2.53
魔王城・円卓
戦いの熱がようやく引いた大広間は、妙に静かだった。
砕けた床石。ひび割れた柱。
天井の一部は崩れ、夜風がゆるく吹き込んでいる。
それでも――空気は穏やかだった。
玉座はそのまま残っている。
けれどリュナはそこに座らず、階段の途中に腰を下ろしていた。
アレンは少し離れた柱にもたれ、腕を組んでいる。
エルナはその隣で小さくため息をついた。
「……誰一人死ななくてよかった」
ミラが眼鏡を直しながら微笑む。
「ほんとにね」
レイナがくすりと笑う。
その軽さに、緊張がほどける。
やがて、ゆっくりと足音が響いた。
長い外套をまとった男――エルダン。
白髪混じりの黒髪を後ろに束ね、鋭い目で場を見渡す。
その隣には、紫の長髪を揺らすラディア。
「……なるほど」
エルダンの低い声が響く。
「勇者と魔王が並ぶ光景か。長く生きてきたが、これは初めてだ」
ラディアが肩をすくめる。
「退屈しないでしょう?」
リュナは少しだけ笑った。
「退屈はさせないつもり」
それは王としての声音ではなく、どこか柔らかい。
エルダンは腕を組み、アレンを見る。
「お前は死んだはずだ」
「俺もそう思ってた」
アレンは苦笑する。
エルナが肘で小突いた。
「勝手に死なないでよ」
また小さな笑いが生まれる。
それだけで、この城の空気は変わった。
戦いの場だった場所が、話し合いの場に変わっていく。
やがてミラが一歩前に出た。
「和解は成立した。でも問題は残っている」
空気が少し締まる。
「元凶は人間国家。国王よ」
言葉が静かに落ちる。
幻覚の強要。
エルナの投獄。
アレンへの脅迫。
戦争の煽動。
誰も反論しない。
ラディアが言う。
「王国周辺は能力無効化結界。直接的な干渉は難しいわ」
エルダンが続ける。
「突破は可能だ。数刻あれば崩せる」
その言葉には確かな自信があった。
だが、リュナは首を振る。
「壊さない」
短く、はっきりと。
エルダンの眉がわずかに動く。
「では、討たぬと?」
「討つためじゃない」
リュナは立ち上がる。
階段を一段、また一段と下りる。
玉座より低い位置で、全員と同じ高さに立つ。
「終わらせに行く」
静かな言葉だった。
だが、誰よりも強い。
アレンが隣に並ぶ。
「復讐は、もういい」
エルナが頷く。
「でも、原因は残したままにしない」
ラディアが目を細める。
「交渉、ということ?」
「違う」
リュナは小さく息を吸う。
「問いに行く」
その言葉に、エルダンはしばらく沈黙した。
やがて低く笑う。
「……命令か?」
リュナは首を横に振る。
「提案よ」
その瞬間、空気が変わった。
命じられるのではない。
選ぶのだ。
エルダンはゆっくりと膝をつく。
「ならば、私は同行しよう」
ラディアも微笑む。
「転移なら任せて。王国の外縁、国境付近までなら可能よ」
ミラがすぐに整理する。
「代表団は最小で。軍勢に見せないために」
エルナが言う。
「七人で十分」
リュナ、ラディア、エルダン。
アレン、エルナ、ミラ、レイナ。
七人。
軍ではない。
象徴。
夜が更ける。
転移陣が淡く光る。
城門の前。
静かに歩き出そうとしたその時――
背後に気配。
振り返ると、魔族の兵が並んでいた。
誰も武器を構えていない。
ただ、立っている。
エルダンが問う。
「何のつもりだ」
若い兵が答える。
「王が行くなら、俺も後から向かいます」
別の声。
「戦いでなくても」
リュナは目を伏せ、それから言った。
「命令ではない」
「知っています」
兵は笑う。
「だから行くんです」
その言葉に、ラディアが小さく息を吐いた。
「革命って、こういうのを言うのかもね」
やがて光が強まる。
七人は転移する。
荒野。
魔族領と人間領の境目。
冷たい風が吹き抜ける。
そこに立つ七人。
アレンが呟く。
「ここが、境目か」
リュナは前を見る。
「今日からは違う」
遠くで国境警備兵がこちらを見ている。
剣は抜いていない。
ただ、見ている。
元勇者が魔王の隣に立っている。
しかも戦闘態勢ではない。
その事実が、何よりも強い。
兵の一人が村へ走る。
噂が走る。
――魔王が来た。
――勇者は生きている。
――戦う気はないらしい。
――戦争を終わらせに来たらしい。
らしい、らしい、と尾ひれがつく。
だが方向は一つ。
終わるかもしれない。
背後から、また足音が増える。
転移はしていないはずの魔族たちが、歩いてきている。
さらに遠くから、人影。
人間だ。
誰も号令していない。
誰も命じていない。
それでも列は少しずつ伸びていく。
エルダンが低く呟く。
「……これはもう、止められまいな」
リュナは静かに答える。
「止めるつもりはない」
アレンが隣で言う。
「進むだけだ」
国王はまだ知らない。
軍ではなく、意志が向かっていることを。
戦争は、刃ではなく選択で終わるということを。
夜明けが近づいていた。
そして、七人は一歩を踏み出す。




