第23話 ガレン
「レティシア!」
崩れ落ちるレティシアに、いつの間に移動したのかノルマンの後ろに立っていたガレンが、赤く染まった華奢な身体を抱きとめた。
「ガ、レ……さ」
「! ああ、喋るな! 今治療石を……」
言いかけて、それを持っているのは自分ではない他の二人だと、ガレンは低く吐き捨てる。ならばとレティシアを抱えようとし、びちゃりと手につく液体に息が止まった。
少しでも流れ出る液体を止めるために、着ていたベストを脱ぎぺったんこの腹に巻きつける。動かさないほうが良いのか、迷ったガレンに耳障りな男の引きつった声が届いた。
「あ、ひぃ……くそ、なぜだ! 指輪の力が発動しない!!」
地べたに尻をつき腰を抜かしているヒューデルト男爵が、必死にガレンに向けて指輪を突き出している。よく見ればその娘も、入口付近にいるノルマンでさえも青い顔で震えており、ガレンは自分が殺気を放っていたことに気が付いた。
が、そんなことはどうでもいい。
ヒューデルト男爵を凝視したままガレンは立ち上がろうとし、抱き支えていたレティシアに振動が伝わってしまった。
「約、そく……渚、――……」
レティシアの声に、ガレンがハッと意識を引き戻される。
「そうだ、レティシアを――レティシア!!」
握っていた手がずるりとガレンから離れ、下へと垂れ下がる。虚ろな瞳が伏せられていき、ガレンの焦燥を煽った。
レティシアも、話したいのに、渚を助けたいのに、身体は動かず感覚は遠のくばかりだ。
レティシアのぼやけた視界に真っ赤に染まった腹が見えた。
そうか、血が足りなかったのか。”どらま”で観た”シノビ”達も、敵に斬られた一人が口をぱくぱくさせるだけで、殆ど音になっていなかった。あれと同じだ。
「血……傷、治して……な、ぎ……」
そうしないと、動けない。何も出来ない。渚を元の世界に帰してあげることが出来なくなってしまう。
傷を。この傷を治さなければ。
レティシアの頭ががくりと傾き、動かなくなる。
「レティ……ぁ、レティ、ア……あ、ああ、――あああああああああああ!!!!」
獣のような咆哮が室内を満たし、ガレンの足元から突風が巻き起こった。
「――!!」
「な! 団長! レティーちゃん!!」
息を切らしたトマが廊下から扉へ飛びつき、部屋の中心部を見て目を見開く。
部屋の中央には腹部を赤く染めたレティシアと、彼女を抱きか抱えているガレンが居り、二人の周りには無数の魔法陣が浮かび上がっていた。
「なんだ……なんだ、あれは! なにがあった!!」
トマがかろうじて立っているだけのノルマンに問うが、青い顔で首を横に振るばかりだ。
レティシアとガレンを囲む魔法陣の数は一つや二つではなく、小さなものから大きなものまで無数にあり、それがいっせいに光を放った。
「しまっ――!」
トマが飛び出す間もなく二人は光に包まれ、だが、溢れ出した光が徐々に収まっていき、その中央に立つガレンの異変に気づく。
「……あぁ、やばい……ヤバイヤバイヤバイ」
「ひぃっっい!! ば、バケモノぉ!!」
ヒューデルト男爵の声にトマが右手の平をガレンへと向ける。するとトマの手の甲に魔法陣が浮かび上がり炎の渦が飛び出した。しかしその炎は相手に届く前に胡散し、小さな火の粉となって消えていく。
今、部屋の中央にいるのはレティシアを抱えたガレンだ。だが、もとから偉丈夫だと囃される男の身体は逞しさを増し、腕に、首筋に、額に……見える限りの肌を這うように血管が浮かび上がている。
なによりブルーパープルだった瞳が、じわじわと色を失くし、瞳のふちと中央の黒点を残し白へと変わっていくのを、トマはただ黙って見ていた。
「何やってんのよ!! 動け馬鹿!!」
「ね、姐ざん!!」
「結界を張るからソイツ等一箇所に集めて!」
「っ、……はい!」
「ベッドの上にもいるからね!」
「え、あ! 本当だ!」
廊下を走って来たコーニャは、一瞬の間にトマへと指示を出し、ガレンへと飛んだ。洋服も先程までのドレスなどではなく、黒のパンツ姿で腰に下げていた双剣を引き抜く。
「チェリルっ!」
「ちょ、お前腰抜けてんじゃん! こっちの女は気失ってるし……」
思い出したように叫んだノルマンに、チェリルと呼ばれた少女をこちらに連れてきたほうが速いと、トマはチェリルの元へと走った。
コーニャは魔法石を埋め込んだグローブを両手にはめており、そのうちの一つはすでに光っている。おそらくこの部屋に他の人間が近づかないよう、結界をすでに張っているのだろう。でなければこれ程の騒ぎを起こしておいて、誰も様子を見に来ないというのはあり得なかった。
双剣を手にするコーニャがいくつもの斬撃を繰り出すも、そのどれもがガレンに届くこと無く見えない力に弾き返された。
「いい加減にしなさいよ! 早く治療しないと、本当に死ぬよ!!」
一瞬、ガレンの肩が揺れた。しかし、正気を失っているのか、ガレンはレティシアを手放そうとはせず、逆に右手を大きく横薙ぎに振りコーニャを跳ね除けた。
コーニャは後ろに一つ回転をし、ちょうどチェリルを抱えて戻って来たトマの前に降り立つ。ノルマンが涙を流しながら、眠ったままのチェリルを受け取った。
「とりあえず、しばらく寝ていてください」
トマが青色の魔法石をノルマンの目の前に突きつけた。ノルマンはその場で気を失い、チェリルと一緒に扉へと寄りかけさせる。
次はヒューデルト男爵だと、いつの間にか静かになった小男に目を向け、トマは最悪だと掠れた声で吐き出した。
「姐さん、精霊に喰われてる」
「はあ!? ――くそ!」
コーニャは向きを変え、ヒューデルト男爵に光っていない方の魔法石の手を開く。
ヒューデルト男爵は泡を吹き、指輪をしている手を突き出したまま痙攣し白目を剥いていた。指輪からは黒い、まるで意思を持った根の様なものが這い出し、それがヒューデルト男爵の皮膚へと入り込み、黒の根が血管を逆流していく。
グローブに埋められた魔法石が光を放ち、大きな魔法陣は四角く折れ曲がり、ヒューデルト男爵を閉じ込めた。
途端ヒューデルト男爵は、よだれを撒き散らしながら暴れだした。黒の根が内側から膨れ上がり、まん丸い小男だった形状がどんどん変わっていく。
「堕ちた精霊なんて、おれ等だけじゃ無理ですよ!」
「分かってるわよ! けど、あのど阿呆が今、使い物にならないじゃない!!」
「ホントにあのど阿呆団長め!!」
そのど阿呆は、なぜかレティシアを抱えたまま動かないでいる。警戒をむき出しに、白く染まった目を吊り上げコーニャ達を睨んでいるが、攻撃を仕掛けてくる様子はなかった。
「団長も結構侵蝕されてますよね……。おれ、あそこまで酷いの初めて見たんすけど」
目の色が違うのは今更だが、見間違いでなければ牙まで生えてきている気がする。
「……アタシだって初めてよ」
「そんなぁ! なら、いったいどうしたらいいんすか!!」
「衝撃でも与えて、意識を引き戻すしかないんじゃない?」
「衝撃って……、おれの炎も姐さんの攻撃も、かすりさえしないのに!?」
「…………アンタの炎も駄目だったなんて聞いてない」
「うわーん! 誰か助けてー!!」
「……奇跡に賭けて、レティーを取り上げてみる?」
「誰が! どうやって!! つーか、レティーちゃんって、もう……」
腹を真っ赤に染め、動かなくなった少女。
その少女はいま、驚きに目を見開いてガレンを見上げていた。
「ええ!??? レティーちゃん無事だったのぉ!! よがっだぁ!!」
「え? ト、トマさん? あれ、ガレンさんが、なんだか」
片手で抱き上げられているレティシアは、肩に預けていた上体を起こしガレンを見つめた。ブルーパープルだった瞳は輪郭と黒点だけを残して白く染まっており、体躯もいつもと違うように見受けられる。
「ガレン……さん?」
ガレンもレティシアのことを見ていたが、どこか交わらない視線にレティシアが掠れた声で名前を呼んだ。
手を持ち上げようとして、パリとなにかが乾き皮膚が引っ張られる感覚と、くらりと目眩がし上手く身体に力が入らない。意識はあるものの、再びガレンの肩に体重が移動し、レティシアはなんとか起き上がろうと力を込める。
それをただ黙って見ているガレンに、コーニャが両手の魔法石を光らせたまま声を張り上げた。
「レティー! 団長のこと思いっきりぶん殴ってー!!」
「えぇ?? そんな、ぅ……目眩が……」
「姐さんなに言ってんすか!!??」
「無理ならちゅーとかでもいいからー。……うん、団長にキスしてあげてー!」
「キっ……!」
「姐さん遊んでる場合じゃないんすよ?!」
「びっくりして起きるかも知れないじゃない」
「そんな、キスだなんて……」
顔を真っ赤にさせて、レティシアは俯いてしまう。くらくらする頭で急に何を言い出すのだろうと混乱していると、抱えられている腕に力が入り引き寄せられた。
「え? キスしていいのか?」
すぐ真上から声が降り、いつもと変わらぬ姿に戻ったガレンがレティシアを見ていた。




