2.44
空間が、歪んだ。
石畳の亀裂から広がる黒い紋様は、静かに、しかし確実に魔力を吸い上げていく。
中心にいるのは――アレン。
「転移だ!」
レイナが叫ぶ。
だが、遅い。
魔法陣は完成している。
暗殺部隊の数体が同時に自壊する。
魔力が、陣へ流れ込む。
捨て身。
足止めではない。
分断。
エルナが踏み込む。
「兄さん!」
黒装束の魔族が、行く手を塞ぐ。
刃が交差する。
エルナは力任せに弾き飛ばすが、一瞬足が止まる。
それで十分だった。
紋様が閉じる。
アレンの足元から、闇が立ち上がる。
その中に、一人の魔族が立っていた。
ラディア。
細身の体躯。
蒼黒の瞳。
感情の読めない顔。
「お前だけは、リュナ様に会わせない」
静かな声。
怒りでも、憎悪でもない。
決意。
アレンは動かない。
慌てない。
むしろ、わずかに息を吐いた。
「来ると思ってた」
ラディアの眉がわずかに動く。
「あなたは、また消える」
「そう思われてるなら、都合がいい」
その言葉と同時に、エルナが突破する。
間に合う距離。
剣が振り下ろされる。
だが、黒い膜が一瞬だけ展開する。
防壁。
エルナの刃は弾かれる。
「退け!」
レイナの矢が放たれる。
風を纏い、魔法陣の縁を射抜く。
だが、陣は崩れない。
転移はすでに固定されている。
ミラが支援魔法を重ねる。
加速、強化、障壁。
「アレン、跳べ!」
アレンは首を横に振る。
「先に行け」
その声は、驚くほど穏やかだった。
エルナの瞳が揺れる。
「今度は違う」
アレンは続ける。
「逃げない」
ラディアが印を結ぶ。
空間が閉じる。
足元の闇が、膨張する。
エルナが叫ぶ。
「置いてくな!」
一瞬。
本当に一瞬だけ、アレンの視線がエルナに向く。
あの日とは違う。
消える男の目ではない。
残す者の目だ。
「信じろ」
黒が、弾けた。
衝撃波。
石畳がめくれ上がる。
次の瞬間、アレンとラディアは消えていた。
静寂。
ほんの一拍。
その隙を、魔族は逃さない。
包囲が再び狭まる。
エルナの呼吸が荒い。
「……また」
喉から漏れかけた言葉を、飲み込む。
違う。
さっきの目は、逃げる目じゃなかった。
ミラが肩に触れる。
「信じるって言ったでしょ」
レイナはすでに次の矢を番えている。
「足止めは終わりよ」
風が唸る。
精霊が集まる。
レイナの魔力が高まる。
「突破する」
矢が放たれる。
暴風が城門前を薙ぐ。
隊列が崩れる。
エルナが前に出る。
迷いは、ない。
剣が走る。
体術が唸る。
弓に持ち替え、後退する敵を射抜く。
万能の動き。
以前よりも、速い。
以前よりも、強い。
ミラが背後を守る。
接近してきた暗殺部隊の首元へ、静かに小刀を滑らせる。
同時に、エルナの裂傷へ回復光を送る。
攻撃と治癒を同時にこなす。
一分。
二分。
包囲が、崩れる。
最後の重装兵が膝をつく。
静寂が戻る。
城門の前に、三人が立つ。
息は上がっている。
だが、立っている。
エルナは城を見上げる。
「先に行け、って言った」
ミラが小さく笑う。
「珍しく、ちゃんと前向きな顔してたわよ」
レイナが城門へ歩き出す。
「なら、やることは一つ」
城門に手をかける。
重い。
だが、押せば開く。
きしむ音。
暗い内部が覗く。
エルナは一度だけ振り返る。
「……絶対来いよ」
誰に聞かせるでもなく。
そして、三人は城内へ足を踏み入れた。




