並び替えと痴話喧嘩
喧嘩する程仲がいい。
「みゃーちゃんが……自殺を?」
「勧めたって……?」
俺とジルは顔を見合わせて、みゃーちゃんが言った事を確認する。俺たちは少し沈黙してから校長室に視線を戻す。
「あなた……何を……」
校長室の表情は見えなかったが、きっと驚きを隠せない程に動揺していた事だろう。
みゃーちゃんは続ける。
「ですから、私はこの学校を離れません。この学校に居られなくなった時が私の教師生命の終わりです。そう、考えています」
「どうして? 本当に……あなたが?」
「ですから、非常にいい話ではありましたが、申し訳ございません。辞退します」
そう言ってみゃーちゃんは校長先生に深く礼をした。
「まずい!」
俺は小声でそう言って、ジルの手を取り西階段へと走った。みゃーちゃんは振り返り、校長室を出てくるだろう事が容易に分かったからだ。
俺たちが西階段に到着した瞬間、校長室のドアが開く音が聞こえた。ジルはすかさず壁際から顔を少し覗かせて廊下の様子を確認する。『元気ヨーグルト』のストローを咥えながら、俺もジルにならう。
「確かめたい事があるわ。図書室に戻りましょう」
「ん? ああ、そうだな。そうするか」
『元気ヨーグルト』はズゴゴと控え目に音を立てて、内容量をゼロにしていた。
「確かめたい事って、なんだよ。ジル」
「すぐに、分かる筈よ。この予感、当たって欲しくはないけど。裏打ちがないと……」
そう言って、ジルはスタスタと本棚に向かった。俺は勉強道具を置きっ放しにしていた机に戻り、座った状態でジルを待った。
「はい、これ」
そう言ってジルが机に置いたのは三冊の本だった。三冊の本には見覚えがある。
「これ、今までメモが挟まっていた本……か?」
夏目漱石『こころ』、三島由紀夫『夜会服』、寮美千子『たいちゃんのたいこ』この三冊に何か意味があるのだろうか? それとも、まだ隠されたメモが?
顎に手を置き「うーん」と唸っていると、痺れを切らしたジルが、机をばしんと叩いて言った。
「アンタ! 今までの推理はマグレだったの? ちゃんと確認しなさいよ」
「………。分かりませんが?」
ジルは右手を腰に当て、左手を額につけて「やれやれ」と言って、静かに言った。
「著者名と、著書の頭文字とってみて」
「な、こ、み、や、り、た……。あっ!」
成田美弥子! みゃーちゃんの名前が……! アナグラムになっている!
どうして気がつかなかったのだろう。俺は額に手をやり、考える。
あれ? なんか、引っかかるな。
「嫌な予感、的中ね……全く」
「まぁ、あんな話訊いてしまえばな……それにしても」
それにしても、の後の言葉が見つからず沈黙していると、ジルが口を開いた。
「それにしても、これからどうするか。ね」
ジルは腕を組む。つられて俺も腕を組んでしまう。
「ああ、でも知ってしまった事だ。あずみさんの事もあるし……。確かめないワケにはいかないよな」
「そうね、海。……じゃあ、真相を確かめに行くわよ」
そう言ったジルの目は真っ直ぐで、力強く、とても、とても頼もしいものだった。
頼もしかった。
少しでもそう思ってしまった事を訂正したい。
ジルと俺は鞄を持ち、職員室まで来た。ここまではいい。至って普通だ。しかし、ここでジルは意外にも俺から職員室に入るように言ってきたのだ。
「なっ! あんなに勇んで図書室出た奴が、どうして土壇場になって怖気づいちまうんだよ」
「仕方ないでしょ! アタシは女の子よ! 『日本の女性は男性の一歩後ろを歩くもの』って本に書いてあったし!」
「お前、日本人じゃねーだろが!」
「倭を以て貴しとなす。よ」
「字が違うだろ! それ! 意味も!」
「何よー! うまい事言えた筈よ! おひねりがあってもいいくらいじゃないの!」
「捻った事を言ってから、おひねりを強請れよ」
「はぁ? 何それ。上手くないです~」
「はっ……。この掛詞の素晴らしさががわかんないかなー。センスない奴はこれだから困る」
「ん~~、うるさいいいっ! 男を立ててやろうとする女心がわかんないわけ? そりゃーモテない筈だわ!」
「ってめー! それだけは言ったら駄目だろ! 俺の琴線に触れやがって!」
いつの間にか、俺とジルの言い合いは、取っ組み合いの喧嘩にまで発展していた。顔と肩に食い込む爪が痛い。左頬がヒリヒリしてきた。引っ掻き傷が残るかもしれない。
「顔はやめろ! ボディにしろ、ボディに!」
「うー! るさい!」
「いってーーーー!」
そう言って、見事に引っ掻かれた。猫か、こいつは……。いや、人魚だけどさ。
「うるせーぞ、ガキ共ー!」
職員室のドアが豪快な音を立てて開く。みゃーちゃんこと成田美弥子教諭がカンカンに怒っている。
「中にまで声聞こえてんだ! 痴話喧嘩なら家でやってな! 見せつけやがって、忌々しいっ!」
「俺の決めゼリフ取られた!」
「うるせー! 二人とも正座!」
「はい」
俺とジルは取っ組み合いをやめて、即座に床に正座をする。俺はジルに引っ掻かれた頬を摩りながら、ジルを睨みつける。ジルも鋭い眼光で俺を威圧している。
「どうして、職員室の前で痴話喧嘩を? はいっ、銛矢」
みゃーちゃんに指名された。俺はおずおずと答える。……なるべく、慎重に。
「ええと、その……。先生に用事がありまして……」
「なんだそりゃ? はいっ、トールボット」
ここで回答権がジルに移る。ジルも俺と同様に、動揺しながら答える。
「そそっ、そのですねー。どちらが職員室に乗り込むか……で、言い争いに、その、なりまして」
「それで痴話喧嘩……か?」
俺達は同時に「はい」と答えて、みゃーちゃんの言葉を待つ。みゃーちゃんは仁王立ちのまま俺とジルに激しく言い放つ。
「子供か! お前ら!」
「その通りです」
完璧なまでのユニゾンに、みゃーちゃんは呆れて溜息を漏らした。ここぞ、とばかりにジルが口を開く。
「ところで、先生。これから暇ですか?」
「ん? ああ、一応な。もう帰ろうとしてたところだ」
ナイスだ。ジル!
チャンスを逃さない為、俺は間を開けずにみゃーちゃんに言う。
「先生とデートがしたいです!」
「え? えぇぇ? ……っへへへ」
満更でもないのか! どれだけ男に誘われない女性なんだ。なんか、悲しくなってきた。
「でも、私たちは、教師と生徒の関係だぞ」
「大丈夫です。一線は越えませんから」
「んなら、オーケー! 裏門で待ってろ。車取ってくるから」
そう言ってみゃーちゃんは一旦職員室に引っ込んだ。職員室の扉が閉まった瞬間、俺達は安堵の溜息を吐いた。
「一応は成功か?」
「ええ、そうね。でもまたアンタの新しい噂が広がりそうね」
「は?」
「ほら、あそこ」
そう言って、ジルは下足場を指差す。そこには居てはいけない人物が親指を立てて、ウインクをしている。
「く、楠宮……」
楠宮に聞かれていた。俺は弁解しようと立ち上がろうとするが、足が痺れて立ち上がれなかった。
「まて、楠宮……。話せばわかる!」
「フッ……。お大事にー!!!」
そう言って、楠宮は走り去ってしまった。壊れかけのロボットの様に、ジルと目を合わせる。ニヤリと笑いながら、ジルは言う。
「お幸せに」
足の痺れが無ければいいのに、と本気で思った。ああ、本当に忌々しい。