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水月鏡花 ―冷たい当主と、静かに灯る恋とほどけていく心―  作者: 麻倉ロゼ
第二章「花心、光にほどく」

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第八話「門下生」1

第八話「門下生」は3分割で更新していきます。これは1つ目です。

 りん家の広大な敷地の隣には、武道一家として名高いよう家の道場がある。


春燕しゅんえんが薬局へ初出勤していったその朝、雪麗せつれいも気合いを入れて、

愁飛しゅうひと共に道場へ向かっていた。

今日は雪麗が楊家の門下生として初めて鍛錬に参加する日だった。


琳家の大門を出ると、愁飛は上機嫌に話し出した。


「門下生は今、五十人ぐらいかな?十代から二十代が中心。

街から通ってくるのが八割、残りの二割は住み込みだね〜。」


「そうですか…」

雪麗の声は、緊張で少し強張っていた。

男性が苦手な自分が、男性ばかりの門下生の中に入って…

本当にやっていけるのだろうか。


(自分を変えるため…お嬢様のため…大丈夫、大丈夫…)

ぶつぶつと唱えながら歩く雪麗を、隣の愁飛は楽しそうに眺めていた。


「そんなに身構えなくていいって。道場と言っても、

そこまで厳格じゃないから。ゆる〜く気軽に参加してね」


楊家の門をくぐり、道場前の広い鍛錬場へ向かうと、

すでに門下生たちが並んでいた。屈強な体つき、引き締まった目つき、

全身から溢れる武人らしい空気――まさに質実剛健そのものだ。


「今日から一緒に参加する雪麗。みんな、優し〜く、

厳し〜く教えてあげてね!」

愁飛が軽く紹介し、雪麗へ視線で「どうぞ」と合図する。


「雪麗と申します。よろしくお願いいたします」


深く頭を下げた瞬間――。


「押忍ッ!!!ようこそ楊家へ!!!!」


地面すら揺れた気がした。雪麗の背中にビリッと鳥肌が走る。


「ね。緩いでしょ?」

愁飛は満面の笑みで言った。


(……どこが、ですか…!?)

雪麗は引き攣った顔で必死に表情を保つ。


「あの…女性の門下生の方は……?」

見回しても男性しかいない。


「五人いたけど、今は二人子育て中で、二人妊娠中。

一人は結婚して別の街に行った。」


「それは……」


「つまり女子が雪麗一人だけになっちゃった!ごめんね!」

にこっと笑う愁飛。雪麗の目がさらに揺れる。


「怖気付いたなら…やめる?」

愁飛はわざと挑戦的な笑みを向けてくる。

雪麗はぎゅっと拳を握り、深く深呼吸をした。


「いえ。一度決めたことです。辞めません」


愁飛の口角が嬉しそうに上がる。


「いいねぇ!じゃあ早速始めよう!」

愁飛は軽く手を叩いた。


「まずは基礎から。立てなくなるまでやろうか」


その一言に、雪麗の背筋が凍る。


――こうして、雪麗の初めての武道の一日が始まった。



 門下生たちは慣れた様子で、鍛錬場の外周に整然と並んだ。


「まずは走るよ〜。十周」


愁飛が軽い調子で言うと、合図も待たず、

門下生たちは一斉に走り出す。

雪麗も慌ててその後を追った。


砂を踏みしめる足音。規則正しく響く呼吸。

鍛えられた者たちの足取りは、驚くほど揃っている。


誰一人として乱れる気配がない。


(速い……)


一周目の途中で、すでに自分だけが遅れている気がした。


息が上がる。胸が苦しい。

けれど、立ち止まるわけにはいかなかった。


――自分を変えるために、ここへ来たのだから。


二周、三周と数える頃には、脚が鉛のように重くなっていた。


「雪麗、まだ三周だよ〜」


隣をゆったりと走る愁飛が、息ひとつ乱さず、

のんびりと声をかけてくる。


「……はい……」


返事をするのも精一杯で、雪麗は息を切らしながら答えた。


四周目に入るころには、視界がわずかに揺れ始める。

門下生たちはもう、どんどん前へ進んでいた。


体力には自信があった。

山間の街で育ち、幼い頃から坂道を駆け回っていたのだ。


けれど――


武道家の鍛錬は、想像していたものより、ずっと厳しかった。


七周目。


脚がもつれ、身体が前へと倒れる。

雪麗はとっさに砂の上へ手をついた。


「おっと」

愁飛の声が、すぐ横で落ちる。


「大丈夫?」


顔を上げると、差し出された手が目に入った。

雪麗の肩が、びくりと揺れる。


男性の手。


――怖い。


「……立てる?」


愁飛の声は、いつもと同じだった。

軽くて、のんびりしていて、急かす気配がない。


雪麗は少しだけ迷う。

それでも、そっとその手を取った。


ぐっと力強く、身体が引き上げられる。


「ほら、まだ三周残ってる」

愁飛は笑った。


「立てなくなるまでやるって言ったでしょ?」


雪麗は一瞬、ぽかんとしたが、息を整え、小さく息を吐いた。


「……はい」


脚はまだ震えている。

それでも、不思議とさっきより身体が軽かった。


雪麗は再び走り出す。


その背中を、愁飛は楽しそうに眺めていた。


「グラグラしてて……やっぱりいいなぁ。雪麗」

そう、ぽつりと呟いた。




※作者より

「水月鏡花」の更新は【週3日/月・水・金 21時頃】です。


春燕と凌偉、それぞれの心の距離が、

少しずつ近づいていく時間を、

見守っていただけたら嬉しいです。


続きが気になりましたら、

ブックマークで見守っていただけますと励みになります。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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