2.45
衝撃が消えたとき、そこには夜の匂いが残っていた。
焦げた木片。
踏み荒らされた草。
黒く丸い痕。
焚火の跡だ。
ラディアは、ゆっくりと顔を上げた。
「……ここは」
おかしい。設定した場所と全然違う。
魔王城から離れた地点を設定したはずなのに。
魔王城の近くの場所の覚えがある。
「何故だ。どうしてここに?」
アレンは少し肩を回す。
「急だったからな。用意してた幻は、ここしか思い付かなかった」
ラディアの目が細くなる。
「幻?」
「お前の能力は、頭に思い描いた場所へ飛ぶ。だから――」
アレンは地面を軽く踏む。
「直前に、思い描く景色をずらした」
ラディアの転移は精密だ。
だからこそ、意識への干渉に弱い。
ほんの一瞬。
視界の端に紛れ込ませた“記憶”。
焚火の赤。
揺れる火。
それを“目的地”として固定させた。
「……小細工を」
怒りはない。
あるのは、冷たい評価。
「あなたはやはり危険だ」
ラディアが構える。
魔力が集まる。
足元に、複数の転移陣が展開される。
瞬間移動の連撃。
位置を変え、死角から刃を通す。
昨日までなら、それで終わっていた。
だが。
一歩目。
ラディアの姿が消える。
右。
背後。
上。
刃が閃く。
アレンは振り返らない。
身体が自然に動く。
剣を抜く。
火花。
衝突。
ラディアが初めて、眉をひそめる。
「……見えている?」
「見てない」
アレンは短く答える。
「感じてる」
再び消えるラディア。
今度は三方向同時。
残像を伴う高速転移。
刃が四方から迫る。
アレンの魔力が、解放される。
空気が震える。
地面の灰が舞い上がる。
一閃。
半円を描く斬撃。
幻影が裂ける。
本体が弾き出される。
ラディアが距離を取る。
「力を解放したか」
「最初から本気で来い」
アレンの目は、揺れない。
そこにあるのは焦りではなく――覚悟。
「あなたはリュナ様を不安定にさせる」
ラディアが言う。
「先代もリュナ様も。お前は全ての魔族の敵だ」
一瞬。
焚火の残り火が、ぱちりと音を立てた気がした。
アレンの足が止まる。
ほんの、わずか。
その隙をラディアは逃さない。
最大出力。
空間ごと切り裂く転移刃。
直線ではない。
“存在座標”を削る攻撃。
だが。
アレンは踏み込む。
避けない。
刃を、正面から受ける。
魔力を叩きつける。
衝突。
爆ぜる。
草地がえぐれる。
煙が上がる。
ラディアが目を見開く。
刃が、止まっている。
「逃げないって言っただろ」
アレンは、刃を掴んでいる。
血が滲んでいるが気にする様子もない。
「今度は、逃げない」
握り潰す。
刃が砕ける。
ラディアが後退する。
初めて、明確な動揺が走る。
「あなたは……何を背負っている」
「お前が知る必要はない」
踏み込み。
距離が消える。
剣ではない。
拳。
腹部に叩き込まれる衝撃。
防壁が割れる。
呼吸が止まる。
追撃。
足払い。
地面に叩きつける。
剣先が喉元に止まる。
静寂。
焚火跡の匂いが戻る。
ラディアは、動かない。
だが目は逸らさない。
「……殺さないのか」
「必要ない」
アレンは剣を引く。
「お前もリュナに必要だ」
「それでも、リュナ様に会わせるわけにはいかない」
その執念だけは揺れない。
アレンは空を見る。
夜が薄れ始めている。
「会うさ」
静かに。
「安心しろ。こちらとしては戦うつもりはない
謝るだけだ」
ラディアが問いかける。
「そんな理由のためだけに来たのか。
もし拒絶されたらどうする?」
アレンは一瞬、目を閉じる。
焚火。
エルナの顔。
昨日の笑い声。
「それでも、逃げない」
ラディアは、ゆっくりと視線を落とす。
敗北を認めたわけではない。
だが、理解した。
この男はもう、昨日の男ではない。
「……行け」
かすれた声。
アレンは背を向ける。
歩き出す。
魔王城の方向へ。
焚火跡を踏み越えて。
残り火は、完全に消えた。
だが。
その場所にあった温度だけは、まだ残っていた。




