスの叫びと同時に、五人は四方へ飛び退いた。

直後、彼らがつい一瞬前まで立っていた石畳に、太い鋼鉄の杭が連続して撃ち込まれた。凄まじい衝撃音が響き、砕け散った石の破片が散弾のように周囲へ飛び散る。


「……チッ。やはりただの下層民ではなかったか。路地裏の泥に隠れるのが上手いネズミどもめ」

蒸気と土埃の向こうから、重々しい金属の足音が近づいてきた。

現れたのは、通常の警備兵とは全く異なる異様な集団だった。五人の男たちは、ギルダーの巨大な富を注ぎ込んで作られたであろう、機械仕掛けの強化外骨格エクソスケルトンを全身に装着している。腕には先ほど石畳を砕いた射出式の鋼鉄杭パイルバンカーが備わり、背中のタンクからは動力源である青白い魔力が不気味に脈打っていた。

彼らは国を守る兵士ではない。豪商連合議会が、目障りな存在を排除するためだけに大金で雇い入れた、血も涙もない冷酷な傭兵部隊だった。


「……豪商議会からの特別指名手配だ。エテルナで暴れた『ステラ・レギオン』。賞金は一人につき金貨十万枚。……特に、その銀髪の小娘は生け捕りにすれば三倍の額が支払われるそうだな」

部隊のリーダー格と思われる、顔の半分を鉄の仮面で覆った大男が、獲物を値踏みするような濁った瞳でフィリーネを舐め回した。その視線には、人間の命に対する尊厳など微塵もない。ただの「高額な商品」としてしか見ていないのだ。


「……お兄様をネズミ呼ばわりした挙句、私を売り物にしようだなんて。……この街の空気と同じくらい、不快な方々ですね」

フィリーネが冷ややかな声で言い放ち、白銀の杖を構えた。彼女の青い瞳には、燃えるような静かな怒りが宿っている。

「笑わせるな、お嬢ちゃん。このギルダーでは、金にならない命などただの燃料だ。……やれ!小娘以外は原型を留めなくていい。ミンチにしてしまえ!」

リーダーの号令とともに、強化外骨格を纏った四人の傭兵が一斉に地を蹴った。

機械の力で極限まで加速された突進。その速度は、人間の肉体が持つ限界を遥かに超えていた。


「テオ!」

「任せろ!」

ゼノリスの指示に呼応し、テオが前線へと躍り出た。彼は巨大な漆黒の重盾(黒盾)を地面に突き立て、筋肉を鋼のように硬化させる。

ガァァァァァァンッ!!

 突進してきた傭兵の鋼鉄杭が、テオの盾に真っ向から激突した。

火花が激しく散り、凄まじい衝撃波が路地のゴミや木箱を吹き飛ばす。テオの太い腕の筋肉が悲鳴を上げ、靴底が石畳を深く削りながら後退させられる。

「ぐぅっ……!ただの力任せじゃない……杭の先端から、魔力の衝撃波が撃ち出されてる……!」

テオが顔を歪める。彼らの兵器は、確実に相手を殺傷するためだけに設計された悪辣あくらつな代物だった。


「テオの盾を無理やりこじ開ける気よ!気をつけて、次が来るわ!」

後方でナディアが黄金の羅針盤を掲げ、鋭く警告する。彼女の羅針盤は、敵の機械仕掛けの動きと、その魔力の流れを正確に読み取っていた。

「ゼノリス、右側の二人の足元!動力パイプの継ぎ目がもろい!」

「了解だ!」

ゼノリスは黒い剣を抜き放ち、弾かれたように駆け出した。

右方から迫る二人の傭兵が、ゼノリスを挟み撃ちにしようと鋼鉄の腕を振り上げる。だが、ナディアの指示を受けたゼノリスの動きに一切の迷いはなかった。

彼は身を低く沈め、振り下ろされる鉄拳を紙一重でかわすと、炎と風の魔力を剣に纏わせ、傭兵の脚部、強化外骨格の関節部分を正確に斬り裂いた。


 ギィィィンッ!

「なっ……馬鹿な、この装甲をあっさりと……!」

動力パイプを切断された傭兵の一人が、バランスを崩して膝をつく。

「よそ見してる暇はないぜ!」

その直後、傭兵の足元に伸びていたゼノリスの影の中から、音もなくカシムが飛び出した。 「影縫い(かげぬい)!」

カシムが放った黒い刃が、体勢を崩した傭兵の背中の魔力タンクを正確に貫く。プシューッという音とともに青白い魔力が噴き出し、外骨格が完全に機能停止して重い鉄の塊と化した。


「……ちぃっ! チョコマカと動き回るガキどもめ!」

部隊を率いるリーダー格の大男が忌々しげに舌打ちをし、自身の右腕に装着された分厚い鋼鉄杭パイルバンカーを、ゼノリスへ向けて構え直した。彼の背中に背負われた巨大な魔力タンクが、不気味な赤黒い光を放ち、プシューッと高温の排気ガスを路地に撒き散らす。

「ただの力任せの若造じゃないことは分かった。……だが、ギルダーの金と技術の結晶であるこの装甲は、お前たちのような貧弱な刃では決して貫けない!」

 大男が地を蹴った。石畳が爆発したように砕け散り、凄まじい速度でテオへと突進する。右腕の鋼鉄杭が限界まで後方へ引き絞られ、強烈な魔力の推進力を伴って射出された。


「テオ、正面からの衝撃は防ぎきれるか!」

「ああ、任せろ!俺の盾は、こんな鉄クズには絶対に砕かれない!」

テオが地鳴りのような雄叫びを上げ、漆黒の重盾を両手で前に突き出す。


 ガァァァァンッ!!

盾と鋼鉄杭が激突し、耳をつんざくような金属音が路地裏に反響した。凄まじい衝撃波が走り、テオの巨体が靴底から石畳を削りながら数歩後退する。

「ぐおおおっ……!」

テオは顔を歪めながらも、両足で地面を深く踏みしめ、決して盾を退かなかった。大男の顔に、信じられないものを見るような驚愕が浮かぶ。


「ゼノリス、次よ!敵の足を止めれば、右腕の関節の防壁に致命的な隙ができるわ!」

ナディアが黄金の羅針盤を掲げ、敵の絶対的な隙を『予測』して叫んだ。


「フィリー!」

「はい!『黄金の茨』!」

ゼノリスの呼びかけに即座に反応し、フィリーネが白銀の杖を振り抜いた。

大男の足元の石畳を突き破り、魔力で編まれた黄金色の茨が束となって一気に隆起する。茨は巨大な強化外骨格の脚部に深く絡みつき、大男の動きを強引にその場へ縫い留めた。 「なんだ、この鬱陶しい草は!」

大男が力任せに脚を振り上げようとするが、茨は切れるどころか、さらにきつく鋼鉄の装甲を締め上げていく。


「これで終わりだ!」

ゼノリスは弾かれたように地を蹴り、一瞬で大男の懐へと飛び込んだ。

彼が手にした黒い剣の刀身に、風の鋭さと火の熱が螺旋を描いて収束していく。それは、ただの力任せの斬撃ではない。敵の機械仕掛けの駆動を完全に断ち切るための、極限まで研ぎ澄まされた一撃だ。

「喰らえ!」

ゼノリスが渾身の力を込めて剣を振り下ろす。炎と風を纏った刃が、ナディアが指し示した右腕の関節の隙間へと正確に吸い込まれた。

 ギィィィィンッ!

激しい火花が散り、鋼鉄の装甲が深々と切り裂かれる。剣の先端から流し込まれたゼノリスの魔力が、大男の強化外骨格の内部回路を瞬時に焼き切った。


「ば、馬鹿な……。俺の、無敵の装甲が……!」

プシューッという甲高い音と共に、大男の背中のタンクから魔力が激しく漏れ出し、巨大な外骨格が完全に機能を停止した。大男はバランスを崩し、ただの重い鉄の塊となった外骨格に引きずられるようにして、地面にドスンと膝をついた。

 残っていた二人の傭兵も、カシムの影魔法による奇襲と、テオの重い盾の殴打によって、すでに無力化されて地面に転がっている。

路地裏に、不気味な金属の駆動音が消え、静寂が戻った。

「……やったか」

ゼノリスが剣を振って刃の汚れを落とし、鞘に収める。

テオも大きく息を吐き、盾を背負い直した。フィリーネが駆け寄り、テオの腕に淡い治癒の光を当てて負担を和らげる。

「ありがとう、フィリーネ。でも、あんまり無理しないでくれよ」

「これくらい平気です。……お兄様も、お怪我はありませんか?」

「ああ、大丈夫だ。ナディアとカシムのサポートのおかげで、最小限の動きで済んだよ」

 だが、安堵の時間は短かった。

遠くの方から、けたたましい警報のサイレンが鳴り響き始めたのだ。

「……まずいな。街の警備システムが、この戦闘の魔力反応を感知したらしい」

ナディアが羅針盤を覗き込み、顔をしかめた。

「あちこちから、複数の部隊がこっちに向かってきているわ。さっきの普通の警備兵よりも、もっと数が多いみたい」

「長居は無用だ。俺についてこい!」

カシムが素早く周囲を確認し、路地の奥にある古びたマンホールの蓋のような鉄の扉を指差した。

彼は影の刃を使って錆びついた鍵を容易く破壊し、重い扉を持ち上げる。そこからは、地下水路特有の湿った冷たい空気が漏れ出してきた。

ゼノリスたちはカシムの後に続き、急いで地下へと降りていく。全員が入り終えた直後、カシムが内側から扉を閉め、影の魔力で隙間を完全に塞いで封印した。

直後、彼らの頭上を、重い金属の足音と、監視ドローンのけたたましい駆動音が通り過ぎていくのが聞こえた。間一髪だった。


「……ふぅ、危なかったな。こっちだ、足元に気をつけろよ」

カシムは手のひらに小さな影の火を灯し、暗い地下水路の先導を始めた。

水路は古く、至る所の石壁が崩れかけていたが、カシムは迷うことなく複雑な分岐を抜けていく。彼はこのギルダーに潜伏して以来、一人でこのような裏道をくまなく歩き回り、巨大な機械都市の構造を頭に叩き込んでいたのだ。


「カシム、よく一人でこんな複雑な地下道を見つけられたな。まるで、この街の裏側を知り尽くしているみたいだ」

ゼノリスが歩きながら感心したように尋ねると、カシムは前を向いたまま少しだけ肩をすくめた。

「地上の警戒網が厳重でね。この数日、ずっと影に潜みながら、奴らのスキャンが届かないルートを開拓してたのさ。……もうすぐ着くぜ。俺が見つけた、誰にも見つからない隠れ家に」


三十分ほど薄暗い地下道を歩き続けた後、カシムはある行き止まりの壁の前で立ち止まった。彼は壁の特定のレンガを順番に押し込むと、音もなく壁の一部がスライドし、隠し扉が開いた。

「ここだ。中に入りな」

ゼノリスたちが足を踏み入れたのは、廃棄された旧市街区の地下にある、広々とした空間だった。

床や壁は古い石造りだが、カシムが独自に集めてきたらしい生活物資や、武器の手入れ道具などが部屋の隅に整然と積まれている。中央には木製のテーブルと数脚の椅子があり、壁際の小さな魔導コンロからは、暖かな熱が部屋を温めていた。

「……すごい。こんな隠れ家を一人で作っていたのね」

ナディアが感心したように部屋を見回す。

「地下の廃棄区画さ。上はすでに誰も住んでいない廃墟だから、熱源や魔力反応を隠すにはちょうどいいんだ」

カシムは扉をしっかりと閉め、部屋の隅の魔導灯に火を入れた。柔らかな光が、五人の顔を照らし出す。

「とりあえず、ここは安全だ。ギルダーの監視網も、ここまで深くは届かない。……まずは座って息を整えてくれ。温かい飲み物くらいは出せるぜ」

カシムの言葉に、ゼノリスたちはようやく肩の力を抜いた。

テオはドスリと椅子に腰を下ろし、フィリーネも静かに息を吐いてゼノリスの隣に座る。

 ゼノリスは、テーブルの上に置かれたギルダーの粗末な地図を見つめた。

「ありがとう、カシム。お前がいてくれて本当に助かったよ」

「礼はいいって言っただろ、リーダー。……それより、お前らがここに来たってことは、いよいよこの狂った街の『大元』を叩き潰す覚悟が決まったってことだな?」

 カシムの真剣な瞳が、ゼノリスを真っ直ぐに見据える。

ゼノリスは力強く頷いた。

「ああ。スラム街で見たあの非情なシステム……人間の命をただの燃料として使い潰すやり方を、これ以上野放しにはしておけない。世界に悪意をばら撒く元凶がこの街にあるなら、俺たちの手で完全に終わらせる」

「上等だ。俺も、この街を調べていくうちに胸糞の悪い事実をいくつも掴んだ。……明日にでも、俺が掴んだ情報をすべてお前たちに共有する。この国の中心にある巨大な『大魔導炉』と、その地下深くに眠る三千年前の遺構……『忘却の祭壇』のこともな」

 カシムの言葉に、ゼノリスの右手の火傷の痕が微かに熱を帯びた。

忘却の祭壇。その言葉の響きには、かつて彼らが死線を潜り抜けた「忘却の監獄」と同じ、古く重い歴史の影が潜んでいる。

ギルダーという欲望の鉄都市の裏側で、一体何がうごめいているのか。

ゼノリスたちは、カシムの用意した温かいお茶で乾いた喉を潤しながら、これからの過酷な戦いに向けて静かに決意を固めていくのだった。

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