IF①-2
――あれから、二年ほどたっただろうか。
学園爆破事件は、テロリストの仕業ではないかという疑問を呼んだまま未解決となった。一時は新聞の一面を大きく飾るほどだったが、徐々に徐々に記事は小さくなっていき、やがて他の汚職事件や消費税増税の記事に呑まれ消えていった。
一応捜査はまだ続いているらしいから、気は緩めない。もし捕まりでもしたら誰があの子の面倒を見るのだ。
私はというと、もともとパソコン関連に非常に強かったこともあり、システムエンジニアに転職した。朔夜様の実父には悪いが、もう私が使えるべき主はいなかったため、従者を続ける気にはならなかった。跡取りを亡くして、だいぶあの家も落ち目になってきたし、そろそろ潰れるのではないだろうか。
給料の面で会社を選んだから、ノルマをきちんとこなせば給料は高い。仕事が終われば残業もしなくてすむ。
「それじゃあ、失礼します」
「うひゃー、上村くんもう終わったの? 相変わらず早いねぇ……ね、私ももうちょっとで終わるから待っててよ。一緒にのみいこ!」
中年の女の先輩がくい、とおちょこを傾ける仕草をして提案する。
経験上、この先輩が「もうちょっとで終わる」と言ったときはあと2時間ぐらいかかる。それも途中から私に手伝わせて、だ。
悪い人ではないが、今日は断ろう。大事なあの子がお腹をすかせて待っている。
「申し訳ありません。今日はちょっと……」
「ありゃ、急ぎ?」
「はい。実は朝、ペットにご飯をあげるの忘れてて……たぶん今頃お腹空きすぎて困ってると思うんです」
「わー、そりゃ大変だ。ペットって何飼ってるの? 犬? 猫?」
「まぁ、猫っぽい顔ではありますね」
「なぁにそれ、あはははは! まーそれじゃあ仕方ない。あんまりお猫様を怒らせるなよー、私も猫飼ってるけど、お腹空くとすーぐ拗ねちゃうんだから」
「……あの子は従順ですよ?」
「へ?」
「拗ねたりしませんし、噛みついたりもしません。反抗もしませんし、逃げ出そうともしません」
「は、はぁ」
「――そう躾けましたから」
先輩は一瞬答えに詰まった後、誤魔化すように笑って私から目をそらした。私もそれ以上長話をするつもりはないので、頭を軽く下げてエレベーターへ向かう。
時刻は17時過ぎ。一応定時だが、帰っている人はほとんどいない。静かなエントランスを抜けて外に出ると、まだ沈んでいない太陽が見えた。
さぁ、今日の夕飯は何を作ってあげようか。
* * *
「ただいま」
食材を買って帰宅すれば、時計は19時を回っていた。靴を整えるのもそこそこに玄関を抜けて寝室へ入る。
逃げ出さないように躾けたといっても、やはり不安は残る。だからいつも帰ってきたら真っ先に寝室に行き、あの子の姿を確認するのだ、
ベッドの上で膝を抱き、小さくなっているその子の姿に私はようやく安堵した。頬を緩め、柔らかい声でしゃべりかける。
「ただいま、ナギ」
返事はない。仕方ないのだ。何が直接のきっかけとなったのか分からないが、ストレスでこの子は声を失ってしまった。
名前を呼んでもらえないのは残念だけれど、この子の悲鳴や怒声を抑えるのは中々大変だったから、正直有り難くもあるかもしれない。
それに、最後に呼んだ名前が私の名前だというのも可愛くて仕方がない。この子との生活は一部始終録画しているから、何度でも聞き直せる。
――『かなめ』
哀願するその声が可愛くて可愛くて、その部分だけ音楽プレイヤーに入れて何度も何度も聞き返しているのだ。この子の声は昔から綺麗だけど、最後のそれは格別に甘い。
その続きは、なんと言ってたか。確か気に入らなくて削ったから、もう覚えていない。
――『かなめ』
「ナギ、今朝はすみません。お腹すきましたよね。すぐ作りますから」
ぴくりとも反応しない。そうやってすぐ膝に顔を埋める。私の顔を見たくないとでも?
朝食を出し忘れた罪悪感もあって、今日は優しくしてあげようと思ったのに、心が急速に冷えていく。
「ナギ。私を見なさい」
「……っ!」
低い声を出すと、さすがにまずいことをしたと気がついたのか、ばっと顔を上げて大きな黒い瞳でおそるおそる私を見上げてくる。ぷるぷると震えている姿はまるで猫じゃなくてウサギだ。
ああ、偉いですね、ナギ。昔よりずっと偉くなりました。
でもね。私には分かるんですよ。貴女を誰よりもよく理解しているから、貴女の瞳を見れば全部分かるんです。
怯えと、そしてわずかに残る反抗心が。
「わるいこ」
はぁ、とため息をつき、ナギの首輪に繋がる鎖を強く引っ張った。首が絞まり、ナギが声なき悲鳴を上げる。
ああ、苦しそうですね、はははっ。ずるずると鎖を引っ張られたナギはついにベッドから落ちた。どん、と鈍い音を立てて床に身体を打ち付ける。
「さぁ、歩いてください。食事の前に躾部屋に行きましょう」
「……ぁ……」
ナギの身体が更に大きく震える。躾部屋という言葉に反応したらしい。顔が真っ青だ。
1年前まではあそこがナギの部屋、ってぐらいずっとあそこにいたのに。懐かしくないのですか? ……ふふっ、少し意地悪をしすぎましたかね。
「どうしましたか、ナギ」
「ぅ……ぁ……」
「ごめんなさいをする時は?」
のろのろとナギの腕が私の首に回される。それと同時にナギの顔が私の首筋に埋まり、やがて柔らかい感触が首に押しつけられる。
確か、キスの位置によって込められた感情の意味が違ってくるのだとか。首筋へのキスは、“執着”。
“服従”のキスだという脛へのキスと、どちらを「ごめんなさい」の合図にしようか迷ったが、結局原点である“執着”のキスにした。
脛よりも首筋にしてもらった方が、身体の密着度は高まるし。
それに、私はずっと彼女に執着されたかったから。
「そう、いい子ですね。ちゃんとごめんなさいが出来たから、今日は許してあげます」
もうだいぶ大人しくなったし、自分の立場もわきまえた。躾はおおむね成功していると言えるだろう。
もともとナギを傷つけるのは本意ではない。躾が終わった後はどろどろに甘やかしてあげようと決めていた。
もう少しだろうか? ナギの瞳の奥に残った最後の光が消えたら、本格的に甘やかしてあげよう。
――『かなめ』
そうしたらきっと、声も元に戻る。甘い声で、私を呼んでくれる。もう悲鳴も上げないだろうし、……「たすけて」と喚き散らさないだろうし、安心だ。
――『かなめ』
失踪宣告は確か7年……だったか。朔夜様の実父はもうナギに関して出しているんだろうか。だとしたらあと5年以内にナギが見つかったことにしないと。
万が一、戸籍上死亡、なんてことになってしまったら、私と籍が入れられなくなる。ずっと一緒にいるためには結婚が一番手っ取り早いから、戸籍を失うのはなるべく避けたい。
――『かなめ』
この主従関係がいつまでも続くとは思っていない。だから早くナギの躾を完璧に終わらせて、いつでも外に連れ出せるぐらいにはしたいのだ。
でも焦ってはいけない。焦って、逃げ出されでもしたら、そこでおしまいだ。
――『かなめ』
「それにしても」
私の首筋に顔を埋めたままのナギを、そっと撫でる。さらさらの黒髪。小さかった頃と何も変わらない。
そういえば、愛していると直接伝えたことはあっただろうか?
……言わなくても分かりますよね。こんなに可愛がっているんだから。
「貴女が最後に言った言葉、なんでしたっけ……?」
「…………」
ほんの少し気にかかったから口に出してみたが、ナギに答えられるはずもない。代わりに、甘えるようにすり、と額を鎖骨にすりつけてきた。
その仕草が本当の猫みたいでおかしくなる。可愛い、可愛いですね、ナギ。
「愛してるって言ったんですよね」
「……」
「ふふ……声が戻ったらちゃんと聞かせてください」
ああ、幸せだ。なんでもっと早くからこうしなかったのだろう。片想いに費やしていた時間が、今ではひどくもったいなく感じる。
忠臣になっても見てもらえなかったなら、早くにその役割を放棄してしまえばよかったのだ。
主人である“ナギ様”なんていらない。私が支配する“ナギ”になればいい。私が主人になればいい。
――『かなめ』
私も、愛しています。ナギ。
『ころしてやる』
【IF① 聞かぬが花 了】
しばらくぶりです。IFルート要編、今日書き始めて今日書き終わりましたので投稿します。
いや、あの、もう……ね? 本編のヤンデレ成分が個人的に物足りなかったから、つい、ね? 要さんの理性の箍と一緒に私の頭のネジも吹っ飛んだって言うか、ね?
……本当に申し訳ありませんでした(土下座)
まぁよくある主従逆転ですよ!(嘘)
色々ため込みそうなタイプの要は一度プッチンしたら監禁監視調教殺戮なんでもやっちゃうオールマイティーなヤンデレです。ちなみに躾と称して肉体関係も持っています、本文では書きませんでしたが。
なーのーに、告白はしていない。元が奥手だからなのか、それとも自分がナギのことを分かりすぎちゃって、無意識に自分のことも言わないでも分かってほしいと思っているからか、直接言葉には出しません。
なお、今更告白したところでナギとの関係は修復不可能なまでに悪化しています(本人気付かず)。
虎視眈々と殺意を潜ませるナギ。たぶん要が油断したと同時に刺します。
殺意を抱く理由は、今までの仕打ち(躾)もありますが、雄介を殺された恨みも残ってると思います。たぶん。
雄介は早々にログアウトしました。IFではそれぞれ雄介と要片方ずつに焦点を当てるので、もう片方はさらっと悲惨な目に遭います。
でも雄介と要の共有ルートもいいなー。なにか思いついたら書こうかなー。
あの……IF②雄介編も、IF③共有編(もし思いつけば)も、ヤンデレで書こうと思ってるんですけど……。私の書くヤンデレってまず間違いなくバッドエンド直行なんですけど……。
感想欄に結構雄介とのハッピーエンドを望まれている方がいてびっくりしています。
IF④ハッピーエンド編もそのうち書きます。
でもまずはヤンデレを書かせてください。本編のヤンデレは薄い! 雄介、君ならまだまだ病める!




