第22話 そんなことさせない
「コーニャ、トマが戻り次第レティシアを連れて戻れ。頼んだぞ」
「はいはーい」
扉の前でガレンがコーニャに言う。
薄汚れたメイド服を着替え、最初の格好へと戻ったレティシア。見た目の印象を変える仮面は、どこかへ落としてきた。
「レティシア。指輪は俺がなんとかする。ナギサという人物についてはそれからだ」
「そうそう。アタシ達は一旦戻って、次のための準備をしよー」
ガレンとコーニャは言うが、レティシアの表情は暗い。
「ガレンさん。私やっぱり、あの部屋に戻って囮でもなん……」
「駄目だ。何度も言わせるな」
「…………」
「団長ー」
「……、でも、駄目だ。囮だと。馬鹿馬鹿しい、許可しない」
しゅんと項垂れるレティシアに、コーニャが苦笑を浮かべ軽く背中を撫でる。
レティシアとて解っている。現状、レティシアに出来ることはなにもないのだと。
それから少しもしない内にトマが戻って来て、すぐにノルマンが挨拶に来ると教えてくれた。仮面を失くしたレティシアは薄手のショールを頭から被り、体調不良を装う予定だ。
「小伯爵が来る前に俺は行く。――レティシア」
「はい」
「そんな顔をするな。絶対なんとかする」
「……はい」
笑みを作り、ガレンを見送る。
トマが自分の仮面をレティシアに渡したほうがいいかな、とコーニャと相談している後ろで、急にレティシアは目眩に襲われた。
どくんと心臓が跳ね、意識が引っ張られる。
渚の、悲鳴が聞こえた。
「え、レ――なんだ、身体が……」
温かい光がレティシアを包み、淡い光に誘導されるように部屋を飛び出していた。
聞こえるのは自分の心音だけで、流れる景色もどこか自分とは無関係のように感じる。何人かの使用人達とすれ違い、なのに誰もレティシアを止めようとはしない。
レティシアが見ている世界とは別に、あのブロンドの髪の女が、誰かに何かを飲ませようと迫る姿が見えた。
レティシアへと届く音は遠いのに、脳内に響く声だけが鮮明に聞こえた。
――”大丈夫……あの女がいるから、私を疑ったりしないはずよ!”
駄目!
レティシアに反応するように光の熱は強くなり、どこへ向かえばいいのか自然と足が動いていた。
つい先程も通った廊下。レティシアという侵入者があったばかりで、どこよりも厳重にしなければいけない部屋には、使用人の一人も見当たらなかった。
「やめて! チェリルを離しなさい!!」
レティシアが触れる前に勝手に開いた扉に、疑問すら浮かばず中へと飛び込む。
荒れたままの部屋の奥、天蓋付きのベッドでチェリルに迫るローザの姿があった。
「なっ! なんでアンタが!! 人避けの魔法石を使ってたのにどうやって分かったのよ!」
ベッドへと乗り上げていたローザが立ち上がろうとし、レティシアは女へと掴みかかる。ローザの手には蓋の開いた小さな瓶が握られていた。
許さない!
レティシアは小瓶を持つ手を払い、紫色の液体が白のシーツへと広がった。チェリルは眠っているのか、はたまた眠らされているのか目を閉じたまま動かないでいた。
「チェリルから離れて!」
「このっ!!」
レティシアがローザの腕を引き、ローザは元からつり上がっていた眉を更に上げると、手を振り上げレティシアの頬をぶった。
バシリと大きな音が響き、それは二度、三度と続く。
「なんなのよ、あんた!! しつこいのよ!! 終わってるくせに、さっさと消えなさいよ!!」
「渚を帰すまで、何度でも来てやるわ!!」
「うるさい!!」
「――っ!」
頬が赤く腫れ上がり、長い爪が皮膚を裂いた。
産まれてから一度も喧嘩なんてしたことがないレティシアは、ローザをチェリルから遠ざけることしか頭になかった。まだ、レティシアが男爵家の令嬢であったころ、義母に打たれることがあっても、時が過ぎるのを待てばそれで済んだ。
しかし、今なにもしなければチェリルに危害が及ぶかも知れない。目の前の女は、レティシアを陥れるためならば明らかに口にしてはいけないような液体を、幼い少女に飲ませようとする人物なのだから。
だからレティシアは反撃した。十七年間生きてきて、初めて他者に手を上げたのだ。
「ぎゃ!」
大げさな悲鳴を上げ、ローザが一瞬怯む。自分がしたことに驚いているレティシアを見るとすぐに顔を赤らめ、レティシアへと掴みかかって薄い身体を引き倒し馬乗りになった。
「よくも私の顔に!! このブスが!! ふざけるんじゃないわよ!」
レティシアは”どらま”で観た! と振り下ろされる相手の手を取ろうと失敗し、突き指した。その痛みに身を捩ると相手も体勢を崩し、その隙に押しのけ立ち上がる。
このままでは埒が明かない。レティシアには誰かを倒す術など分からない。
ならばせめて、ローザが何も出来なくなる状況を作ろうと大きく息を吸い込んだ。
「どなたか、いらっしゃいませんかー!!!!」
ヒューデルト男爵以外なら誰でもいい。
この後レティシアがどうなろうとも、今この時、チェリルをローザから遠ざけてくれるのであれば。
「チェリルを助けて!! 誰か、」
「来るわけないでしょう! 部屋の周りには人避けの」
ローザが言いかけ、人の声と僅かだが足音が聞こえた。
なんでとローザは口にし、レティシアは女の気を引こうと扉へ駆け寄ろうとした。
だから、そんなレティシアにローザは錯乱したのだろう。
「早く、チェリルが――」
ドン、と脇腹に何かがぶつかってきて、ブロンドの髪がすぐ近くにあることに気がついた。それが今まで取っ組みあっていた女だと、気づく距離まで相手が離れ、手には真っ赤な液体を滴せるナイフを持っているのが見えた。
「ローザ! 早まるな、まだ――!!」
入ってきたのはあの小男で、白いシャツにシミを作るくらい汗をかきながら、開けっ放しの扉から姿を現す。
同時に、コトンと硬いものが床へ落ちる音がした。
レティシアは視線より先に右手で自身の脇腹に触れ、熱くなっていたものの正体を確認して足の力が抜けた。
「なぜ、お前が……」
「ヒューデルト男爵?」
「!?」
小男は廊下の向こうから名前を呼ばれる。ノルマンの声だ。ヒューデルト男爵の顔色が一気に悪くなり、扉を閉めようとし走り出した自分の娘に突き飛ばされた。
真っ赤な四本線が扉の片方を汚し、もう一方を掴もうとして驚いたノルマンの顔と視線が交わる。ぎょっと丸められた目玉は赤く染まった女の手を映し、身体が強ばるのが端から見ても分かった。
そして最後の抵抗とでも言うように扉を閉じようとしたローザを止めたのは、ノルマンではなく、仮面をつけているガレンだった。
「――……レティシア?」
「!?」
ノルマンは気づいていなかったのだろう。突然、自分の背後から聞こえたのに身構えて振り返った。しかし、次の瞬間には印象が薄れコイツは誰だと思いながら、まあいいかと納得してしまう。
「なぜだ……なぜ、お前が……」
必死で扉を閉めようとしている女などまるでいないように、ガレンは片手で扉をこじ開け蝶番が外れた。進路にいたヒューデルト男爵が尻這いに道を開け、ようやっとレティシアのすべてがガレンの目に収まった。
ガレンが此処に来たのは、ヒューデルト男爵がなにかボロを出してくれないかと、悠長に構えてノルマンをけしかけようと画策したからだ。
すぐにヒューデルト男爵を見つけたガレンは、娘がヒスを起こして無謀なことをしそうだと、男爵が焦り漏らしていた独り言を聞き、そのまま利用してやろうと思ったのだ。
だから見送りなんて終わっているような時間に歩いていたノルマンに、ちょっとした催眠のようなものをかけ、ヒューデルト男爵の後を追わせた。
ヒューデルト男爵だって、娘が婚約関係を結びたい貴族の屋敷で事を起こすのを止めるだろうと――大事になることはないと、そう高を括っていた。
その結果が、これだった。
「ガレ……」
レティシアの身体がぐらつき、前に倒れる。
「レティシア!」
ガレンの声が遠くに聞こえた。




