第二十七話 エリクサーの製法を奪えという王命
王命の写しを受け取った作業員たちは、工房が閉鎖されると恐れた。
レイヴンは全員を集め、
「製法を守るのは俺の名誉のためじゃない。患者が明日も薬を手にできるためだ」
と話した。
王女の調査結果が出るまで、検査と出荷を止めないことだけを決めた。
王命を携えた兵士は、薬の配合表を差し押さえようとした。
リーナは机を塞がず、先に患者の注文票を持ち上げた。
「それを運ぶ人まで連れていくのですか」
兵士は一瞬、封印する棚を見失った。
基金設立の翌朝、工房の門前に王宮の馬車が止まった。
降りてきたのは宰相府の役人三人と、武装した衛兵六人。
先頭の役人は羊皮紙を広げ、声高に読み上げた。
「王命により、レイヴン・ノーチスの研究設備、製造記録、薬草農園の管理権を王宮へ移管する」
工房の作業員たちが顔を見合わせた。
「昨日、陛下は独立した製造を認めたばかりです」
レイヴンが言う。
「事情が変わった。従わなければ反逆とみなす」
役人は羊皮紙を突きつけた。
赤い封蝋には王家の紋章が押されている。
ゴルバが前へ出ようとするのを、レイヴンは手で止めた。
「書類を確認させてください」
「王命を疑うのか」
役人は衛兵に合図し、検査室の扉へ封印札を貼らせた。
ちょうどそこには、今夜投与する予定の薬が保管されている。
リーナが走り寄ると、槍の柄が行く手を塞いだ。
「患者の薬まで止める命令ですか」
レイヴンの声は低かった。
「王命なら発令番号と登録官の署名があるはずです。ここにあるのは封蝋だけだ」
役人は番号を読み上げた。
しかしマリシアが携えていた前日の王宮連絡簿には、同じ番号が王女の診療用品の搬入許可として記されていた。
衛兵の一人が槍を下ろした。
「私は王家に仕える兵です。偽りの書類に仕える兵ではありません」
役人は顔を真っ赤にした。
レイヴンはその場で役人を断罪せず、証拠を封じて正式な照会を求めた。
「確認するのは、命令を正しく守るためです」
レイヴンは文面を読み、首をかしげた。
研究設備の移管先が『王宮錬金術師団』になっている。
しかしシュミットの解任後、師団は組織改編の最中で、正式名称が変わったはずだった。
さらに、日付が昨日の謁見より前になっている。
「この命令は、いつ作成されたのですか」
「答える必要はない」
「では、王宮へ照会します」
役人が顔をしかめた。
「時間稼ぎをするな。設備を封鎖しろ!」
衛兵が動きかけたとき、工房の門の外から別の馬車が現れた。
王女エレオノーラの紋章がついている。
王女はまだ長く歩けないため、マリシアに支えられながら降りてきた。
夕方、王宮から正式な回答が届いた。
工房接収命令は発令されておらず、宰相府の書類について調査を始めるという。
ゴルバは胸を撫で下ろしたが、マリシアは
「次も同じように止められるとは限らない」
と言った。
レイヴンは頷き、製造記録の保管方法を見直した。
原料の配合だけでなく、品質検査の結果も別の場所へ写す。
誰かが一冊を奪っても、薬を作る仕事が止まらないようにするためだ。
リーナは紙を運びながら
「秘密の宝物みたい」
と笑った。
レイヴンは答えた。
「宝物だから、みんなで守るんだよ」
「その命令を、私にも見せてください」
役人の顔色が変わる。
「王女殿下。これは宰相府の職務で……」
「父上が昨日、私の前で署名した許可状と矛盾しています」
王女は羊皮紙を受け取り、封蝋を見た。
「この印章、王宮の正式な勅令に使うものではありません。古い補助印です」
役人が慌てて言い訳を始めた。
「緊急の案件ゆえ、代替の印章を……」
「緊急なら、なおさら正式な手続きが必要です」
王女の声は穏やかだったが、退く気配はなかった。
工房の若い作業員は、騒ぎが収まったあとも手を震わせていた。
「もし設備を取られたら、俺たちはどうなるんでしょう」
レイヴンは彼を休憩室へ連れていき、雇用契約書を見せた。
「今日の仕事をした分の賃金は、必ず払う。工房が止まっても、明日からの仕事を一緒に考える」
作業員は驚いた顔をした。
以前働いていた工場では、閉鎖の日に何の説明もなかったという。
レイヴンは、自分が守りたいものが装置だけではないと改めて感じた。
レイヴンは製造記録を抱えていた若い作業員に目を向けた。
彼は震えている。
研究を奪われれば、工房で働く人々の生活も、治療を待つ患者たちの薬も失われる。
「殿下、工房の安全を確認していただけますか」
「もちろんです」
王女は衛兵の隊長を呼び、正式な確認が済むまで設備に触れないよう命じた。
隊長は役人と王女を見比べ、やがて剣の柄から手を離した。
「王女殿下のご指示に従います」
役人たちは引き下がったが、門を出る際に一人が低く呟いた。
「これで済むと思うな」
その日の午後、王女は工房の会議室でレイヴンと向き合った。
王女が帰る前、リーナが小さな花束を差し出した。
「王女様、元気になってよかったです」
王女は驚き、膝を折ろうとしてマリシアに止められた。
「まだ無理をしないでください」
そこで王女は椅子に座り、リーナと目の高さを合わせた。
「ありがとう。あなたも、あの薬で助かったのね」
リーナは頷いた。
「だから、工房を取られたら困ります」
王女は花束を胸に抱いた。
「私も同じです」
レイヴンはそのやり取りを見ていた。
王宮の決定が、ここにいる二人の未来を左右する。
書類の争いは決して紙の上だけの問題ではなかった。
役人たちが去ったあと、ゴルバは門の錠を調べた。
「鍵を増やすか」
レイヴンは少し考え、
「まず来訪者の記録を残そう」
と答えた。
工房を要塞にしたくはない。
患者が入れない場所にしてしまえば、何のための薬屋か分からなくなる。
守るべきものと、開いておくべきもの。
その両方を考えながら、彼らは入口の配置を見直した。
「父上は、こんな命令を出していません。確認しました」
「では、誰が」
「宰相府の書類として作られています。
ですが、発令簿に記録がありません」
王女は手元の写しを広げた。
「王命を装った文書の可能性があります」
レイヴンは第22話の地下研究施設を思い出した。
宰相の署名があった研究日誌。
国王へ届かなかった警告書。
「殿下。七年前の研究について、調べていただけますか」
王女の表情が曇る。
「私の病気に関係しているのですね」
「断定はできません。ただ、調べる価値があります」
王女はしばらく沈黙し、頷いた。
「私は七年間、病室に閉じ込められていました。その間、何が起きていたのか知りたい」
夜、工房では重要な研究資料の複写が進められた。
レイヴンは原本を一か所に置かず、製造記録と品質検査表を分けて保管した。
ゴルバが苦笑する。
「まるで戦争の準備だな」
「戦争にはしたくない。でも、薬が止まれば困る人がいる」
マリシアが窓の外を見た。
門前には、いつものように患者の列ができている。
「明日の薬は作れますか」
「作る。今日も明日も」
レイヴンは作業台に戻った。
王命の真偽を争う間にも、薬を必要とする人は待っている。
その夜、王宮では王女の命令で発令簿の照合が始まった。
宰相府の印章管理簿には、一つだけ不自然な空欄があった。
翌朝も工房の煙突からは薄い煙が上がった。
作業員たちは昨日と同じ時刻に集まり、薬草を洗い、瓶を並べた。
騒ぎを知らない患者には、今日必要な薬がある。
その当たり前を守れたことに、レイヴンは小さく安堵した。




