3 混沌の襲来
ブックマーク等励みになっております!
この生活を始めてもう半年が過ぎた頃、その日も私は窓拭きをしながらネルソン様に話しかけられていた。
「やあ、レイ君と仰ったかなぁ、今日も窓拭きを?」
「何度来られても同じ仕事ですよ。窓拭き専門の使用人なので」
「その仕事を変えないか、と誘いをかけてるんですがねえ」
「結構です、とお伝えしていますよ」
「…君は存外頑固ですね?まあ、知っていたことですが。でもまさか、君があんな手を使って前の仕事を辞めるとは思いませんでしたよ、それはもう驚いたのなんの」
「……その話題はおやめください」
「おや、最近は小声で話しかけてくれなくなりましたねえ」
「最近は寒いので耳に風を吹き付けられるのはまっぴらなのです」
「おや手厳しい」
くすくすと笑うネルソン様だが、案外何を言っても機嫌を悪くしないのだと分かったのは、ここのところかもしれない。
「…きっと今頃、楽しくお過ごしですよ」
私が自嘲気味に言うと、ネルソン様はより上機嫌になる。
「では私と添い遂げますか?」
「え!?」
私が思わず大きな声で驚くと、ネルソン様は「おや」と少し意外に感じている顔をする。
今まで私にそういった話をする時は、新しい仕事、と比喩して言ってきていたのに、まさかそんな直球の言葉でくるとは思わなかったので私も驚いてしまったのだ。
「レイ君、君は…なるほど、こちらの言葉のほうが効果的でしたか」
隙を見つけた蛇のようにネルソン様が笑う。
「では、次からはそうしましょう。レイ君、私と生涯をともにする伴侶となるのはいかがですか?」
「い、いえいえいえ!私はただの使用人ですし、ネルソン様にはもっとふさわしい人がいると思いますので!」
慌てて私が断るも、ネルソン様の勢いは止まらない。水を得た魚のようだ。
「ふさわしい人?そんな人がどこにいるのです?私の眼の前にいるのは窓拭きの使用人だけ。私には、他に噂になる相手もいないのですから、安心して嫁げますよねえ」
痛いところをついてくるネルソン様に、私も勢いが削がれてしまう。
「そっ…そんなことは、問題ではなくて、ですね」
「では何が問題なのです?端から恋愛感情のない相手とより、あなたを愛している私の方が、よっぽど良いでしょう?ねえ、そうは思いませんか?ミレーナ伯爵令嬢」
じりじりと壁に追いやってくるネルソン様は、私の心を見透かすようだ。
夫に愛されたかった、新婚生活を楽しみたかった、何気ない日常を…好きな人と、過ごしたかった、そんなかつての私の心が、強制的に蘇ってしまう。
思わず瞳に涙が溜まると、ネルソン様は少しだけ慌てた様子を見せる。
「…追い詰める気はなかったのですがね。今も、あの時も」
やれやれとため息をついて、一歩下がるネルソン様に、私は少し安心する。
「あの時…?」
「ああ、あなたとパーティーでお会いした時…」
ネルソン様がそう言いかけたところで、執事が慌ててネルソン様を呼びに来た。
「ネルソン様!ご来客ですぞ!!急ぎ応接間に来てください!!」
「来客ぅ?前に断ったよねえ」
「今度は王命を持ってお越しです!!ネルソン様がいつまで経っても応じないからですぞ!!ささ、早く早く!!」
ネルソン様が引きずられて行ったすぐ後、サキとジルがやってきた。
「おーいレイ!来客だから手伝えってさ〜!」
「ごめーんこっち手伝って〜!!」
「はーい!!」
そう言って私も準備の手伝いに取り掛かるのであった。
ーーーーーー
慌ててお茶の準備や食器磨きを手伝った後、私たち使用人は野次馬のように応接室の前に集まっていた。
サキとジルが先にその場におり、来客がどんな人かを尋ねようとすると、サキに眼鏡を渡された。
「レイ!これ伊達眼鏡だけど、貸してあげるから付けてたほうが良いわ」
「レイ、何があったかは聞かないが、この場を乗り切りたいなら目立つなよ〜〜」
何のことだか分からないまま、素直に眼鏡をかけて応接室の様子を伺うと、その中にはネルソン様と、ユリウス様がいた。
「どうして、ここに…」
私が呟くと、サキとジルが背中を叩いて励ましてくれる。
「大丈夫、バレねぇって」
「深呼吸よ、レイ」
周りの人に聞こえないような小声で話しかけてくれるその内容と、素振りから、私はこの2人がとっくに私の正体に気がついていたのだと悟った。
「二人とも…」
それなのに黙ってくれていたという2人の優しさに、私は思わず涙があふれる。
この友人たちは分かったうえで、何も言わずに見守ってくれていたのだ。
「…本当は近づかなくて良いようにしようと思ってたんだけどね」
「さすがに使用人全員集合だからな、いないほうが怪しまれる」
そう言って他の使用人に埋もれるように、中の様子を伺うことにした。
「…それで?騎士団長が侯爵家に何の用ですかねえ、わざわざ王命まで携えて」
「私は何度も貴公及び侯爵家当主に捜査協力の依頼を出していたはずだが?それを半年もの間断り続けたのはそちらだ」
「だって協力する謂れがありませんよねえ?ねえ、父上」
「う、うむ…しかし、王命があるとなっては話は別だ、協力するしかあるまい」
「ええ〜!父上、負けないでくださいよ、王命って言ったって、捜査協力の王命じゃなくて、騎士団長と和解をするようにっていう王命でしょう?はい、和解した。これで良いじゃないですか」
「いい加減にしろ、ネルソン侯爵令息。王命を曲解するな。王が配慮して貴殿が犯人とならぬよう和解という文章にしただけだ。実際は捜査協力の王命だ」
「これの、どこにそれが書いてあるんですかねぇ…」
「ネルソン、いつまでも捻くれた事を言ってないで従いなさい」
「父上、本気ですかぁ?これは侯爵家への侮辱ですよ」
「うむむ…しかし、王と立場を相反するわけにもいかん。従いなさい」
ネルソン様はその後も何度か文句を言っていたが、当主様の断固とした態度に折れたのか、「仕方がないなぁ」と了承したようだった。
ユリウス様から隠しきれない怒気を感じ、我々使用人はハラハラと見守っていた。
しかし、その中でもよりハラハラしていたのは私だった。ば、ばれるかも…!?という緊張が心臓をどくどくと打ち付けていた。
暑いので皆様お気をつけてお過ごしください!
少しでも楽しんでいただければ幸いです




