2.47
粉塵の中。
橋は半壊し、石は砕け、空気は荒れている。
だが魔族は静かに立っていた。
「精霊が乱れているな」
声は穏やかだ。
「若い力は、環境に左右されやすい」
レイナは弓を下ろさない。
だが焦りは、消えていない。
風が重い。
流れが鈍い。
このまま撃ち合えば、削られる。
“生き延びる者”の戦い方に飲まれる。
(どうする……)
その時だった。
胸の奥で、懐かしい気配が揺れた。
大精霊。
かつて契約を交わした存在。
戦いの中で、何度も支えてくれた“古き風”。
『焦るな』
声ではない。
だが、確かに届く。
レイナは目を閉じた。
橋の上。
敵の前。
それでも。
深く、息を吸う。
(教えて)
『教える必要はない』
風が、変わる。
『お前はすでに知っている』
周囲の乱れた空気が、ゆっくりと整い始める。
精霊が“従う”のではない。
“対話”する。
魔族が目を細める。
「……ほう」
レイナは弓を構え直す。
今度は矢に属性を乗せない。
代わりに。
風そのものを、橋全体に巡らせる。
足元の粉塵が流れを持つ。
砕けた石が、わずかに浮き上がる。
「環境を育てるのが得意なんでしょ」
小さく笑う。
「なら、私もやる」
魔族の杖が動く。
だが。
今度は橋の空気が抵抗する。
“馴染む”のではない。
風が、魔族の魔力を拒む。
「……大精霊か」
低い声。
レイナは頷かない。
ただ、弦を引く。
風が、一本の線になる。
撃つ。
矢は飛ばない。
消える。
次の瞬間。
魔族の背後で風が爆ぜる。
圧縮された空気の槍。
魔族は身を捻るが、完全には避けきれない。
外套が裂ける。
「空間を……媒介にしたか」
レイナは歩みを進める。
「長く生きてるなら知ってるでしょ」
再び弦を引く。
今度は三連。
だが矢は囮。
本命は――
橋の構造。
風を巡らせ、足場をわずかに傾ける。
魔族の重心が崩れる。
その瞬間。
無属性の一射。
真正面から。
杖が受ける。
だが。
風が、後押しする。
衝撃が倍加する。
杖が弾かれる。
魔族の足が、橋にめり込む。
初めて、明確な後退。
レイナは間合いを詰める。
弓を、逆手に持つ。
接近戦。
「単体戦闘は得意じゃないんでしょ」
魔族がわずかに笑う。
「若いな」
だが。
その声に、余裕は少しだけ薄れている。
レイナの動きは速い。
精霊が背中を押す。
風が、足を軽くする。
弓の柄で腹を打つ。
回転。
蹴り。
杖を蹴り上げる。
武器が宙を舞う。
矢を番える。
喉元へ。
止める。
静寂。
風だけが流れている。
魔族は動かない。
瞳が、まっすぐレイナを見る。
「……殺さぬのか」
「殺さない」
即答。
「あなたは敵だけど、無駄じゃない」
風が静かに巡る。
「あなた、戦わずに生きてきたんでしょ」
魔族は目を細める。
「それが?」
「じゃあ分かるはず」
レイナの声は、震えていない。
「終わらない戦いって、意味ないって」
沈黙。
橋の下、深い谷から風が吹き上がる。
「リュナは、今も戦いの中にいる」
レイナは続ける。
「あなたは生き字引なんでしょ? なら支えればいい」
矢先は、まだ喉元。
「壊す側じゃなくて、残す側に」
長い、長い沈黙。
魔族はゆっくりと目を閉じた。
風が頬を撫でる。
「……若い」
だが。
その声は、最初とは違う。
「浅ましいと言ったが……お前は少し違うようだ」
ゆっくりと、両手を上げる。
「降参ではない」
視線は鋭いまま。
「だが、今ここで命を賭ける理由もない」
レイナは矢を下ろす。
風が、穏やかになる。
「リュナを止められるのは、お前たちかもしれんな」
魔族は杖を拾う。
折れてはいない。
だが、亀裂が入っている。
「よかろう。私は観る」
その目は、橋の奥――リュナへ向く。
「必要とあらば、知を貸そう」
レイナは大きく息を吐いた。
脚が震える。
だが、立っている。
大精霊の気配が、静かに遠のく。
『よくやった』
風が、優しく頬を撫でた。
そして。
橋の向こう。
氷が砕ける音が響く。
エルナとミラの戦いは、まだ終わっていない。
レイナは弓を握り直す。
「……今度は、三人で」
悠久の魔族は、小さく笑った。
「若い風よ」
その瞳には、ほんの僅かな期待が宿っていた。




