第55話 軍用魔法
案内されたのは、研究棟とは別の区画だった。
通路を進むにつれて、空気の性質が変わる。静かに整えられていた研究施設とは違い、ここはわずかに荒れている。圧が不均一で、流れも粗い。人為的に“戦場に近づけている”のが分かる。
「ここは……」
「戦術実験区画だ」ラドウェルが短く答える。
扉が開く。その先に広がっていたのは、訓練場というより――戦場の縮図だった。
崩れた壁。焼け焦げた地面。ところどころに残る衝撃の痕跡。魔力の残滓が、まだ空気の中に漂っている。
「……すご」
リナが思わず声を漏らす。それは単なる驚きではない。圧倒されている。
「ここでは“個人”ではなく“部隊”単位での戦闘を想定する」
ラドウェルの声が響く。
視線の先、訓練場の中央に数人の魔導士が立っている。
統一された装備。無駄のない配置。
「王国魔導士団、第三戦術班」
一人が前に出る。
「これより、戦術魔法の実演を行う」
形式ばった言葉だが、動きはすでに始まっていた。
「展開」短い合図。
次の瞬間、空気が一変する。
複数の魔力が同時に動く。互いに干渉し、重なり、拡張される。
「――!」
思わず目を見開く。これは単なる同時発動ではない。連結している。
「まずは基本形だ」
ラドウェルが横で言う。
「範囲制圧」
魔導士たちの足元から、風が広がる。ただの風ではない。層になっている。
密度の異なる空気が何重にも重なり、空間全体を包み込む。
「……圧が違う」リナが呟く。
その通りだ。個人で扱う風とは比べ物にならない。
広い。そして、均一だ。
「ここまでは理解できるな」
「はい」
だが、問題はここからだった。
「次」合図が変わる。
空気の流れが、一斉に収束する。一箇所に。
「集束」
圧が一気に高まる。空間が歪む。次の瞬間、轟音。
爆発ではない。だが、それに近い衝撃が広がる。地面が抉れる。空気が震える。
「……」
言葉が出ない。これは。
「軍用魔法だ」
ラドウェルが淡々と言う。
「個人ではなく、複数で構築する」
つまり。
「威力を分担している」
「そうだ」
一人では出せない出力。それを、連携で補う。
「さらに」ラドウェルが視線を動かす。「継続」
魔導士たちが次の動作に入る。今度は維持だ。
空間全体に圧がかかる。逃げ場がない。持続的な制圧。
「……これ、逃げられない」リナが低く言う。
その通りだ。単発ではない。“場”を支配している。
「戦場では、これが基本になる」
ラドウェルの声が重なる。
「個人の技量よりも、全体の制御」
視線がこちらに向く。
「お前の魔法はどうだ?」
問いかけ。答えは、分かっている。
「単発です」
「そうだ」
即答される。
「精度は高い。だが、範囲が狭い」
否定ではない。評価だ。だが同時に。
「戦場では足りない」
言い切られる。視線を前に戻す。訓練場。
まだ残る衝撃の余波。空気が揺れている。だが、それはすぐに整えられる。制御されているからだ。
「……なるほど」小さく呟く。
理解する。今まで自分がやってきたこと。
圧縮。放出。振動。どれも“点”だ。精密だが、局所的。
「対して、あれは“面”か」
「正確には“場”だな」
ラドウェルが補足する。
「空間そのものを制御する」
そのスケールは明らかに違う。
「……どうする?」
横でリナが聞いてくる。
「悔しい?」
「まあな」
正直に答える。負けたわけではない。だが、届いていない。それが分かる。
「でも、できないわけじゃないでしょ?」
リナの言葉に、少しだけ考える。
空気はどこにでもある。量も多い。制御できれば。
「……理屈上はな」
「出た、いつものやつ」
リナが呆れたように笑う。
「理屈上は、でしょ?」
「そこを現実にする」
それが研究だ。再び訓練場を見る。
連携。制御。持続。
「……足りないな」
何が足りないかは、はっきりしている。一つは範囲。
もう一つは「継続性か」瞬間ではなく、維持。一撃ではなく、支配。
「気づいたか」ラドウェルが言う。
いつの間にか、すぐ隣に立っていた。
「お前の魔法は鋭い」短く評価する。
「だが、戦場ではそれだけでは足りない」
「分かっています」
「なら、どうする?」
試されている。答えは、決まっている。
「広げます」
「どうやって」
「空気を“掴む”範囲を増やす」
一つではなく、複数。点ではなく、面。いや、「場にする」
ラドウェルがわずかに目を細める。
「簡単に言う」
「簡単じゃないですから」
即座に返す。一瞬、沈黙。そして。
「……いい」ラドウェルが小さく頷く。「やってみろ」それだけだった。
許可でもあり、命令でもある。
視線を前に戻す。戦場の空気。荒れている。だが、制御できる。やり方は分からない。だが「……やるしかないな」小さく呟く。
今までと同じだ。観察して。仮説を立てて。実験して。
そして「超える」その先へ。




