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王宮を追放された俺、万能薬を大量生産して貧民街から世界を救う  作者: レモンティー


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第九十四話 王国の貧民街は、もう存在しない

新しい街の完成式で、元住民の老人が王女に鍵を返そうとした。

「隣の家の人が遠くへ移された。こんな立派な家に一人で住んでも仕方がない」

リーナは式典を止め、住民の移転先を地図に書き込ませた。

水道も診療所も整ったのに、互いを支えていた隣人のつながりが切れていた。

王女は空き住戸の再配分と家賃補助の見直しを指示し、住民組合が移転先を選ぶ会議を設けた。


数週間後、老人は新しい家の窓を開けた。

向かいの窓から昔の隣人が手を振る。

かつての家の壁に刻まれていた子供の背丈の印は、二人で相談して広場の記念板に残した。

「昔に戻りたいわけじゃない。でも、昔の人まで置いてきたくなかったんだ」

リーナは完成式の記録に

「住み続けられる街」

と書き足した。

開院式の拍手が止むと、看護師は待合室の隅で眠る親子に気づいた。

母親は診察券を持っていたが、文字が読めず順番を逃していた。

マリシアは掲示を絵と番号でも示すよう頼んだ。

制度は建物が完成した日ではなく、入れなかった人が入れる日に始まる。

新しい街には学校と浴場があり、夜でも明かりが灯る。

だがリーナは案内の途中で足を止めた。

「家賃が上がって、昔からの住民が住めなくなりかけたこともあったんです」

医療が普及しただけでは街は完成しない。

住民組合が土地の買い占めを防ぎ、家賃補助と共同住宅を整備したと聞き、レイヴンは深く頷いた。

街の水道を案内したのは、かつて路上で眠っていた少年だった。

今は水路の保守責任者だという。

彼は蓋を開け、砂を濾す仕組みを説明した。

「壊れる前に直すんです」

レイヴンは感心した。

薬が人を救い、その人が街を守る仕事に就く。

そうして革命は自分の手から離れていく。

広場では市場が開かれていた。

かつて薬を買えなかった母親が、今はパン屋を営んでいる。

彼女は焼きたてのパンを差し出した。

「うちの子が学校に通ってるの。あの頃は明日まで生きられるか、そればかり考えてた」

レイヴンは金を払おうとしたが、母親は受け取らなかった。

「じゃあ、次に来たお腹の空いた子に渡して」

二人は顔を見合わせて笑った。

診療所では、マリシアの教え子が患者を診ていた。

彼女はレイヴンに気づかず、手順どおりに薬の製造番号を確認し、患者に説明している。

レイヴンは声を掛けず、廊下から見守った。

自分がいなくても、正しいことが続いている。

その光景が何より嬉しかった。

学校では子供たちが工房の歴史を劇にしていた。

レイヴン役の子が

「金貨一万枚だ!」

と叫び、周囲の子供たちが大げさに倒れる。

本人は苦笑したが、リーナは声を上げて笑った。

笑い話にできるほど、薬が遠い存在ではなくなったのだ。

夕方、古い住民たちが小さな食卓を囲んだ。

亡くなった人の席も、空いたまま一つ用意されている。

「街がよくなったからって、あの頃のことを忘れたくないんだ」

と老人が言った。

レイヴンは頷いた。

救えなかった人々の名前は、診療所の裏庭に刻まれていた。

祭りの音が届く場所で、彼は一つずつ名前を読んだ。

夜、街の入口に掲げられた新しい看板を見た。

「薬と水と学びの町」

貧民街という呼び名は消えたが、そこに暮らす人々の記憶は消えていない。

リーナは言った。

「先生が最初に来た日、私はここで死ぬと思っていました」

レイヴンは彼女の横顔を見た。

「今は?」

「明日、学校の子たちに教えることを考えています」

その答えが、この街の変化そのものだった。

夕食の席で老人が昔の井戸の話をした。

水を汲むだけで半日かかり、熱を出した子供を背負って坂を上ったという。

若い住民は驚いた。

レイヴンは昔を美談にしなかった。

苦しみは繰り返す必要がない。

だからこそ、記憶だけは残しておく。

新しい町の評議会では、古い住民と移住者が市場の場所をめぐって争っていた。

レイヴンは口を出さず、会議を見守った。

議長を務めるのは、かつて彼が治療した女性だ。

彼女は双方の話を聞き、子供が通る道を塞がない配置を提案した。

自分たちで町を運営する力が育っていることに、レイヴンは目を細めた。

記念診療所の裏手には、最初の患者たちが植えた小さな木があった。

枝は屋根より高く伸び、夏には木陰を作るという。

リーナは幹に触れ、

「私もこの木より小さかったんです」

と言った。

レイヴンは笑った。

命を救うとは、時間を渡すことなのかもしれない。

成長する姿を見られることが、何よりの報酬だった。

レイヴンが帰る頃、街灯が一つずつ点いた。

昔なら夜道を恐れて走った場所を、子供たちが歌いながら歩いていく。

彼は足を止め、歌が角の向こうへ消えるまで聞いていた。

新しい浴場の入口には、料金を払えない人のための利用券が置かれていた。

町の商人が少しずつ寄付しているという。

レイヴンは感心した。

王の命令でも、錬金術の奇跡でもない。

住民が自分たちの暮らしに必要だと思って作った仕組みだった。

町の診療所では、以前のように薬の配給をめぐる争いが起きなくなった。

受付には順番と緊急度の説明が貼られ、医師が不足すると隣町から応援が来る。

マリシアの教え子は

「まだ完璧ではありません」

と言った。

レイヴンは答えた。

「完璧じゃないから、毎日直していける」

リーナは子供たちに、昔の貧民街の絵を見せた。

泥の道と崩れた家々を見て、一人が

「どうして誰も直さなかったの」

と尋ねた。

大人たちは答えに詰まった。

レイヴンは

「直せないと思い込んでいた人が多かったんだ」

と話した。

「だから君たちは、困ったことがあったら声を上げていい」

広場の古い井戸の前で、リーナは幼いころの自分と同じ年の少女に出会った。

「ここ、本当に貧民街だったの?」

少女は学校帰りで、手には給食のパンがあった。

レイヴンは答える前にリーナを見た。

リーナは頷き、

「昔は、ここで明日の食べ物を探していたの」

と話した。

少女はパンを半分に割った。

「じゃあ、今は一緒に食べよう」

レイヴンはその小さな手を見つめ、どんな表彰状よりも長く忘れないと思った。

市場の帰り道、レイヴンは小さな花屋を見つけた。

店主はかつて診療所で働いていた女性だ。

病気の人を助ける仕事を離れ、今は花を売っている。

「普通の暮らしがしたかったんです」

と彼女は笑った。

レイヴンは花束を買った。

人が好きな仕事を選べることも、病から自由になる意味の一つだった。

学校帰りの子供が転び、膝を擦りむいた。

近くの大人が水で傷を洗い、清潔な布を当てた。

大騒ぎにはならない。

小さなけがを小さなまま終わらせられることも、街の変化だった。

町の議事録は誰でも読める場所に置かれていた。

字が読めない人のため、週に一度、広場で内容を読み上げる。

レイヴンはその工夫を聞いて、工房の公開手順書を思い出した。

夜、診療所の窓から明かりが漏れていた。

急患が運ばれてきたのだ。

レイヴンが駆け寄ろうとすると、若い医師が手際よく処置を始めた。

彼は足を止め、静かに見守った。

町の図書室には、最初の工房で使われた手順書の写しが置かれていた。

子供たちは難しい図を眺め、何が書いてあるのか尋ねる。

司書は

「昔、ここで命を救う薬を作ったんだよ」

と答えた。

子供たちは驚き、次に

「今はどこでも作れるの?」

と聞いた。

再開発の半年後、住民組合は広場に小さな掲示板を設けた。

水道の故障、家賃の相談、夜間診療の予定を、文字と絵の両方で知らせるためだ。

かつて路上で眠っていた水路の保守責任者は、掲示板に最初の点検日を書いた。

老人は隣人と一緒にそれを読み、

「今度は直す人の顔が分かる」

と笑った。

リーナは式典の記録より、住民が自分たちで決めた次の予定を大切に保管した。

最初の住民総会で、掲示板の修繕費を誰が払うかという小さな争いが起きた。

新しい街を作った役人は予算を用意していたが、住民たちは自分たちで使い道を決めたいと言った。

リーナは議長の席を譲った。

かつて雨漏りのする家に住んでいた老女が、掲示板より先に夜道の灯りを直そうと提案する。

採決が終わり、若い水路係が作業日を黒板に書いた。

街が生まれ変わった証拠は、新しい石畳だけではない。

そこに暮らす人々が、自分たちの明日を決められるようになったことだった。

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