道中の一戦
銀灰の遺跡サロへは、道なき道をひたすら進むだけだ。誰もが忘れようとする場所、誰もが近づくことを忌避する場所。街道など敷いてあるはずもない。
ジャスミンは空を仰いだ。雲が重たげに空を覆っている。しかし、風のなかに水の匂いはしないから、雨は降らないだろう。
広い草原には目印と呼べるものもなく、少し間違えればすぐに迷ってしまいそうだ。太陽があれば方角だけは確かだったろうが、今はそれも望めない。サロと思われる方向へ、歩を進めるしかない。道がないにも関わらず、馬車は静かに草を分けながら進んでゆく。ごとりと揺れることもない。ジャスミンはその車輪を見て、納得した。細かな魔導紋様が刻まれている。乗り手を守り、長旅を守護するための術だ。貴族たちのために編み出された、魔導研究院の自慢の魔法である。ジャスミンは思わず、皮肉めいた笑みを浮かべた。まだ幼いジャスミンがエグナータに暮らしていた頃、兄が興奮ぎみに話すのは、いつも研究院の成果のことばかりだった。家族のことには全く興味を示さない兄だった。だが今、その兄の無駄話が、ジャスミンの知識の一端を担っている。いささか不満ではあるが、認めざるをえない。
カイトが低く声をかけてきた。
「ジャスミン、んな不細工な顔して、どうした?」
ジャスミンは彼を睨みつつ、なんでもない、と返す。カイトは、学問的なことにはほとんど興味を示さないから、言っても無駄だろう、とジャスミンは思った。
十数人と馬車が、草をかき分けて進む音だけが聞こえている。辺りは静かだ。遠い空を、鳥が横切ってゆく。ジャスミンは足を止めた。弓を手に取って弦を張り、矢筒の蓋を開ける。カイトもまた横で剣を抜いた。シノビたちが静かに陣形を組み、馬車と、鳥に乗る主人を守る体制を整えた。
モスは斧を肩に担いだまま、両足を踏ん張って泰然と構えている。カイトがそこへ近づいて、なんだろう、と訊ねた。
「わからん。が、あまり歓迎したい客じゃねえのは確かだ」
ヒイラギが二人の背へ、声をぶつける。
「任せていいのだろうな?」
モスがふんと大きく鼻を鳴らした。カイトはヒイラギに向いて頷き、前に出る。今、大勢の足音が近づいて、こちらを包囲しようとしているのは明らかだった。ジャスミンはイナンナを横目で見た。
「嫌かもしれないけど、ミランを頼んだわ」
「大丈夫、イナンナもお仕事するよ」
答えるイナンナは、まるで誰かと繋いでいるかのように、手を伸ばしている。ジャスミンは察した。守護魔がじゃれているに違いない。すでにイナンナは戦いの準備を整えている。
草の陰から、大量の投石が放たれた。一つ一つは小さな礫であるが、それらが空を覆い、雨のようにこちらへ降り注いでくる。
「風の子、ファ=ディハド、逸らして」
横薙ぎの突風が、それらを払い、周りに落とす。ジャスミンは走り出て、落ちた石の数を確かめる。原始的ではあるが、武器は武器だ。勢いよく、そしてわりと正確にこちらへ飛んできたことを考えると、相手はスリングを使っているらしい。野盗ならばもう少し街道沿いに出るだろうし、もう少しましな武器を扱えるはずだ。クロスボウさえ使ってこないならば、人ではない。武器を扱うことのできるモンスターは限られている。
「丘ゴブリンの群れだわ、こんな街の近くに」
「こっちには街道がないからな、巡視兵も気づかないんだろ」
カイトが答えながら、ぐっと姿勢を下げた。彼の全身の筋が張りつめていく。ジャスミンは弓に矢を番え、引き絞った。大群相手では矢の消耗が激しいので、できれば撃ちたくはない。苦々しく思いながら、敵が隠れているであろう草陰に視線を走らせる。
「五十はいるわ、多い」
「手を貸そうか?」
ミランが面白がるように、言葉だけを向けてくる。
「黙っとれ、小僧!」
モスが吼えた。担いだ大斧を振りかぶり、踏みだす。近づいてくる敵を草ごと薙ぎ払い、吹き飛ばす。潜んでいたはずのゴブリンたちが、木端のように軽々と飛んでいき、草の中に落ちる。
丘ゴブリンたちは子どもくらいの背丈ながら力は強く、細長い手足に腹だけは醜く太って、爬虫類じみた巨大な目玉に、大きく突き出た鼻を持っている。そこそこ知恵が働き、原始的な棍棒や投石を武器として扱うことができ、集団で獲物を襲う。繁殖力も高く、あちらこちらで目撃されては退治され、また湧いて出る。
モスはゴブリンの群れのなかに突っ込んでいた。彼が斧を一振りするたび、ゴブリンが宙を舞う。斧の直撃を浴びたゴブリンが枯れ木のように折れて倒れる。斧は相手を斬るのではなく、断ち割り、叩き潰し、粉砕した。大群を相手の戦いでは、モスほど頼もしい味方はいない。
別の方向へカイトが飛び出してゆく。ゴブリンたちはモスをさけ、それよりは細身のカイトをめがけて群がってくる。が、カイトは口角を上げた。彼の瞳は、捕食者の光を宿している。
スパン、と軽い音を立てて、ゴブリンの首が飛んだ。そのままカイトは身を翻し、別のゴブリンを袈裟がけに斬りおろす。下げた剣の切っ先を上げて、別のゴブリンの下あごから脳天へ貫き、そのまま相手を押し倒しながら剣を引き抜いて前へ出た。姿勢を低く構えながら剣を横薙ぎにする。ゴブリンの腕が引きちぎられて落ちる。悲鳴。
ジャスミンは二人の戦いを見ながら、高揚する気を抑えていた。モスの背後へ一撃をくらわそうと棍棒を振り上げるゴブリンへ一射。首の後ろに矢が突き立ち、崩れる。カイトの背後へ忍び寄ろうとするゴブリン三匹へ、続けざま撃つ。よく鍛えた速射は狙いを過たず、ゴブリンたちに悲鳴を上げさせる。カイトが気づいて一匹を蹴り上げ、一匹の背へ剣を突き立て、一匹の喉骨を踏み折った。
混戦状態では、イナンナは手が出せない。彼女の魔法はあまりにも大規模すぎるのだ。だが、彼女の声はジャスミンの背後から、時おり聞こえてくる。
「守って、水の子、メイ=ディハド!」
だからジャスミンは振り向かない。カイトもこちらに一瞥もくれない。イナンナとともに戦うのが初めてであるモスさえも、ただ前に進むことをためらわない。
数が半分ほどにまで減らされたあたりで、ゴブリンらはやっと、自分たちが敵わぬ相手に挑んでしまったことを悟ったようだった。ギッギッと言語にならない合図を互いに飛ばしあい、じりじりと退きはじめる。ならば、深追いするつもりはない。ジャスミンは、引いた弓を緩めた。ゴブリンが一匹、また一匹と逃げてゆく。カイトはそれらを追い立てるように、剣を振り回している。モスは斧を構えたまま、巨岩のごとく動かない。
すべてのゴブリンが逃走した、と確信できたのか、モスが斧を下ろした。カイトが大きく息を吐き、剣を見て顔をしかめる。血に濡れた剣はすぐ鈍る。モスとカイトはすぐに、刃についた血をぬぐい始めた。ジャスミンはイナンナを振りかえった。彼女は座りこんでしまっているのか、草の陰に隠れて見えなかった。が、確かにそこにいる証拠に、ミランが愉快そうにその場所を見下ろしていた。
腹にふつふつと苛立ちが湧いてきて、ジャスミンは思わずミランに噛みついた。
「予言の母がいっしょにいれば、危険はないんじゃなかったの?」
と、馬車のカーテンが静かに開き、メルクリアの声が聞こえた。
「危ういようには見えなんだが、わらわの見間違いかのう?」
ぐ、と喉の奥で唸るジャスミン。確かに、百も二百もいるならともかく、あの程度のゴブリンであれば、あしらえないはずもない。とはいえ、ひとたび戦いになれば何が起こるかわからないのだ。だからこそ、ジャスミンもカイトも、かつてモスに、欲をかいて不必要な戦いを呼ぶな、ときつく教えられた。たとえゴブリンが一匹でうろついていても、それが倒すべきモンスターでないならば、手出しをするな、と。
モスがジャスミンの横に立って、鼻の穴を膨らませる。
「わしらを消耗させて、お前さんらに利があるのか、え?」
まさか、と答えたのはミランだ。
「危険な戦いにならない、と判断したからこそ、メルクリアは何も言わなかったのだ」
失礼ながら、と彼は薄く笑う。
「そちらのドワーフの実力を測りかねたので、ぜひ戦うところを見たかった、というのもあるが」
「ぬけぬけと」
モスは鼻面に皺をよせ、歯をむき出した。ホートルノックに大使として訪れているミランが、つい数年前まで筆頭戦士だったモスを知らないはずがない。確かに、空白期間はあるが、それで急速に衰えるほど、モスは老いていない。少なくとも、カイトとジャスミンに劣らないことは、ミランの目であれば推測できておかしくないはずなのだ。
ジャスミンは苛立ちと不信感をあらわにした。カイトをちらりと見ると、彼もまた怪訝な顔でミランを睨んでいる。だが、ジャスミンがどれだけ腹の底を探ろうとも、ミランからはなにも読み取ることはできなかった。カイトも同じだろう。
モスが大きく咳払いし、磨いた斧に覆いをかぶせてベルトに下げた。
「坊やが使えると思うんなら、わしはまだ使えるんだろう。どうだ?」
「もちろん、期待しているとも」
ミランはあくまでも鷹揚な態度であり、それは挑発しているようでもあったが、モスはそれに応じなかった。ジャスミンは意外に思って目をしばたかせた。誇り高いドワーフの彼が、ミランへ侮辱されたと怒りをぶつけることもしないのだ。がジャスミンはすぐに、モスの真意を察した。モスはミランを見下しているのだ。ミランの言葉を正面から相手するというのは、かえって我慢ならないことであるに違いない。だからモスは、生意気な若造に言いたいだけ言わせている、という態度を貫いている。
「さすがはモス、歳の功ってやつね」
思わず、呟いた。本来であればエルフであるジャスミンも、気が長くてあしらい上手であるはずなのだが、どうもほかの者に比べて、感情のままに生きすぎている。自覚はあるが、ジャスミンはそれを自分らしさだと前向きにとらえており、直す気はない。しかし今この時は、モスの余裕が羨ましかった。




