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GAYAGAの前には多くの若者が開演前のリジンのライブを今か今かと待っている。4列に並んだ人の列は100メートル以上あった。20時から2時間のワンマンライブでチケットは即完売。
立ち見で1500人は入るこのライブハウスは戦後ジャズバーとして立ちあがり、20年ほど前からライブハウスとしてリニューアルした。JAZZのスピリットを引き継ぎながらもポストロックやエレクトロニカ、クラシックの現代音楽なども幅広く扱い、質と演奏技術の高いプロのミュージシャン達がライブを行う。海外からのゲストも多く、レベルの高いハイクオリティなライブを堪能できる。その反面二代目オーナーとなった菊地修也の目利きは厳しく、プロならば誰でもできるという場所ではなかった。アーティスティックなインディーズのバンドの中にはGAYAGAでライブをする事を夢見る者も多い。
リジンは今やここでもっとも観客を集めるバンドの一つであり、他のアーティストにはない独特なオリジナルカラーは唯一無二な存在感を放っていた。
楽屋では菊地とリジンの三人が話しをしている。
「今回で何回目かな?結構うちでやったよね?」
菊地は40代半ば、白髪混じりの短髪は全て逆立っていた。髭を生やし携帯電話を首からぶら下げ、少し出た腹に乗っかっている。ロサンゼルスに18年間滞在し、その間は向こうでライブハウスを経営し、本場仕込みの耳は非常に肥えていた。初代のGAYAGAオーナー、いわゆる菊地の父の死を機に日本へ戻り現オーナーとなった。
「GAYAGAではもう5、6回やってるかな。今や常連ですね。」純平が答える。
「今回は?どんな感じ?」
純平はアキの決めたセットリストを手渡し
「今回はデビューアルバムに入れる予定の新曲を何曲か。あとここで初めてやる曲も何曲かありますね。先週とおととい来た時に音響と照明の人には打ち合わせしてあります。音源渡してありますし。菊地さんいなかったですよね?」
「そうそう、僕はジェイ・リッシュとホテルで打ち合わせだったんだ。」
「マジっすか!リッシュGAYAGA出るの?」
「うん、出たいって向こうからの申し出だったんだ。うちはもう日本じゃ老舗のジャズハウスでもあるからね。」
「いつ?」坂本が聞く。
「再来週の土曜。ちょっと急なんだけどね。」
「リッシュのテナーサックス聴きてーな。」純平が坂本に目をやる。
「だってあいつ幾つよ?あそこまでいくともう伝説だよな。」
「68歳らしいよ。」菊地がニッコリして言う。
「そっか、今日は新曲やるんだね。リハこれから?じっくり見させてもらうよ。頑張ってね。」
菊地はバイブのなった携帯を手に取りながら楽屋を出て行った。
「うっしゃ!んじゃ軽く音合わせすっか。」純平がタバコの火を消して立ち上がり楽屋を出ると二人も続いた。
「ゲッ!すごい人。皆何時から並んでんだろ。」
絵里香はスターバックスのホットラテを片手に真理と二人でライブ会場に到着した。
「久しぶりね、リジンのライブ。真理はほとんどライブ来ないもんね?」
真理はキョロキョロしている。
「ほんとにだいじょぶかなぁ。勝手に見にきたりして。」
「だいじょぶに決まってんじゃん。悪い事してるわけじゃないし。それにあんまり前のほう行かなきゃ分かるはずないって。」
真理はコバルトブルーのストールに口元まで顔をうずめている。
「ははは、だいじょぶよ、そんな隠れなくたって。」
「だってぇ。」
「終わったら楽屋行こうね。」
「えぇ!」真理は目を見開き驚く。
「だって会いに行かなきゃ今日来た意味ないでしょ?」
真理はぶるぶると無言で首を振る。
「まぁとりあえず今はライブを楽しむ事だけ考えよ。お酒も飲んじゃおっかな。」絵里香は背伸びして入り口付近に目をやりながら鼻歌混じりでご機嫌だった。
「あれ?エリカじゃん?」
振り返るとモヒカン頭にサングラスをかけたヒロが声をかけてきた。
ヒロは一種独特なオーラを放っていた。彫りが深く欧米的な顔立ちでモヒカンも大きなサングラスもよく様になっている。
「あぁ!ヒロさん!こんばんわ。今日来たの?」
周囲がざわめき始める。
「うん、久しぶりにリジン見たくなってね。亮太と金谷連れて来た。どんなもんだかお手並み拝見ってとこよ。」
ヒロはフル・レンチェのボーカル、鹿嶋亮太と音楽プロデューサーの金谷を連れて来ていた。
「ヒロさん、その頭じゃバレバレじゃん!少しぐらい変装したら。」絵里香が笑いながら言う。
「構わねーよ。どうせ俺らはVIP待遇で裏口から入るし。」
「えぇー、ずるーい。」
「絵里香も一緒に来いよ。わざわざ並んでねーで。そもそも何で並んでんだよ?」
「あっ、うちらはいいんだ。ねっ?」絵里香が真理に問いだす。
「あっ、あっ、うん。」真理は挙動不審に答える。
「えっ?誰その子?絵里香のお友達?」ヒロが覗き込むように見る。真理はずっと絵里香の影にいる。
「あれ?もしかしてアキの彼女?前一回だけあったよね?髪切ってたから気づかなかったよ。」
真理は少し引きつった笑顔で会釈する。
「はいはい、もういいっしょ?人だかりになる前に行った方がいいよ。」
「んだよ。しゃーねーな。んじゃ終わったら打ち上げこいよ。」ヒロは手を振る。「バイバイえりちゃん。」
先に行ってしまった亮太と金谷を追いかけようとしたが、すぐに声をかけられ握手を求められ携帯で撮られたりしていた。
「あーあ、捕まっちゃった。」真理が言う。
「だから早く行けって言ったのに!」絵里香はそっぽを向いている。
そうしているうちに入口が開き先頭の客からぞろぞろと流れ込むようにGAYAGAへ入っていく。
「あっ、開いたよ。」真理が背伸びし入口に目をやりながら絵里香の袖を引っ張る。
絵里香は入ってすぐにカウンターでビールを注文していた。
「真理は?何飲むの?」
「うーん、私とりあえずいいわ。」
真理はドリンクを持ちながらライブを見るのは煩わしいと思った。
中に入るとお香が焚かれサイケな匂いがする。リジンの「信者」と呼ばれる熱狂的なファン群が前方に陣取り、すでにかなりの興奮状態にあった。
オォオオ、オォオオ、オオ、オオ、オォオオ
まるでアマゾンの奥地にいる部族の歌のような合唱が会場内をこだまする。それはリジンの登場を急かすようであり、召喚するようにも聞こえる。悲鳴に近い雄叫びがあちらこちらから響き耳をつんざく。
「凄い熱気ね。」
絵里香はビール片手に会場角の隅に寄り掛かる。
「ほんとね。何かずっと前に見た時と雰囲気が全然違う。」
「危ない宗教みたいじゃん。」絵里香が笑っている。
「こんな騒ぎでちゃんと音聞こえるかな?」
真理は直立してステージをずっと眺めている。
時計は8時を過ぎ客席のライトが全て消えた。その瞬間怒濤の怒号が飛びかった。真理は一瞬ビクッとし、その後全身に鳥肌が立つのが分かった。
暗闇の中で非常口の灯りだけが、この場が現実なのだと知る術だった。
オォオオという合唱がより大きくなり会場の緊張と興奮がピークに差し掛かった時、純平と坂本がステージに現れた。坂本は既に上半身裸で髪を細いカチューシャで捲り上げている。
ドンドンドンドンとバスドラを鳴らす。純平もバキバキと弦を叩いている。
とてつもない歓声が今度は「アキ、アキ!」という大合唱に変わった。
アキが登場した。
鋭い眼光で観客達を睨みつける。信者達は両拳を天に掲げ怒号を飛ばす。
アキはステージのギリギリ前まで行き静かに会場を見回している。より一層歓声が大きくなる。
「始まる前からすげー熱気だな。」ヒロ達は会場中間の壁際で見ていた。
「リジンのファンは熱いよ。」亮太が笑いながら言う。
アキは佇んだまま数分客席を凝視していた。
客に背を向けアンプの前に立て掛けられたギターを手に取る。
浅い呼吸をし何の前触れもなくファズで歪ませたギターのリフを突如奏でる。ハードロックに使われそうなレスポールにディストーションをかけたようなその音は、とてもナイロン弦を使用したガットギターの音とは思えない。デビューアルバムに収録される新曲だ。初期のレッド・ツェペリンを思わせる王道の単音リフはロックミュージックの真骨頂であり、一度聴いたら耳から離れない。ただただ「カッコいい」のである。
この単音リフから徐々に手数が増えカッティングを交えた複雑な和音フレーズへと変わっていく。純平のベースはボリュームペダルを使い、いつの間にかフェードインしている。坂本はうつむいて軽く頭を揺らしている。純平のベース音量が正常値にまで上がり、アキのフレーズが変わった瞬間、坂本は目にも留まらぬ早さでフィルインを乱舞した。今初めて叩かれたにも関わらず、ドラムの音数は既にクライマックスさながらだ。三位一体となった音はまるで大蛇の如く観客達の鼓膜をつたい脳神経を締め上げる。
アキと純平がループステーションを二人して使い始めると音は幾層にも重なりループし人々は無限の宇宙へと誘われる。大所帯のバンドなんかよりも遥かに多い音の数と、一音一音のクオリティの高さ。ステージには確かに三人しかいない。三人の音以外の音源は一切使用していない。
ヒロは鋭いショックを受けている。自分の知っているリジンとはあまりにもかけ離れていたからだ。それと単純に今演奏されている楽曲の凄さに身震いしているのである。
「リジンの音楽の特徴はこの音の流動性だな。」音楽プロデューサーの金谷が亮太の耳元で言う。
それは小節毎に規則正しく区切られる従来のロック、ポップミュージックなんかとは違い、かといってフリージャズ程奔放過ぎるわけでもなく、ごく自然な流れで気付けばメロディラインや拍子がいつの間にか変化しているのである。これはミニマルミュージックに影響を受け精通してきたアキが、リジンの音にもたらしたものである。
「見て下さいよ、まだ始まって10分も経たないのに前の連中トリップしてるよ。」
亮太は笑っている。
「確かにこの無限ループは半端じゃないね。」
金谷は苦笑いで答える。
「あぁ。アキも純平もすげーけど、坂本見ろよ。あいつの手数。なのに一寸たりとも狂わねー。これだけ混沌とした音塊の中で屈強な土台を築いてんのは坂本だよ。」
ヒロは目を細めて首をかしげながら言う。
「一年前に見た時は一人一人のポテンシャルは群を抜いてたけど、バンドとしてのまとまりにはまだ欠けていた。でも今は駆け引き、掛け合いがすごく機能してる。」
ヒロはビールを飲み干す。
「ったく。ついこの間まで自己チューの集まりがやりたい放題だったのに何がどう変わったんだか。」
「ハハハ、そうそう。クリームみたいに喧嘩のようなジャムバンドだったのにね。」
亮太はずっと笑っていたが心中穏やかではなかった。時折怖いくらいの眼差しでステージに目を向けていた。そしてライブが始まり30分も過ぎた頃にはヒロ達は誰も口を開かなくなっていた。その会場の誰一人として無駄口を叩く者はいなくなり、演奏中は全員が蝋人形のようにただただステージを凝視するだけだった。リジンの音世界に圧倒され屈服しているのだ。
「この前アキの言ってた、音は言葉を超えるってこういう事だったのか。」
ヒロは独り言のようにぼそりと言った。
「なんか俺もういられねぇ。帰るわ。」ヒロは金谷の肩をギュッと握り会場を出ていった。金谷と亮太は目を合わせ苦笑いを浮かべた。
「ショックだったのかな?」亮太が言う。
「どうだろうな。あいつが落ち込むって事はまずないけど、ジッとしていられなくなっちゃったんだよ。音を作る者としてね。いい刺激になったんじゃん?」
金谷が答える。
亮太はため息をつくと頭を掻いた。
ライブも一時間を過ぎ更に熱を帯びる中、後半へと突入していく。




