意気の上がらぬ出立
起きるなり、カイトは呟いた。
「また懐かしい夢を」
立ち上がり、全身の筋を伸ばす。毛布を敷いたとはいえ床に寝たためか、少しばかり体が痛い。だが、それもすぐに消えた。野営に慣れた体である。
ベッドの上で、イナンナが丸くなって眠っている。夢見がよくないのか、渋い顔つきだ。カイトはイナンナの頬をつまんで引っ張った。ううん、と声を出し、イナンナがうっすらと目を開ける。
「カイト、おはよう」
きょとんとした顔である。が、すぐに状況を思い出したらしい。がばりと身を起こす。
「ジャスミンのとこ、行かなきゃ」
「おう、支度しないとな」
夜明けは近い。
カイトとイナンナが居間に出ると、既にモスが支度をすっかり終えて待っていた。
「うまいこと説明してくれよ」
「俺に任せるのか?」
カイトは顔をしかめる。ミランから許しを得られるかどうかは、正直なところまったく予想できない。モスは太鼓腹をゆさぶって笑う。
「なあに、期待はしとらんさ」
カイトが複雑な表情を浮かべる。その横で、イナンナがクスクスと笑った。許可があろうとなかろうと、モスはついてくるのだろう。
三人が街の門へ着くと、既にミラン達は待っていた。昨日までと違うのは、荷馬車がなく、そのかわりに大仰に飾り立てられた二頭立ての馬車が伴っていることである。ミランがカイトを見、その横にドワーフを連れているのを見て、嫌悪感をたっぷり含んだ表情を浮かべた。
「泥臭いのが増えたね」
それを遮るように、ジャスミンが声を上げた。
「モス!」
駆けよってきて、ドワーフの首に抱きつく。
「心強いわ、あなたが一緒に来てくれるなんて」
その視線が、ちらりとカイトに向いた。カイトもジャスミンと目を合わせた。気付いたように目を見開き、言う。
「何かあったか?」
「懐かしい夢を見ただけよ」
ジャスミンは低く答える。その眼差しが、イナンナのほうへ動いた。イナンナはきょとんと小首を傾げた。ジャスミンは優しげに目を細めた。姿勢を正してドワーフから離れ、ジャスミンはミランに向く。
「サロは石造りの遺跡でしょ。だったらやっぱり、そういうのに詳しいドワーフがいなくちゃ」
でしょう、と愛想良く微笑む。モスは、うむ、と頷いた。ミランはまだ嫌悪を丸出しにしてモスを睨んでいたが、モスはその視線を全く気にしなかった。
諦めたように、ミランは馬車へ声をかけた。
「メルクリア、お許しを頂けるだろうか?」
「わらわは、どうでもよいぞ」
馬車の扉のカーテンが引かれ、派手な化粧を施した女性が顔をのぞかせる。彼女はイナンナを見止めた。
「おや、ヴィナじゃないかえ? 久しいのう」
イナンナがびくりと身を震わせた。一歩、下がる。メルクリアは扇を広げて口元を隠し、ふふ、と低く笑った。
「おや、わらわを覚えてないかえ?」
イナンナの手が、ぐ、と拳を握った。唇を引き締め、少女は顔を上げた。
「ヴィナじゃない。その名前には、もう戻らない」
視線がぶつかる。メルクリアは少しばかり驚いたように少女を見つめていたが、やがて声を上げて笑った。
「おやおや、強気なこと。選ばれし力ある身でありながら、凡夫と交わって何が楽しいのか、わらわにはとんと理解できぬがのう」
イナンナが言い返そうと息を吸い込んだが、彼女の言葉が声になる前に、メルクリアはカーテンを引いてしまった。イナンナは息を息のまま、ゆっくりと吐き出した。不満げに目を伏せ、唇を尖らせる。
ミランがわずかに苛立ちの含まれた声をかけてくる。
「さて、もう充分だろう? それでは出立するよ」
一行は街の門から外へ出た。目の前に広がるのは、見晴らしの良い草原だ。その先に、全ての生命から避けられた寂しい遺跡、サロが建っているはずだ。




