第七話「香る薬舗、はじめの出会い」1
第七話「香る薬舗、はじめの出会い」は4分割で更新していきます。これは1つ目です。
門を出て間もなく、通りに柔らかな朝の光が差しはじめた頃、
令菘が春燕に声をかけた。
「本当に歩きで良かったのですか?」
「馬車を使うなんて贅沢だわ。歩いてすぐだもの」
春燕は、気負いのない笑顔でそう言う。
“すぐ”とは言っても、実際には歩いて十五分はかかる。
それなのに、琳家の婚約者が徒歩で街へ向かう――
その事実に、令菘と志晃は思わず顔を見合わせた。
噂では聞いていた。
贅沢を好まず、倹約家で、働き者。
誰に対しても気さくで、屋敷中の使用人たちから慕われている女性だと。
ただ、二人にとって春燕は今日が初対面である。
まだ仮とはいえ、琳家当主・凌偉の婚約者が、わざわざ外で
働くという話も信じがたかった。
――どうせ“お嬢様の気まぐれ”か何かだろう。
互いに口には出さず、そんな思いを胸の奥にしまっていた。
自分たちは任務を果たすだけだ。
*
「令菘と志晃は、何年ぐらい楊家に?」
春燕が歩きながら問いかける。
「私が十五歳、志晃が十三歳の頃に門下生として入門しました。
九年ほどになります」令菘が丁寧に答え、
「琳家の護衛として働くようになったのは四年前からです。
主に街中の警備補佐と、屋敷の警備を任せていただいています」志晃が続けた。
「そう。頼もしいわ。私はまだ街に慣れてないから、
道がよくわからなくて。二人がいてくれて助かるわ」
春燕はふわりと笑った。
その笑みは、相手を緩ませる春の風のようだ。
「慣れてきたら一人で行けると思うからー…」
「「だめですよ」」
同時に返ってきた声に、春燕はびくっとして瞬きを繰り返す。
「春燕様。いいですか?」
令菘の声は低く静かだが、揺るぎない芯があった。
「春燕様は凌偉様の婚約者です。それだけで、
良くも悪くも街中から注目されているお方です」
「この街で琳家の人間に手を出す無謀な輩は
いないとは思いますが…
何が起きるかわかりません。
お一人では絶対に! 行動しないでください!」
志晃が真剣そのものの表情で続ける。
「送り迎えはもちろん、薬局での仕事中も我々は店内にいますし、手伝います」
「そ、そこまでしなくても…!」
一人に警備二人は、どう考えても過保護すぎる
――春燕は内心ハラハラする。
「貴方様に何かあれば——我々は、ここで生きていけません」
その声音には、脅しではない“現実”が滲んでいた。
迫力ある訴えに、春燕は思わず背筋を伸ばした。
「わ…わかりました…」
――これは、大人しく従ったほうがよさそう。
春燕は、ふうっと小さく息を吐いて心の中でつぶやいた。
※作者より
「水月鏡花」の更新は【週3日/月・水・金 21時頃】です。
春燕と凌偉、それぞれの心の距離が、
少しずつ近づいていく時間を、
見守っていただけたら嬉しいです。
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