2.42
アレンは、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「……どこから話せばいいか、分からないな」
自嘲気味に言って、すぐに首を振る。
「いや。違うな。
本当は――最初からだ」
エルナは何も言わない。
逃げない視線で、兄を見ている。
炎が小さくはぜる。
「村が焼かれた日を、今でも覚えている」
空気が一段冷えた。
燃える家。
逃げ惑う人。
血の匂い。
「だから思った。
――魔族は、敵だって」
拳を握る。
「でも、後から知った」
声が低く落ちる。
「襲撃は無差別じゃなかった」
ミラの視線が静かに揺れる。
「エルナの力を知った国が進めてた計画。
“エルナを魔王を倒す兵器にする”ってやつ」
焚き火の影が揺れる。
「魔族は、それを察知してた。
止めに来てた」
沈黙。
「……俺たち人間が、先に踏み込んでた」
レイナの指がわずかに強くなる。
「当時の俺は、そんなこと知る由もなく魔族を憎んだ。
そんな中で、国は俺に選択肢を出した」
一拍。
「妹の命と引き換えに、
“魔王の娘”を人間にしろ、って」
エルナの喉が小さく鳴る。
「選択肢なんて、なかった。
やらなきゃ、お前が死ぬ」
アレンは炎を見つめる。
「だから従った」
声が、わずかに掠れる。
「幻術で刷り込んだ。
自分は人間だと。
俺がいないと、生きていけないと思うように」
「……それって」
エルナの声は、かすかだ。
「最低だ」
アレンは自分で言った。
「守るためだった、なんて言えない」
一瞬、目を閉じる。
「初めて会ったとき。
あの子、警戒も疑いもなかった」
幼い少女が、ただまっすぐに見上げていた。
「“人間だ”って刷り込むたびに、
吐きそうだった」
「これでいいのかって、
何度も思った」
「……でも、やめなかった」
やめられなかった。
「一緒に旅をして、
笑って、
剣を振る姿を見て」
声が、柔らぐ。
「気づいたら、大切になってた」
レイナが、静かに目を伏せる。
「利用してるはずなのに、
本気で傷ついてほしくないと思った」
「だから、怖くなった」
エルナが問う。
「何が?」
アレンは答える。
「壊れること」
「リュナが、自分の正体に気づくこと。
俺がやってきたことを知ること」
言葉が、静かに落ちる。
「……嫌われるのが怖かった」
「憎まれるのが怖かった」
「何より――
あの子の目が変わるのが、耐えられなかった」
魔王城が近づくにつれ、幻覚は不安定になった。
既視感。違和感。
「思い出しかけてた」
「自分が、何者かを」
エルナの唇が強く結ばれる。
「だから俺は……逃げた」
驚くほど、静かな声だった。
「バレるのが怖かった。
憎まれるのが怖かった。
壊れる顔を見るのが、怖かった」
「だから――
あの場にいた全員に幻覚をかけた」
勇者アレンは死んだと。
世界から、自分を消した。
ミラが、初めてアレンを見る。
「……ミラ。
君には、リュナも死んだと思わせた」
「リュナが魔族として生きていると知られたら、
すぐに狙われると思った」
「だから、嘘を重ねた」
沈黙。
「……最低だな」
レイナの声。
「うん」
アレンは頷く。
「最低だ」
焚き火の音だけが続く。
「それからの一年は、逃げてた。
名前を変えて、場所を変えて」
「でも、忘れられなかった」
声が、わずかに震える。
「毎晩考えてた。
リュナはどうしてるか。
エルナは生きてるか」
「本当は、ちゃんと話して、
どんな顔で殴られても、
どんな言葉で罵られても」
「向き合うべきだった」
「リュナに、ちゃんと謝りたい」
「利用してごめんって。
嘘をついてごめんって」
炎が小さく揺れる。
「……それでも」
エルナを見る。
「壊したくなかった」
「今までの関係を」
「怖かったんだ」
沈黙。
弱さをさらけ出した沈黙。
エルナが、ゆっくり息を吐く。
「……卑怯だね」
否定しない。
「でも」
震える声で続ける。
「兄さんらしい」
アレンの肩から、力が抜ける。
「……今なら?」
「今なら、逃げない」
「許されなくても?」
「それでも」
焚き火の向こうで、レイナが小さく言う。
「リュナは、きっとあなたを殺さない」
アレンは苦く笑う。
「それが、一番怖い」
裁きでも、赦しでもない。
ただ、嘘が初めて正しい形で並べられた夜だった。
エルナが立ち上がる。
「……行こう」
「リュナのところへ」
「一緒に?」
「当然」
迷いはない。
ミラとレイナも立ち上がる。
もう、聞くだけではいられない。
逃げ続けた男が、逃げるのをやめる夜。
謝罪と対峙。
そして――
嘘の清算へ。




