【第七章】第51話 王国からの招待
呼び出しは、予想よりも早かった。
ダンジョンから帰還して数日。身体の疲労は抜けきっていないが、日常に戻るには十分な時間だった。講義も再開し、訓練場にはいつもの喧騒が戻っている。
だが、それはあくまで“表面”だけだった。
「……来たか」
教師の部屋の扉を開けた瞬間、低い声が迎える。
中には、見慣れた顔が一人――だけではなかった。
「……」
視線を向ける。
制服ではない。重厚なローブを纏った男が、机の前に立っていた。年齢は中年ほど。だが、纏っている空気は、教師とは明らかに違う。
無駄がない。視線の動き一つで、空間を測っているような感覚。
「こいつが例の……」
男がこちらを見る。その視線に、思わず思考が一瞬だけ止まる。
評価されている。だが、単なる興味ではない。
「……空気魔法使いか」
確認するような口調。
「はい」短く答える。
男はしばらく無言でこちらを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「話には聞いている。ダンジョンの異常現象を単独で解決した、と」
単独ではない。そう言いかけて、やめる。
ここで訂正する意味はない。重要なのは、どう“認識されているか”だ。
「詳細な報告は受けている」
男は続ける。
「空気の圧縮、振動、そして……真空」
その言葉に、わずかに部屋の空気が変わる。
教師が腕を組む。
「軽々しく口にするな」
「分かっている」
男は淡々と答える。
そのやり取りだけで、分かる。この話題は、軽く扱うものではない。
「……それで」
俺は静かに口を開く。
「何の用ですか」
遠回しなやり取りは必要ない。
男は一瞬だけ口元を緩めた。
「単刀直入でいい」
そして、言う。
「王国魔法研究機関からの要請だ」
部屋の空気が、さらに一段階変わる。
「お前に、研究協力を依頼する」
予想はしていた。だが、こうして言葉にされると、少しだけ実感が違う。
「研究、ですか」
「そうだ」
男は頷く。
「今回のダンジョン異変は、単なる局地的な問題ではない可能性がある」
机の上に、一枚の資料が置かれる。地図だ。王国全体の。
その中に、いくつかの印がつけられている。
「似たような“空間異常”が、他の地域でも確認されている」
視線が自然とそこに吸い寄せられる。一つではない。複数。
「……偶然ではない、と」
「その可能性が高い」
男は淡々と答える。
「そして、お前はその現象に干渉し、解決した唯一の存在だ」
唯一。
その言葉が、やけに重く響く。
「……だから、ですか」
「そうだ」
迷いなく肯定する。
「お前の魔法は、既存の理論に収まらない」
視線がこちらに戻る。
「だからこそ、価値がある」
評価。だが、それだけではない。
「同時に、危険でもある」
その一言で、意味がはっきりする。
「制御できない力は、管理されるべきだ」
教師が小さく息を吐く。
「言い方が露骨すぎる」
「事実だ」
男は譲らない。
「我々は“理解できないもの”を放置しない」
沈黙が落ちる。その中で、思考を整理する。
研究協力。王国機関。異常現象。そして――管理。
「……選択肢は?」
静かに問う。
男は少しだけ目を細めた。
「拒否はできる」
即答だった。
「ただし、その場合でも観察対象にはなる」
逃げ道はない、ということだ。
「協力すれば?」
「研究環境を提供する」
机の資料を軽く叩く。
「最前線だ。学園とは比較にならない設備、資料、人材が揃っている」
それは、魅力的だった。純粋に。
未知の現象。未知の理論。それを検証できる環境。
「……」
一瞬だけ、考える。だが、結論はすぐに出る。
「やります」
即答だった。
教師がちらりとこちらを見る。
男は、わずかに口元を上げた。
「理由は?」
試すような問い。それに対して、言葉は一つで足りる。
「知りたいからです」
何が起きているのか。なぜ起きているのか。
そして、どこまでできるのか。
「……いい答えだ」
男は静かに頷く。
「では、正式に受理する」
それだけで、話は決まった。
「出発は数日後だ。準備をしておけ」
そう言い残し、男は部屋を出ていく。
扉が閉まる。静寂が戻る。しばらくして、教師が口を開いた。
「……後戻りはできんぞ」
「分かってます」
「お前のやろうとしていることは、魔法の枠を越える」
その言葉には、わずかな懸念が混じっていた。
「それでもやるのか」
「はい」
迷いはない。むしろ、その先にしか興味がない。
教師はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……変わらんな、お前は」
「そうですか?」
「いい意味でな」
短く言う。
「行ってこい」
それだけだった。
部屋を出る。廊下の空気は、さっきまでと何も変わらない。
だが、見え方が違う。ここはもう、通過点だ。
外に出る。空を見上げる。青い。ただの空だ。
だが、その中にある“空気”は、まだ何も分かっていない。
「……面白くなってきたな」
小さく呟く。
王国。研究機関。未知の現象。
そして、自分の知らない空気。
足を前に出す。その先にあるものを、確かめるために。




