22 最悪っ!
公爵令息を怒らせておいて、そんな簡単な謝罪だけで去っていくのはどうなの?
そう思って追いかけようかと考えたが、袖を引っ張られて、意識がそちらに移る。
「お姉様、大丈夫ですか?」
私のブラウスの袖を掴んでいたのはラナだった。心配そうな表情で私を見上げている。
「心配してくれてありがとう。気にはしてないから大丈夫よ」
「それなら良かったですが、本当に無礼な方ですね!」
ラナはぷくっと頬を膨らませた。こういうところはまだ子供らしくて可愛らしい。
そんなラナは、表情を笑顔に変えてルイス様に話しかける。
「先程のルイス様はとても素敵でした」
「えっ!? そ、そうかな?」
「ところで、ルイス様には天使様が見えるのですか?」
「え?」
「先程、後ろにいる天使とおっしゃられていましたよね?」
ラナは自分が天使だと言われていることに気付いていないみたい。まあ、自分のことを天使だと思う人も少ないか。
「い、いや、それは、そのっ!」
ルイス様が焦った顔で私とアットンに視線を送ってくる。
何と答えて良いかを迷ってるみたいね。
「妹さんは、そういうことを言われて喜びそうなの?」
アットンが小声で話しかけてきた。姉妹といえど、私とラナの性格とはかなり違うので、少し考えてみる。
ラナは自分が天使だと言われても、そんなことはないと否定するだけのような気がする。
「あまり喜ばないかもしれないわ」
アットンの質問と私の答えは、ルイス様の耳にも届いていたようだった。彼は笑顔を作ってラナに答える。
「見えるというか、天使が見えた気がしたんだ」
「そうだったのですね。ルイス様の御心が綺麗なので、天使様が見えたのかもしれません」
柔らかな笑みを浮かべるラナに、ルイス様はノックアウトされたようで、顔を真っ赤にしてよろめく。そんな彼をアットンが支えながら、ラナに微笑みかける。
「ルイス様は素敵な方ですからね」
「……はい! お姉様に優しい方は、私にとってはみんな、素敵な方です!」
ラナの頬がまた赤くなった気がしたが、気の所為だと思うことにする。
「ラナは本当に良い子ね!」
ぎゅうっと抱きしめると、ラナは私のお腹あたりに顔を押し当てて抱きしめ返してくれた。
私たちを微笑ましく見守っているルイス様が、お父さんのように見えると思った時、本来の任務を思い出した。
そうだわ。ボートに乗れば結ばれるんだっけ?
「せっかくだし、ラナもルイス様とボートに乗ったらどう? ただ、子供二人じゃ危ないから、アットン様にも乗ってもらわないといけないけど」
「お姉様も一緒に……、と言いたいところですが、お姉様は泳げませんから、船に乗るのは嫌ですよね」
ラナの話を聞いたルイス様は、驚いた顔をする。
「そうだったのか! だから、キーファが渋っていたんだな」
アットンが渋っていた?
ルイス様たちとボートの順番を待つ列に並びながら、私はルイス様に尋ねた。
「……どういうことです?」
「今日のデートコースをキーファから聞かれて答えた時に、フィリアも乗らなければいけないのかと聞いてきたんだ。もちろんだと答えたら、困ったような顔をしていたし、気になっていた」
もしかして、私を気遣ってくれていたの?
無言でアットンを見つめると、彼は苦笑して答える。
「泳げないことを知っていたから、そういうのも嫌いかと思ったんだ」
「……うん。好きではないわ」
「アットン様は気遣いの出来る方なんですね!」
ラナが目をキラキラさせて、アットンを見つめる。
そういえば、ラナは出かける前にアットンが私にふさわしいか見極める的なことを言っていた気がする。
今のアットンの発言は、ラナの中では高印象だったみたい。別にこれくらいの気遣いは誰でもできそうな気がするけど、私が水を苦手としていることを知っているのは不思議だわ。
さっき、聞けなかった疑問を口にしようとした時、ラナがアットンに尋ねた。
「アットン様はいつ、お姉様が泳げないことを知ったのですか?」
「……ラナ様の姉のことに詳しい知り合いがいるんです」
「えっ!? それって、どういうこと!?」
ラナではなく、私が聞き返したけれど、ルイス様達の順番になってしまったため、アットンから質問の答えは聞けずじまいだった。
ルイス様たちが乗ることになった舟は、屋根のついたもので、舟を漕いでくれる人もいるし、オプションを頼めば食事も可能だった。
ちなみに一緒に乗れば結ばれると言われている舟は、四人乗りの小さな舟なので、ルイス様たちが乗るものとは違う。
「君は1人になるけど大丈夫?」
「子供じゃないんだから大丈夫よ」
乗り込んだと思ったアットンが私の所へ戻って来て聞いてきたので答えると、彼は苦笑する。
「今日の君はメイド姿でも騎士の姿でもないんだから、気を付けたほうがいい」
今日はお洒落をして来いとルイス様から言われたので、紺色の膝丈のワンピースドレスを着てきたのだが、アットンは何か言いたそうだ。
「私服だと何か問題があるの?」
「あるよ。……冷静に物事を考えて行動するようにね。近寄ってくる人間は全て敵だと思ったほうがいい」
アットンは子供に言い聞かせるように言うと、私の返事を待たず舟に乗り込んだ。
ゆっくりと舟が離れ始めると、ルイス様とラナが木の桟橋で手を振る私に手を振り返してくれた。
アットンは船の漕ぎ手と話をしていて、私に背を向けている。
アットンは何が言いたかったんだろうか。浮かれるなってこと?
そんなことを考えていた時だった。
「お姉さん、こんなとこで何してんの? ナンパ待ち?」
声を掛けられたので振り返ると、大男がニヤニヤしながら私の背後に立っていた。
着ている服は高級そうだが、シャツのボタンがほとんど開いているので、着こなしに品の良さは見られない。
「違います。連れを待ってるだけです」
邪魔なのかと思い、場所を避けると、男はなぜか私に付いてくる。
「待っている間暇ならさ、ボート、一緒に乗らない?」
「嫌です」
「知ってる? このボート、2人で乗ったら」
「どんな理由があるかは知らないけど、あなたとは乗りたくありません」
「いいじゃん、乗ろうよ」
「嫌だって言ってるでしょう!」
あまりにもしつこいようだったら、ぶん殴ってやろうかと思った時だった。
背後に人の気配を感じて振り返ったと同時、腰に巻いているリボンが強く引っ張られた。
何とか踏ん張ろうとしたけれど、相手の力のほうが強かった。私の身は浮いて、湖に向かって放り投げられた。
「最悪っ!」
私としたことがナンパ男に気を取られて、何者かに背後を取られてしまった。
気配を感じさせずに、私の背後にまわったのだから、私を湖に落とした相手は素人じゃない。
と、馬鹿みたいに冷静に思った瞬間、私の全身は水に包まれていた。




