2.35
滞在を許された四人は、町の中央にある空き家へ案内された。
かつては兵舎だったらしい建物を、住居として使っているという。
壁には、まだ焼け跡が残っている。
天井の梁も黒ずんだままだ。
それでも、床は掃き清められ、窓には布が掛けられていた。
風が入り、埃の匂いよりも、乾いた木の匂いが勝っている。
「……綺麗にしてる」
エルナが、思わず呟いた。
案内してきた魔族の女性――副代表だという彼女が、肩をすくめる。
「住むって決めたからね。
壊れたままじゃ、心まで壊れる」
軽い口調だった。
けれど、その言葉はそ重かった。。
荷を下ろす。
ミラはまず窓辺に立ち、外の通りを確かめる。
レイナは柱や壁に触れ、建物の強度を見て回る。
エルナは戸口に立ち、町の様子をじっと眺めていた。
リオだけが、何もせず立っていた。
副代表の手には、泥のついた布。
畑仕事の途中だったのだろう。
「代表のところへ案内するわ。旅人なら、規律の説明は必要だから」
全員で行ってもしょうがないので荷ほどきはレイナとミラに任せて
エルナとリオで向かうことに決めた。
副代表の後ろを歩きながら、リオは町を観察する。
人間の方が多い。
家屋の造りも、人間向けのものが中心だ。
魔族の住居は、少し外縁寄りに集まっている。
分断は、ない。
だが、完全な混合でもない。
――均衡の上に立っている。
広場に出ると、木製の長机が並んでいた。
その奥に、壮年の男が立っている。
「……旅人か」
落ち着いた声だった。
人間側の代表だろう。
その隣に、角のある壮年の魔族が立つ。背は高いが、半歩だけ後ろにいる。
リオは、その距離を見逃さなかった。
「名は?」
「リオ。こっちはエルナ」
「滞在は短期か?」
「状況次第だ」
男は少しだけ目を細める。
「ここは戦場跡だ。外から見れば、裏切り者の巣に見えるだろう。
だが、我々はここで生きると決めた」
魔族の壮年が、静かに言葉を継ぐ。
「規律は三つ。
争いを持ち込まぬこと。
身元を偽らぬこと。
外へ余計な情報を流さぬこと」
最後の言葉が、わずかに重く落ちた。
リオの胸が、きしむ。
身元を偽らぬこと。
――自分はリオ。ただの旅人。
「守る」
短く答える。
しばしの沈黙。
やがて、代表が頷いた。
「空き家は自由に使っていい。三日は様子を見る。その後は話し合いだ」
エルナが小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
広場を離れた瞬間、張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
そのとき、子どもが近づいてきた。
人間の子だ。
「ねえ、どこから来たの?」
無邪気な声。
その後ろから、角の小さな魔族の子が顔を出す。
二人は、自然に並んでいた。
エルナがしゃがむ。
「遠くからよ。あなたたちは、ずっとここにいるの?」
「うん!」
魔族の子が元気よく頷く。
「ぼくたち、いっしょに畑やるんだ!」
誇らしげな声。
リオは、その様子を黙って見ていた。
魔族の子が、エルナの手を引く。
「こっち、見せる!」
エルナは笑って立ち上がる。
「リオ、行ってくるね」
彼は、小さく頷いた。
一人になる。
広場の端。
風に揺れる布。
そして、視界の隅に石碑。
吸い寄せられるように、近づく。
石は古い。
表面は風化している。
だが、刻まれた紋は消えていない。
剣と、角。
並んでいる。
敵対の象徴だったものが、隣り合っている。
指先が、無意識に石に触れた。
冷たい。
脳裏に、赤がよぎる。
炎。
叫び声。
倒れる影。
――ここで。
目を閉じ、呼吸を整える。
「……見なかったことに、できるか」
誰にともなく呟いた。
足音が近づく。
魔族の壮年だった。
「この石を見て、顔色が変わったな」
リオは振り返らない。
「戦場だったと聞いた」
「ああ。互いに多くを失った」
静かな声。
責める色はない。
「だが、ここに残った者たちが決めた。終わらせると」
終わらせる。
簡単な言葉だ。
その裏に、どれだけの血があったのか。
「……簡単ではなかっただろう」
「今も簡単ではない」
少しの間。
風だけが鳴る。
「それでも、ここで生きると決めた者は、逃げなかった」
その言葉が、胸の奥に沈む。
――逃げなかった。
リオは、わずかに視線を伏せる。
遠くで、エルナの笑い声が響く。
人間の子と、魔族の子に囲まれている。
穏やかな光景。
穏やかすぎる光景。
自分の中にあるものと、あまりにも遠い。
「……滞在は歓迎する。だが、ここは理想郷ではない」
壮年が言う。
「外はまだ荒れている。ここを良しとしない者もいる」
リオは、ゆっくりと息を吐いた。
「分かっている」
本当に分かっているのは、どちらだろう。
そのとき、背後からエルナの声。
「リオ! 夕方、食事一緒にどうかって!」
振り返ると、彼女は少し頬を赤くしている。
魔族の子が、袖を引っ張っていた。
一瞬、言葉を失う。
ここに、居続ける未来が浮かぶ。
畑を耕し、柵を直し、
名もなき旅人として暮らす日々。
可能かもしれない。
可能だと、ここは証明している。
だが。
胸の奥で、何かが否定する。
まだ、終わっていない。
「……行こう」
短く答える。
石碑から手を離す。
冷たさが、指先に残る。
夕日が町を染める。
人間と魔族の影が、同じ長さで地面に伸びていた。
境界は、確かにここにある。
だがそれは、越えられない線ではない。
リオはその中を歩きながら、静かに思う。
――見てしまった。
――直視してしまった。
そして、自分の中の何かが、
確かに、軋み始めていることを。
否定できなかった。




