第9話 お祈りと意識
「レティシアおはよう」
「おはようございます、ヴィラさん」
「昨日はブレスレット本当にありがとうね」
いつものようにテントまで朝食を運び、レティシアはヴィラに声をかけられ隣に座る。ヴィラの手首には件のブレスレットがはめられており、気づいたヴィラが嬉しそうに笑って見えやすいように軽く腕を上げた。
「団長がね、本番以外は付けとけって。練習中は紐でも巻いてろって言ってくれたの」
「そうだったんですね。ガレンさんは本当に優しいですね!」
我が事の様に喜ぶレティシアに、ヴィラは小さく笑った。
「そう言えば、ガレンさんを朝食の時にあまり見かけませんけどどちらに?」
「あー……私も詳しくは知らないわ」
レティシアはキョロキョロと辺りを見回し、ヴィラが曖昧に目を逸らす。よくよく考えてみればガレンは朝食どころか、それ以外の時間でも姿が見えないことが多かった。
「はん、ガキだなーお前。そんなの女のとこに決まってんじゃん!」
「だよなー」
「カリエ! タッセも適当なこと言わないで!」
「おー怖」
「ならさっきの言葉、まんま団長に伝えておきますからね」
「は? おま、それは反則だろ!!」
「あんたがいい加減なこと言うからでしょ!」
「俺は何も知らないガキのために、親切心でだなぁ」
「あんたのは親切じゃなくて、ただの無神経よ!」
「あ゛あ゛?」
「なによ」
ヴィラとカリエは睨み合いをはじめ、レティシアは固まって目をしばたかせる。タッセは二人を面白そうに煽り、ビッヒがいつものことだからとレティシアに小声で言った。ガキもなにもレティシアは間もなく成人を迎える十七歳なのに。
今日の朝食はパンと、昨日の残りのクリームスープ。テント前で温めなおしたスープにパンをちぎって浸し、レティシアはなんだか味気なくなった食事に首を傾げてしまった。
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「神様、精霊様、仏様。いつもありがとうございます。なのに今朝はお祈り忘れてしまってごめんなさい。大好きです。いただきます」
「なんの呪文だ、そりゃ?」
「きゃああ!」
ちょうど昼休憩で人気がなくなっている舞台用テント。その奥で一人遅くなった昼食を取ろうと、両手を合わせたレティシアの前にガレンが姿を現した。レティシアは椅子の代わりに転がしていた丸太にちょこんと座っており、ガレンは遠慮なく隣に腰掛ける。
「今からメシか?」
「は、はい。縫い物をしていたのですが、キリがいいところまでと思っていたら、いつの間にか休憩を過ぎていまして」
「まぬけだなぁ~」
「違います!」
「くく。……頬の怪我はどうだ? ないとは思うが、痛みは?」
軽くあしらわれた後、ガレンは表情を戻してレティシアの左頬を見た。レティシアは僅かに朱を走らせ、大丈夫だと笑ってみせる。
「痕も残らないくらいきれいに治ってますよ。それと……昨日は庇ってくださり、ありがとうございました」
「礼は昨日聞いた。なにより、まぬけな団員の面倒をみるのも仕事の内だからな」
「ですから、まぬけではありません!!」
「ははは」
レティシアがわざとむくれてみせると、ガレンは楽しそうに笑い声を上げる。
「で、さっきの謎の呪文はなんなんだ?」
「呪文?」
「精霊様がどうたらってやつだ」
「あ! あれは…………。あれは、食前のお祈りをつい口に出してしまっただけです」
「食前の祈り? さっきのが??」
「…………はい」
レティシアは恥ずかしそうに耳を赤くすると、肩をすぼませ縮こまった。
「子供の頃、出された料理をそのまま食べようとして、お祈りをしなさいと叱られたことがあるんです。ですが具体的なお祈りの仕方を知らなくて、本を読んでも日々健やかにすごせることを神に感謝し祈る……と良いような抽象的なことしか分からなかったので、その……自分で勝手に考えました」
「・・・」
「間違ってるのは理解っています!! でも、しないよりはマシではありませんか!」
「いや、別にバカにしてるわけじゃない。食前の感謝をお前が誰に伝えようが、言い方が独特だろうがそれは自由だ。もし、俺の発言のせいで不快にさせてしまったのなら謝る」
「いえ、そこまでは……」
謝ってもらうほどでもないと、小さく首を横に振る。
ガレンもそれに柔らかく息を吐き、軽く安堵の表情を浮かべた。レティシアは広げたサンドイッチを手に取り一口咀嚼してから飲み込むと、窺うようにガレンを横目で見た。
「その……私のお祈りの仕方は、それほどまでに変なのでしょうか? 間違っているようなら、正しい方法を知りたいです……」
「ん? んー、ガチの信者だと言うならともかく、大半の奴はあってるかどうかなんか気にしてないと思うな。食前の祈りも祝の席のように、多数の人間が集まり席を共にする時ぐらいしかしない。まあ、お前みたいに毎食やっている奴の方が少ないのは確かだな」
「そ、そうだったんですか……」
「ああ。だからどちらでも良いんじゃないか? 現にお前の家では祈りを重要と捉え、形にしてきたってことだろ? 無理に合わせる必要もないさ」
「……通常は、お祈り自体しないものなのですね」
「?」
モフりとレティシアはサンドイッチに齧り付き、挟まっている卵ペーストを意味もなく口の中で転がした。
レティシアに食前の祈りをしろと、食卓に座ったレティシアの頬を叩いたのは亡くなる前の男爵夫人であった。そんな当たり前の事も知らないのか。そんな事すら出来ないのなら食事をするなと、レティシアの食事は下げられた。ならば教えて欲しいと言っても自分で調べる努力をしろと叱られ、皆のマネをしようと思っても、それ以降レティシアが男爵家の人間と同じ食卓に着くことはなかった。
レティシアが食前の祈りは口にせず、心の内だけで済ますものと勘違いしたのはノルマンの家に招待された時だった。ノルマンと彼の妹であるチェリルの三人でおやつを囲んでいた時、二人は何も言わなかったので普通は声に出して言わないものかと思い込んだのだ。
そんなレティシアが、再び食前の祈りを口に出しはじめたのは、いただきますを覚えてからだった。
「いただいてます」
「何か言ったか?」
「いえ、なにも。ふふ」
「なんだよ。急に笑いだして」
「食事が美味しくて、良かったなぁと思っただけです」
食べかけのサンドイッチを両手に持ち、レティシアが幸せそうに笑う。ふやけた笑みのままもうひと口齧り付けば、隣から強い視線を感じた。
「なんですか?」
「え、いや、なんでもねーよ? 幸せそうに食うなーって思っただけだ」
「はあ……? よろしければお一ついかがですか?」
「大丈夫だ。全部お前が食べなさい。俺には気にせずに、ほら」
「???」
じゃあ遠慮なくと、視線が痛いほど突き刺さるがレティシアは食事を続ける。
それに早くしないと休憩時間が終わり、稽古をするために団員たちが戻ってくる。入る時間が遅かったから仕方がないのだが、一人だけいつまでも休憩しているようで落ち着かない気持ちになりそうだ。
なにより……
「んぐんぐ」
「………………」
「ごくん」
「………………」
隣に座るガレンの視線が気になりすぎて、レティシアはいつもは三十回噛んでから飲み込むところを、気が散って二十三回くらいしか噛めていない。
食事を早く終わらせなければと焦る気持ちと、なんだか勿体ないという気持ちで、サンドイッチの味もわからなくなった。
「ん? レティシア、お前……靴そんなに傷んでたか?」
「ふひゅ?」
口に含んだまま返し、行儀が悪いと自分で自分を戒める。まだ二十回も噛めていないが、レティシアはなんとか飲み込み、水筒を傾けてから口を開いた。
「えーと、じつは昨日汚してしまったのですが、靴はこの一足しか持っていなくて……」
よく見れば細く長い傷があちこちに点在し、数カ所抉れてさえいる。
「もしかして、たわしか何かで無理にこすったか?」
「…………はい」
「………………、まぬけが」
「うぅ! だって、泥がなかなか落ちてくれなくて」
「あー、もう分かった。分かったから」
レティシアは必死に足元を隠そうと背を丸めた。給金が貰えたら、真っ先に買い換えようと思っていたのに、よりにもよってガレンに指摘されるなんて。
伏せているからガレンからは見えないが、レティシアは顔を真っ赤にし口を引き結ぶ。
「じゃあ、レティシア。今日の午後、お前は休み。半休だ」
「はんきゅう?」
「そ。だからそれを食ったら出かけるぞ」
「え? 出かけるって、どなたが、どこに?」
「俺と、お前が、町に」
「オニーサンとデートをしようか、お嬢さん?」
ガレンはニヤリと口の端を上げ、レティシアは言われた内容をしばらく理解出来なかった。




