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アキ達はスタジオの外の通路に置かれたベンチに腰掛け、三人して休憩の一服をしていた。時計は夜中の3時を指している。坂本は上半身裸になり首には黒いタオルをぶら下げ、汗にまみれたタトゥーだらけの身体は光沢を放ち異形の生物にすら見える。純平もTシャツを肩まで捲りペットボトルの水を首筋に当てている。アキはぐったりと下を向いたまま静かにタバコを吸って、時たまブツブツ何かを言っていた。髪の毛が下に垂れ影になり顔を伺う事はできない。
奥の方の廊下の電気は消され辺りにひと気はない。自販機の機械音以外は異様なほど静まり返ったリトモは、三人の世界を創る為の手助けをしているようだ。
「一通りやったな。いい感じだと思うんだけど。特に最後の曲は綱渡りしてるみたいだった。今回のCDのハイライトになりそうだな。」純平が水を飲みながら言う。
「あぁさすがに6日連続、8時間ぶっ通しは応えるな。改良の余地はまだまだあるけどとりあえずは全体像と出口が見えてきたか?あぁ?」坂本が肘でアキの腕を押し様子を伺う。
アキは黙ってうつむいたままだ。
デビューアルバムのレコーディングを再来週に控えたリジンはその構想をほぼ完成させる所まできていた。それは今まででもっとも良い状態であり、三人の心技も最高の状態であった。純平はとてつもない作品が生まれる予感を感じずにはいられなかった。
実際レコーディングというものは一発勝負のライブとは違い、実に地味で地道な作業の繰り返しではある。なんテイクも録り何重にも音を重ね、あれがいる、ここはいらない、ここを大きくあそこを小さく、と巨大なパズルを解くような難儀なのである。特にリジンのような完璧主義者の集まりのようなバンドはレコーディング期間中はスタッフも含め全員が非常にナーバスになる。あるミキシングのスタッフは結局完璧なCD作っても最後は一発録りをするんだから意味がないと発狂し抜けていった時もあった。
「レコーディングは再来週から始めるから。場所は前回と同じ新宿のゲインスタジオ。やり方はいつも通り、作り上げた音をCDにして一旦持ち帰る。そんで後日の一発どりね。二枚目に収録する40分以上ある大作はもう少しアキの方で構想練るらしい。まずは一枚目の10曲を先録っちゃうから。」純平が坂本に向かい説明する。
「綱渡りか。」アキがボソッとつぶやく。
「あん?」坂本が反応する。
「今日の演奏は良かったよ。でもまだ命綱付けてんな。みんな。命綱付けての綱渡りなんて何がおもしれーんだ?俺達ならもっと高い場所で命綱なしで綱渡れるはずだろ。」アキはタバコを押し消し水を飲み「とりあえず今日からレコーディングまでの数週間はバンドの練習はしねー。別にお前らに演奏上でのリクエストなんてなんもねーしな。ただこの数週間の間に命綱捨ててきてくれよ。」
「また訳分かんねー事言ってるよ。」坂本がうなだれる。
アキは純平と、坂本の演奏には絶対的な信頼を寄せていた。実際彼らがアキの曲を演奏する時ほとんどアキは口を出さない。こう弾いて欲しい、こう叩いて欲しい、いつでも二人はその通り、それ以上の事を成し遂げてくれる。しかし精神性の面では難解な自論を展開し度々二人はついていけなくなる。音楽だろうと絵画だろうとアキの芸術にとってもっとも優先するべきものはいつだって精神性や方向性だった。逆を言えば精神性の欠落したものには無関心であり、時には怒りを覚えていた。アキはテクニックに走り過ぎてエモーショナルな部分を失わないよう二人に釘を刺したのだ。
純平は思い出していた。始めてリジンとしての曲をアキが作った時、「この曲が完成したら死が待っている。」と言っていた事を。そして「人間がもし電池で動いてるなら俺は一曲ごとに電池を使い切って何度も死んでいる。」と言っていた事を。
「そうだな。もしかしたらまだ俺は命綱付けてたのかもな、アキ。このアルバム作ったら三人で死のうな。」
純平は笑顔でアキに手を差し出し握手を求めた。
「やだよっ。」アキはふざけた顔をしてその手をはじく。
三人は声をあげ笑った。
「んじゃレコーディングまではそれぞれが士気を高める時間という事で。でも来週GAYAGAでライブだから三人での演奏はそれまで持ちきりね。セットリストは近々アキに決めてもらう。初めて人前でやる新曲もあるかもな。まぁ全てアキ様の気分次第って事で。」純平は顔の汗をタオルで拭い、帰り支度をしトイレへ向かった。
「おい、もっと来いよ。」アキはうつむいたまま坂本に言う。
「あぁ?何がだよ?」
「坂本、おめーそんなもんじゃねーだろ。俺と純平活かす為に抑えてねーか?」
「知ったような口きくなよバカ。俺までイッちゃったらこのバンドは何やってんだか分からなくなるだろ。」
「いや、違う。お前はあと一歩踏み込む事に躊躇してる。恐れてる。カオスを迎え入れられないようじゃいつまでもたっても三流だぞ。」
アキ以外の人間だったら殺人沙汰になるが、坂本は「フンッ。」と鼻で笑い暗闇の廊下に目を向けた。
三人はそれぞれの荷物を抱え表へ出る。街は独特の夜露の匂いを漂わせ、たまに通る新聞配達のバイク音が異様に大きく聞こえる。向こうの方では風に流された空き缶がカランカランと慌ただしいリズムを奏でている。
今日は純平のTYPE2に二人も乗ってきたので、坂本を送りアキは純平と共に家へ帰る事になっていた。車に荷物を積んでいると「オイ。」と低い声が聞こえた。振り返るとそこには先日アキを殴ったフル・レンチェのヒロがギターのハードケースを持って立っていた。
「やっぱり純平の車だったんだ。俺も今スタジオ帰りでたまたま通りかかったんだよ。
酒抜く為に歩いて帰るって言ってね。」
「うぃす。」純平が軽く挨拶をする。
「おぉアキ!この前は悪かったな。俺もほとんど記憶なくてさ、後から話し聞いたらえらい事になってたみたいで。」ヒロは苦笑いを浮かべながら左手を顔の前に立て謝った。
「いや、もういいよ。俺もめちゃくちゃ言ってたみたいだし、痛み分けって事で。」
「アキ、ちと話しあっからこれから一杯いかねーか?」
それを聞き坂本が睨みつける。
「だいじょぶだよ。なにもしねーって。さしでじっくりアキと話ししてーだけなんだ。なっ?」
「今からぁ?やってる店あんの?」アキは渋い顔で乗り気ではない。それを察した純平が「ヒロさん俺らもうここ一週間スタジオ漬けでだいぶ疲れてるんっすよ。またの機会にどうっすか?」
「あぁマジかぁ。」ヒロは少し寂しげな表情を見せた。アキはそれを見てほんとに話しがあるんだなと思い、ちょっとだけならと承諾した。
純平は坂本を乗せ帰っていく。
「ハードケース重くね?」歩きながらアキが尋ねた。
「あぁ、めっちゃ重い。でもこのギターにはそれだけの価値があっからな!」
「例のテレキャスね。」
アキが言うとヒロは満面の笑みをこぼす。ゴリゴリのメタル系ギタリストのヒロだったが珍しいヴィンテージ物のギターには目がなく、このフェンダーのテレキャスターはなんせ世界に10本しかないという代物で百万単位の値段で買ってしまったという。通常ショーウィンドーにでも飾って眺める所だがヒロはレコーディング等でバリバリ使っているらしい。
歩いて3分もしないうちにファミレスが見えた。「あそこでいい?」ヒロは申し訳なさそうに言った。
「マジかよ。ファミレス?でも店なんてどこもやってねーよな。」参った表情で周囲を見回すアキ。
「寒いし入っちまおうぜ。おごっからさ。」実際それなりに名のあるバンドのリーダーとしてヒロもファミレスなど嫌だったがアキをあんまり連れ回せないと思い半ば強引に入っていった。
幸い店内の喫煙席には誰もいなく、やる気のない中年男の店員がおしぼりと水を持ってきた。
「酒飲む?」ヒロがドリンクメニューを差し出してきた。
「ここで?いらねーし。コーヒーでいいよ。」
ヒロは笑い、コーヒーを二つ注文した。
二人はタバコに火をつけた。ヒロはスリムのジーパンに紺色のだぼっとしたカーディガンを合わせ、中の白いTシャツにはイアン・カーティスのオカマのようなポーズの写真がプリントしてあり、その襟にはでっかい黒のサングラスがぶら下げてある。金色の指輪を左手の小指にはめ、髪は短髪のモヒカンだがニットキャップを深く被っているので一見分からない。背丈が190近くあり強面な顔は威圧感がある。しかし実際は優しく態度も柔らかい。人望も厚く頭も良かった。
「この前はほんと悪かったな。血だらけだったんだって?」
「あぁジョン・ゾーンのTシャツ真っ赤だよ。ほとんど鼻血だけどね。俺も記憶ねーし、もういいよ。」
「あぁ悪かった。ザザからアルバム出すんだって?」
アキはこくりとうなずく。
「俺達も今セカンドアルバムに向けて動き出したとこよ。」
ヒロのバンド、フル・レンチェは5人組のプログレッシブ系メタルバンドだった。メタルと言ってもハイトーンボーカルに早弾きといった80年代のメタルとは違い、ツインギターが変拍子のリフを複雑に絡ませ、日本人離れしたテクニックとグルーヴ、その構築美は類稀である。ダイブや喧嘩ばかりで暴れまわるモッズ達もフル・レンチェのライブではあんぐり口を開け身動きがとれなくなる程の圧倒的音を聴かせる。ヒロが普段愛用するギターはIbanezの7弦ギターを改造しサスティナーを内蔵している。アームを多用し、確かなテクニックとオーダーメイドの特殊なエフェクターを使用しトリッキーで異常なほどヘヴィな音を出す。
英詩の曲も多く海外でのワンマンライブや有名フェスへの参加、日本公演を行うビッグミュージシャンのオープニングアクトも多く熟してきた。KID IZOから純平が抜けた今、ロックバンドではフル・レンチェが実力、人気共に頭一つ抜きん出て、日本のロックシーンで頭角を表しつつあった。
「あれよ、アキは詩も書くんだろ。何でリジンで歌うたわねーの?お前の歌詞ならきっと皆ぶっ飛ぶぜ。」ヒロはコーヒーにミルクを3つも入れている。「お前の事殴っちまった時にお前に言われた事。後から改めて聞いて色々考えてたんだ。」ヒロは少し笑みを浮かべながら言った。
「毎日のように自分の曲の事考えて、今までも色々やってきたけどよ、やっぱ音よりも詩って難しいな。」
アキはヒロがたっぷりとミルクを入れたコーヒーをスプーンでカラカラ混ぜているのをじっと見ている。
「音と詩を作る時、どっちが得意かなんて人それぞれだと思うよ。きちんと音作りできんのにつまらねー詩書いてる奴なんて山ほどいんじゃん。」アキは呆れたように言う。
「そうだよな。でも俺もたまに思うんだ。詩人ぶって小難しい歌詞なんて書くけどよ、いつもピンとこなくて途中でまっいっかって妥協しちまう。メンバーはそれなりに褒めてくれるんだけどな。」
「音ってゆーのは自分でイメージしたものを楽器なりなんなりで納得するまでイメージに近づくように具現化してきゃいいけど、詩ってゆーのは言葉だから頭で描いたものが文字となって直結するじゃん。音って抽象的に見えるけど実際はそれ以上ないくらい絶対的なものだし、その反面詩ってすごく曖昧なものだよ。こんな両極端なものを俺はわざわざ音楽という括りで縛るつもりはないんだ。ヒロがピンとこないのはこの音楽と詩の間にあるジレンマみたいなもんなんじゃない?」
ヒロは真剣な面持ちでアキの言葉に耳を傾ける。
「まずは音楽に言葉を持ち込むならその必要性と存在意義みたいなもの見つけなきゃ、一生いい歌詞なんて書けないよ。ロックにこんな考え自体持ち込むのがナンセンスかもしれねーけど、俺は何も考えねーで物作れる程才能豊かじゃねーしね。」
「で、お前は歌詞書かねーの?必要性を感じてねーのか?」
「まぁそれも一つある。俺は純平と坂本の音だけで簡単に言葉なんてものを超越している感じがする。そして何よりも普遍的なものを創りたいってのが根本にあるんだ。」
「普遍的?」
「あぁ、何年経っても何十年経っても色褪せないもの。バッハとかベートーヴェンとか、コルトレーンにビル・エヴァンスみたいなね。流行り廃りじゃなくて。いつでも革新的でありたいと思うけど、それは実際古典を創るって事でもあるかもしれない。」アキはコーヒーを飲み少し間を置き続ける。「日本人で、しかもロックっていうジャンルでそれを成し遂げる為に、俺は今のスタンスが1番合ってるって確信している。」
こと音楽の話しになるとこんなにもアキはペラペラと話すのだとヒロは少し驚いていた。普段は無口でぶっきら棒なアキなのに、その心の内に激しく燃え上がる炎のようなものを垣間見た。
キッチンの方ではやる気のないウェイターと、ケチャップのシミのようなものが付いたエプロンで手を拭く、若いバイトシェフの男が何やら笑い話しをしている。
「そういや最近リジンの音聴いてねーな。今度スタジオ呼んでくれよ。」
フル・レンチェとリジンはまだ駆け出しの頃よく一緒に演奏していだが、お互いCDが売れるようになってからは共演も少なくなった。
「きっとあの頃とは比べ物にならねーくらい進化してんだろーなぁ。」ヒロは自分の吐いたタバコの煙を目で追いながら言った。
「来週の土曜にGAYAGAでライブだよ。それまで練習はしねーってさっき言ってきたから、音聴きてーならライブにでも来たら。」
「おっマジか。来週土曜ね。多分行けっと思う。遊び行くわ。」
二人は真夜中のファミレスで30分だけ話しタクシーに乗り帰って言った。ヒロは殴った事と連れ出した事を最後まで悪かったと申し訳なさそうに謝った。そして少しだけすっきりとした胸中は何だかドキドキと早い鼓動を打っていたのだ。




