751 パンの驚きとマヨネーズショック
「なんだ、コレ!?」
「手に持っただけで凹むぞ!」
「食べたら柔らかいだけじゃないよっ。
信じられないくらい美味しいよっ」
「しっとりしてるのが信じられない。
こんなに水気を含んだパンが、ふんわりしてるとか奇跡だ!」
「柔らかくて甘いパンなんて生まれて初めてだ!」
エーベネラント組に予期せぬ飯テロ発動中。
とにかくサンドインチの具材よりもパンのことが話題になっている。
トモさんと顔を見合わせてしまった。
元日本人組としては、首を傾げてしまう反応である。
思わず顔を寄せ合い──
「今日のは普通の品質だよね?」
ボソボソと小声でトモさんが確認してくる。
「過剰な反応されても困るから、最高品質にはしてないよ」
俺もボソボソで返す。
まあ、念話じゃないし結界も使っていないからミズホ組には筒抜けなんだけど。
「もう既に過剰反応してるみたいだけど」
「そう言われてもなぁ……
これ以下にするのは無理だよ」
「そうなのかい?」
「目いっぱい手抜きしてこれだもん」
「うわぁ……」
「まさか意図的に不味いものを作る訳にはいかないし」
それは別の意味で飯テロだ。
「確かにね。
さすがにそこまでやるのは食材に失礼だ」
「そうそう」
こんな具合に俺たちが小声でやり取りしている間もパンが絶賛されている。
「昨日の寿司なるものも旨かったが……」
「よく知っているはずのパンが別物に思える方が凄いよな」
騎士の人たちが泣いてるよ?
『そこまでか……』
俺とトモさんは絶句するほか無かった。
苦笑すらできない有様である。
「これを知ったら元の食事に戻れるだろうか」
この一言も彼らが泣いているのを見ていなかったら大袈裟だと思っただろう。
「言えてる。
一生分の運を使い果たした気がするからな」
この言葉も。
だが、彼らのやり取りは真剣そのものである。
とても冗談を言い合っている雰囲気はない。
「怖いことを言わないでくれよ」
「なんでもいい。
とにかく、ちゃんと食べておけ。
こんな旨いものが食べられる機会はもうないぞ」
「自分は食い溜めしますよ」
「自分もであります」
「私もだ」
次々に席を立ってお代わりを取りに行く。
「なんだかすまないね」
カーターが苦笑しながら謝罪してきた。
「喜んでくれたなら何よりだ」
それは正直な気持ちである。
「そう言ってくれると助かるよ」
「最初は簡単すぎる料理で、どうかなとも思っていたんだがね」
「シンプルだとは思うけど簡単すぎるということはないんじゃないかな?」
「そうかい?」
「この黄色いのが挟まっているのは卵だと思うんだけど、味がまるで違うじゃないか」
「あー、マヨネーズを使って和えているからな」
「まよねーず?」
「調味料の一種だよ」
「そうなんだ……
卵の味をここまで劇的に変えるとは……」
マヨネーズの味が相当に衝撃だったらしく、繁々と食べかけの卵サンドを見つめている。
「ハルさん」
「ん? どうしたのさ」
会話が途切れたタイミングを見計らってトモさんが声を掛けてきた。
「今日のマヨは配合比を変えたのかい?」
「そう言えば、味が違いますよね」
フェルトもトモさんの疑問に便乗してきた。
ハリーや子供組も、うんうんと頷いている。
『まあ、分かるよな』
こちらはパンと違って手抜きという訳ではない。
「マヨネーズを広めようと思ってさ」
西方で広めるには防腐効果を高めるしかない。
『空間魔法が幻の魔法になっているんじゃな』
そのために酢の分量を多めにしているのだ。
「ガタッ!」
不意にカーターが立ち上がった。
その勢いで椅子が後ろに倒れてしまっている。
「それは本当かい!?」
椅子のことなど気付いた様子もなくカーターが前のめりになって聞いてきた。
「まだ試験段階だから、しばらくは無理だぞ」
そう答えるだけで勢いは萎んでしまった。
そのまま椅子に座ろうと腰を下ろすのだが……
「あれえっ!?」
カーターの思うような位置に椅子はない訳で。
『しょうがないなぁ』
「パチン!」
フィンガースナップをひとつ鳴らして風魔法を使った。
「おおっ」
床に尻餅をつく前にカーターの体と椅子を浮き上がらせ、定位置に持って行く。
キッチリと着座したことを確認した上で魔法を解除。
カーターは何が起こったのか理解できずにキョロキョロと周囲を見渡していた。
まあ、すぐに状況を理解したようだけど。
「すまない。
醜態をさらしてしまったね」
恥ずかしそうにしながら頭を下げてきた。
「いいけどさ。
そんなにマヨネーズが気に入った?」
「もちろんだともっ」
拳を握りしめて返事をするカーター。
先程の失敗に懲りたのか、立ち上がることはなかったが。
「じゃあ試験で安全性が確認されたらレシピを渡すよ」
「「「「「なんですと────────っ!?」」」」」
ミズホ組以外の全員が一斉に立ち上がってしまった。
椅子がバタンガタンと音を立てて倒れていく。
「あ、椅子が倒れてるからね」
指摘すると、全員がそそくさと椅子を直しにかかる。
総長までもが恥ずかしそうに赤面しながら椅子を直していたのが意外だった。
そして皆が俺の方へ向き直る。
「ヒガ陛下っ!」
ダニエルが興奮気味に呼びかけてきた。
これがブリーズの街の冒険者ギルド長ゴードンだったら唾が飛びまくっていただろう。
食事中にそれは勘弁してほしい。
まあ、幸いにしてダニエルはそのようなことはなかったが。
それに匹敵する暑苦しさは感じている。
「そのレシピ、是非とも我らにも売ってくださらんか」
「いくら払えばいいんだい?」
カーターも負けじと迫ってくる。
耽美系の人でもこうなると暑苦しく感じるものだ。
『キャラが崩壊するぞ?』
指摘しても本人は気にしないだろうけど。
そこまで気に入ってもらえるならマヨラーは増えていくだろう。
『伝道師ゲットだぜ』
「金はいらない」
「「「「「ええっ!?」」」」」
己が耳を疑うかのように驚いている者が多い。
レシピを渡す発言ほどインパクトはなかったようで、何人かは受け流せているようだ。
総長もその口だ。
「何か条件があるのではありませんか?」
冷静に聞いてくるあたり、さすがだ。
先程の驚きぶりが嘘のようである。
「ああ、その通り。
レシピは秘密にせず、神殿を通じて広めることが条件だ」
「それは何故に?」
首を傾げながら神官ちゃんことシーニュが聞いてくる。
神殿が絡むとなると聞かずにはいられないのだろう。
「正しい作り方をしないと食中毒を起こす恐れがあるからだ」
「病気になる訳ですか?」
カーターが神妙な表情で聞いてくる。
「正しい作り方と扱い方をすれば大丈夫だ」
俺の回答に少しだけ硬い表情が緩んだ。
「逆に分量を適当にして作ったり保存の仕方を間違えるとアウトだがな」
「生死に関わると?」
今度はダニエルが聞いてきた。
「子供や老人だと、あり得るな」
「解毒の魔法は有効なのですよね」
総長が確認してくる。
「ああ、有効だ」
カーターやダニエルのように前のめりだった面子は安堵した様子を見せた。
ちょっと引き気味になっている者たちも、もちろんいる。
「それで神殿が広めるようにするのですね」
確かに何かあった時に神殿に行けば何とかなると思うだけでも心強いだろう。
必ずしもサルモネラ菌の知識が必要な訳ではない。
まあ、それだけが理由ではないのだが。
「それ以前に作る段階で解毒するようになっている」
実際には殺菌効果を高めていると言うべきなんだろう。
まあ、結果的にサルモネラ菌などを死滅させるのだから解毒していると言えなくもない。
「「「「「ええっ!?」」」」」
ミズホ組以外の面々が驚きの声を上げる。
『そんなに驚かれてもなぁ』
実際に市販されているマヨネーズは卵が使われているにもかかわらず消費期限が長い。
これが何を意味するか。
それだけ殺菌力と防腐効果の高い材料を使っているということだ。
前者は酢、後者は塩である。
材料の大半は植物油なんだが、これは腐るものではない。
キチンと混ぜて丁寧に乳化させれば問題のないものができる。
もちろん正しい材料で分量を間違えなければだが。
水で洗った卵を保存しておいて使うなど言語道断である。
『たまに居るんだよなぁ……』
あれはわざわざ細菌を卵の中に送り込んでいるようなものだ。
どうしても水洗いがしたければ、使う直前にすべきだろう。
あと、長期保存した卵も使うべきではない。
『加熱調理しないからな』
それと手作りマヨネーズだと食中毒を起こすことがある。
これは酢の分量を間違えているのが原因だ。
酸性度が高いとサルモネラ菌も死滅する。
ほかに注意すべき点は酢の種類だろう。
酸性度の低いもろみ酢は適していない。
『まあ、作った後の保存方法でも気を遣わなきゃならんしな』
乳化状態を維持するために高温低温は回避すべき問題だ。
分離すればマヨネーズでなくなってしまうからな。
調理して水分が加わった場合には防腐効果が落ちることも忘れてはいけない。
これらの常識がルベルスの世界にはないからね。
神殿を通じて広めるのは情報を秘匿することがないからだ。
「いずれにしても、今すぐ公開なんてできないぞ」
この一言に、ほとんどの者が絶句していた。
そしてションボリした様子で食事を再開する。
『そんなにショックかよ』
これは【多重思考】でもう1人の俺を呼び出して完成を急ぐ必要がありそうだ。
読んでくれてありがとう。




