第五十八話 最高司祭の奇跡は偽物だった
暗殺者の落とした金具を手掛かりに、調査班は神殿の地下倉庫を捜索した。
棚には古い錬金瓶が並び、王宮の旧研究所と同じ刻印があった。
レイヴンは瓶の口に残る結晶を調べ、エリクサーの前身にあたる成分を見つけた。
神殿の倉庫から出た古い瓶を前に、若い神官は首を振った。
「これを使って治した人もいたはずです」
レイヴンは瓶を壊さなかった。
偽りを暴くことと、過去に救われた人の記憶を否定することは違う。
彼は製法の危険を調べ、治療記録を一件ずつ確かめると決めた。
神殿では高位の治癒師だけが
「神の奇跡」
を行えるとされていた。
しかし記録には、儀式の前に特定の薬液を使う手順が書かれていた。
祈りが人の心を支えることと、薬を隠して権威に変えることは別の問題だった。
マリシアは神殿の古文書と王宮の研究記録を照合した。
記号の並びが一致し、同じ魔力周期を利用した技術だと分かる。
レイヴンは第3話で見た
「星の涙」
の記述を思い出した。
神殿の資料室には、薬の使用を記した古い帳簿が何十冊も積まれていた。
どの頁にも高額な献金の記録があり、患者の同意を確認する欄は存在しなかった。
ノルドは神殿で見た儀式の準備を証言した。
薬瓶は布で隠され、患者には説明されなかったという。
彼は震えていた。
自分の信じたものがすべて嘘になるのではないかと恐れていた。
王女は公開審問を開く前に、複数の研究者へ成分分析を依頼した。
レイヴン一人の言葉では、敵意による捏造と疑われるからだ。
三つの研究所から同じ結果が届いた。
事実は誰が測っても同じ形を示した。
ルシアンは薬液は儀式の補助であり、奇跡そのものは神の力だと主張した。
マリシアは静かに尋ねた。
「では、患者にはその薬を使ったことを説明しましたか」
最高司祭は答えられなかった。
審問の場でレイヴンは古い薬液と現代のエリクサーの共通成分を示した。
さらに旧式薬液には危険な不純物が残ることも証明した。
観衆は息を呑んだ。
奇跡の秘密が、錬金術の検査表に書かれていたのだ。
レイヴンは分析結果を説明するとき、信仰そのものを嘲笑しないよう言葉を選んだ。
人々の祈りを利用した者の責任と、祈った人々の願いは分けて考えるべきだった。
神殿の古い薬庫には、製造年月日を削った瓶が並んでいた。
マリシアは検査官に封印を頼み、元神官に保管台帳の読み方を教わった。
奇跡と称した治療に薬が使われていた証拠は揃いつつある。
しかし薬を使ったこと自体は罪ではない。
寄付金をだまし取った記録と、治療を拒んだ命令を別々に立証する必要があった。
神殿の老神官は、長年祈りを捧げた人々を愚か者と呼ばないでほしいと訴えた。
レイヴンは頷いた。
「誰かを信じたことが罪なのではありません。その信頼を利用して真実を隠したことが罪です」
公開審問で、かつて神殿の薬を飲まされた女性が立ち上がった。
「奇跡のために家を売りました。効いたことには感謝しています。でも、あの薬が普通に買えると知っていたら、娘の学費を奪わずに済んだ」
最高司祭は
「信仰への献金だ」
と言い張った。
マリシアは瓶の成分分析表と献金台帳を並べ、同じ薬液に患者ごとに違う金額が付けられていたことを示した。
女性は証言台を降りると、隣に座る娘の手を強く握った。
かつて神殿で治療を受けた女性が、莫大な献金のため家を売ったことを語った。
薬の存在を知っていれば、別の選択ができたかもしれない。
彼女の言葉に、広場のざわめきは静かな怒りへ変わった。
調査班は過去の治療法を封印した命令書も発見した。
高価な儀式を維持するため、安価な治療技術の普及が妨げられていた。
マリシアは紙を見つめた。
救えたはずの人々の顔が、次々に浮かんだ。
公開審問の後、若い神官たちが自分たちで薬の勉強を始めたいと申し出た。
マリシアは教科書を渡し、診療所での実習を約束した。
その日の午後、神殿の公開審問で、元信徒の母親は奇跡の儀式に献金した家族と向き合った。
奇跡の儀式に献金した家族は治療が受けられなかった日付を証言した。
その言葉に、周囲の者は答えを急いだ。
しかし元信徒の母親は、相手が言い終わるまで遮らなかった。
マリシアは薬液の購入記録と儀式の日時を並べ、偶然では説明できない一致を示した。
誰かが
「それで十分ですか」
と尋ねた。
十分だと言える人はいなかった。
それでも、いま確かめられる事実を一つずつ積み上げるしかなかった。
会議が終わるころ、反対の声が上がった。
「そんな手間をかけていたら、間に合いません」
元信徒の母親は窓の外へ目を向けた。
神殿の公開審問には、結論を待つ人がいる。
急ぐ理由は確かにある。
だが、焦りを理由に危険を隠せば、次に失うものはもっと大きい。
「今日できることと、明日まで待つべきことを分けましょう」
反対した者も、しばらくして作業の順序を尋ねた。
夕刻、奇跡の儀式に献金した家族がもう一度戻ってきた。
昼間には言えなかったことがあるという。
元信徒の母親は手を止めた。
相手が恐れていたのは、失敗そのものではない。
失敗を告げたあと、誰にも信じてもらえなくなることだった。
話を聞いていた若い職員は、予定表の一行を消し、代わりに確認の時間を書き込んだ。
小さな変更だったが、現場の人々には意味があった。
ルシアンは証言台を去ろうとしたが、王国の監察官が正式な出頭命令を告げた。
レイヴンは勝利を叫ばなかった。
暴かれたのは一人の嘘だけではない。
長い間、人々を苦しめてきた仕組みだった。
証言台に立った女性は、奇跡の儀式のために家を売ったと話した。
司祭は
「信仰が足りない」
と繰り返したが、監察官は地下倉庫の薬瓶と購入記録を並べた。
女性は司祭を見ず、かつて病床にいた夫の名を告げた。
「祈ることを後悔していません。薬があると知っていたなら、売る必要のなかった家です」
傍聴席で元神官ノルドが立ち上がり、儀式の準備に薬液を運んだ日付を証言した。
地下倉庫から出た薬瓶の番号は、神殿が奇跡を宣言した日の配布記録と一致した。
患者の一人が
「祈りが効かなかったのは信仰が足りないからだと言われた」
と証言する。
レイヴンは瓶を持ち上げた。
「薬が人を救ったことは恥ではありません。薬を隠して、救われなかった人を責めたことが罪です」
証人は初めて、胸元の護符を握りしめずに話し続けた。
監察官は薬瓶の封印を一つずつ照合し、儀式の日付と薬の購入日を突き合わせた。
祈りを捨てろとは誰も言わなかった。
ただ、薬を隠したまま奇跡と称して金を取ったことだけは、患者の前で説明しなければならなかった。
公聴会の出口で、一人の老女がレイヴンを呼び止めた。
「私はあの祈りで救われたと思っていた。今さら全部嘘だったと言われたら、夫に何を話せばいい」
レイヴンは答えを急がなかった。
「あなたが生き延びたことは嘘ではありません。誰が何を隠したのか、そこだけは曖昧にしない」
老女は涙を拭き、翌日の証言席に自分も立つと言った。




