第15話 自覚
「なぜここに居る、レティシア」
片腕を取られ痛みに表情が歪む。
人が行き交う往来で、レティシアは元婚約者に侮蔑の眼差しで詰め寄られていた。
「ノルマン……」
「屋敷の者から、お前に似た人物を見かけたと聞いてまさかと思ったが……。何の目的でザーフィアスにいる?」
「あ……その、……」
家を追い出され金を稼ぐためとは言え、ノルマンからすれば妹を危険に晒した悪女だ。そんな人物が、近くにいること自体許せないだろう。レティシアは顔色を悪くし俯き、ノルマンは答えないレティシアに腕の力を強めた。
あまりの力強さにレティシアは身を捩り、周囲の人間も何事だと通り過がりながらも視線を寄越す。
「ノルマン、人目が……」
自分はいいが、ノルマンはこの土地の次期領主だ。中には彼の正体に気づき、声をひそめる者も出てくるかも知れない。ノルマンも顔を隠すようにフードを被っているし、見る限りでは従者の一人もつけていない。
「……こちらへ。訊きたいことがある」
掴まれる腕の力は多少緩んだが、痛いことには変わらぬまま、人目につきにくい建物の陰へと引っ張られていく。少し離れた裏の倉庫通り。そこは静かで、人通りも段違いだった。
ノルマンはやはり一人で出歩いていたようで、フードは外すこと無く、レティシアの腕も解放してはくれない。大きな木箱が積み上げられている倉庫の前で、レティシアを壁際に押し付けるとノルマンはようやっと口を開いた。
「改めて訊く。何の目的でザーフィアスにいるんだ」
目的、と言われてレティシアは戸惑いながらも声を絞り出す。
「仕事を……」
「仕事?」
「お金がないので、仕事をして……資金が貯まったら別の町に行くつもりでした」
何となくガレン達の事を言ってはいけない気がし、簡潔に答える。
「なぜ君が仕事を?」
「? 家を……家から絶縁を言い渡されたので。生活費を稼ぐために……」
「な!」
驚いた様子のノルマンに、家から追い出されたことは伝わっていなかったのだと知る。混乱したノルマンの独り言から、どうやら彼は婚約破棄のサインを受け取ったあと、あえてレティシアの実家と必要以上の連絡は避けていたようだ。
そのサインだってレティシア本人が行ったものではないが、もう今さらな事で、レティシアにとっては済んだ過去のことだった。
「今回のことが原因ではございません。その様な事態を招いた、私自身の行いのせいなのです」
「…………」
「……ノルマン?」
ようやっとノルマンはレティシアの腕を離したかと思えば、よろめきすぐ後ろの木箱にぶつかる。明らかに動揺が過ぎるノルマンに、何か可笑しいとレティシアも眉尻を下げ右手を伸ばしかけた。
「じゃあ、チェリルが可笑しくなったのは、君のせいじゃないのか……」
「ぇ? 今、なんと……」
今度は強い意志を持って伸ばした右手だったが、ノルマンは苦い表情を受かべ払い落とす。代わりにレティシアに革の小さめの袋を投げ付け、その中から硬い音がし地面に落ちた。
「今ある手持ちはそれしかないが、三月は暮らせるだけの額は入っている。それをやるから、すぐにでもこの町から出ていってくれ」
投げつけられたのは男物の財布で、中身の詰まったそれがレティシアの足元に転がっている。レティシアはそんなものは必要ないと、拾い上げノルマンに返そうとするが、ノルマンは受け取らずその場を去ろうとした。
「お待ち下さい! 先程チェリルがおかしくなったと……! チェリルになにか」
「うるさい! 君には関係のないことだ!」
「!」
もう用は済んだとばかりに、ノルマンは背を向け歩き出した。その背はレティシアを拒み、重なる質問を許してはくれない。
レティシアはぐっと右手に持つ革財布を握りしめると、大きく振りかぶりノルマンの背中へと投げつけた。
「いっ!!」
「お金は必要ございません!! どうぞお持ち帰りください!!」
「な、一度やった金をしまえと言うのか!」
「もう婚約者でもない赤の他人ですもの。施しなんて結構ですわ!」
頑丈な財布は形状を維持したまま地面に落ち、ノルマンは信じられないと言った表情を浮かべ、ムッと眉を吊り上げる。
乱暴に元自分の革財布を拾い上げると、大股でレティシアのところへと戻り、財布をレティシアの腰紐へとねじ込んだ。さらにリボン結びの腰紐をギュッと締め直され、レティシアは内臓が飛び出るかと思った。
「何をなさるので――って、速い!」
かと思えば、ノルマンはその隙に遠くへと走り去り、追いかけたところで追いつけそうにない。
「こんな子供っぽいことをなさる方だなんて、~~~~もうっ!」
腰紐を緩めれば財布がボトリと落下し、重たい音がした。レティシアが渚になる前は、優しく紳士的な印象が強かった彼は、あくまで印象でしかなかったのだとレティシアは静かに財布を拾い上げる。
ずしりと中身が詰まった財布は重く、扱いに困った。
「チェリルに、何かあったのかしら……」
何より先程のノルマンの言葉が気になり、なのに知る権利がレティシアにはなくどうしようもない。
「誰かに相談……でも、町に居ることさえ許されなかったのに、誰に……」
迷惑をかけたくない。迷惑だと思われたくない。だが――。
「……私は、居るだけで迷惑なのね」
まるで足場を失う感覚に、レティシアは暫く動けないでいた。
レティシアは宿の自分のベッドで目を覚まし、ふいと辺りを見回した。
あの後自身の足で宿に戻り、部屋に入ったのは覚えている。サイドテーブルには、まだ湯気が立っている一人分の食事が置いてあり、つい先程誰かが出入りしたのだと理解する。
窓から覗く景色は暗く、しかし深夜の静寂さはなく、飯屋として営業している一階からは客で賑わう声が響いていた。夕食時。いつもなら団員達と一緒に、出来たものを持って行きテントで食べる。
恐らく食事を持って来てくれたのはコーニャか、食事班の誰かで、後でお礼を言っておかないとと上体を起こした。
握っていたのか、ポケットに入れていたのか。ノルマンから押し付けられた革財布がレティシアの動きに合わせ、ベッドの下へと落ちた。
落ちた財布を霞む目で睨みながら、後で考えようとサイドテーブルの上に適当に置く。
(これから、どうしましょう)
ガレン達の旅芸団がこのザーフィアスに留まっている予定は後六日。その内ショーが行われるのは明後日からの三日間で、それが終わった二日間は撤収作業を行い、また違う土地に向かうらしい。
(ガレンさん達は、次はどこに行くんだろう?)
何となく訊かずに今日まできた。
(私も、もっと一緒に……)
――”すぐにでもこの町から出ていってくれ”
ノルマンの言葉を思い出し、ベッドの端でギュッと膝を抱え込む。
「……離れるにしても、一言お礼を言ってからでないと」
あと、今日は夜だし暗いから。
レティシアは誰も聞いていない言い訳をこぼし、食事には手を付けず食器を下げに階下へと向かう。食欲が無いため明日の朝食にでもしようと、忙しそうな厨房を避け、芸団が間借りしているストック棚に布をかぶせて置いた。
そして、ほんの少しだけ。
「ガレンさんは戻って来ているかしら?」
少しだけでいいから、ガレンの顔が見たくなって自然と足が外へと向かった。
まだ、なんの決心もついていないし、話すことなんてないがガレンに会ったらなにか変わるかも知れない。なにか、分かるかも知れない。
ノルマンに会ったショックで追いやられていたことを、レティシアは夜の灯りをなぞるように思い出していく。
特別になりたかったのだと、昼間呼び止めた男は言っていた。
(特別に……。誰かの、私は……)
テントがある空き地まで、通い慣れた道を一人歩く。
たまに声をかけようとしてくる者もおり、そこはお母様から伝授された”急いでます話しかけないでオーラ”作戦で逃げたが、相手も困っている感じではなかったので問題ないだろう。
そうやって、あとは大通りを越えて短い一本を抜ければというところで、レティシアは通りの奥へと目を取られた。
「ガレンさ」
背の高い、周囲から頭一つ分ほど飛び抜けた黒髪。距離はあるが声をかけようと、手を上げかけたレティシアの足が止まる。
外灯の明かりがあるとは言え、紛れやすい夜の人混みでも目立つ男はレティシアに背を向け、一人の女性を連れていた。
女性にしては背の高い、団員の女性でもない知らぬ誰か。レティシアから見えるのは長い栗色の髪で、その背をガレンの腕が引き寄せた。
「――――……!」
ひゅっと自分が出したとは思えない音が聞こえ、レティシアは気づけば空き地とは反対方向へと駆け出していた。
キスをしていた。
距離があったし、人も沢山いたのでハッキリと見えたわけではないが、相手を引き寄せ顔を近づけていた。
「……ぅ、ひっぅ……!!」
瞬間、世界から音がなくなり、気づけば反対方向へと走り出していた。
過呼吸になってしまうのではと言うほどの向かい風が肺の中へと入り込み、膨らみすぎた肺が心臓を圧迫しているのではと錯覚を起こす。いつの間にか視界も滲み出し、夜風に冷えた雫がレティシアの頬を伝って落ちていく。
宿とはまた別の方向に走り続け、誰の目にも晒されたくないと建物の陰にしゃがみ込む。
「……ぅあ、あぁ、ぅぇ……」
嗚咽を漏らし、消えてなくなりたくて小さく身体を丸める。そのおかげだろうか。町の喧騒が少しだけ遠くになった。




