2.33
森は静かだった。
昨日の戦いが嘘みたいに、
鳥の声が戻り、風が葉を揺らしている。
けれど――四人の歩く空気だけが、少しだけ重かった。
◇
隊列はまだ定まらない。
リオが前を歩く。
距離は微妙に遠い。
近づきすぎず、離れすぎず。
誰にも背中を預けない距離だった。
エルナは、その背中をぼんやり見ていた。
歩幅が一定。
視線が揺れない。
傷を負っているはずなのに、足取りは変わらない。
――本当に大丈夫なのかな。
そう思った瞬間。
「……ずっと見てるが、何か用か」
前から声が落ちた。
エルナは小さく肩を揺らした。
「……ごめん」
「別にいい」
それだけ。
でも、ほんの少しだけ距離が近づいた気がした。
◇
「ねえリオ」
後ろからレイナが声をかける。
「さっきの幹部って、前にも会ったことある?」
「ない」
即答だった。
「でも動き、迷ってなかったよね」
「……敵は敵だ」
短い言葉。
そこに躊躇はなかった。
ミラが横から口を挟む。
「……アンタさ」
少し真面目な声。
「全部“相打ち前提”だったり、自分への攻撃、丸っきり無視してたでしょ」
沈黙。
風が一瞬強く吹く。
「……効率がいい」
それだけだった。
「効率って……」
レイナが苦笑する。
「普通は自分も死ぬ可能性考えるでしょ」
少しだけ間が空く。
「……自分がことだけなら迷わない」
淡々とした声。
軽く言われた言葉が、空気を少しだけ冷やした。
エルナの胸が、わずかにざわつく。
◇
昼過ぎ。
小さな川辺で休憩を取ることになった。
水音が静かに流れる。
ミラが腕を叩いた。
「はい、止まれ新人」
「……新人?」
「同行初日でしょ。傷の確認」
強引に座らせる。
リオは少し抵抗したけれど、無理やり押し切られた。
外套が外れる。
傷が露わになる。
レイナが思わず声を上げた。
「……え、これ昨日のまま?」
肩の裂傷。
脇腹の刺創。
簡易的に布が巻かれているだけ。
「……治る」
「いやいやいや」
ミラが額を押さえる。
「アンタ、自分の体ただの道具だと思ってない?」
リオは答えない。
目を逸らす。
その沈黙が、答えみたいだった。
◇
手当てが始まる。
ミラの手が光る。
やわらかい治癒の光。
傷がゆっくり閉じていく。
その間も。
リオの表情は変わらない。
痛みを感じている様子が、ほとんどない。
エルナは少しだけ近づいた。
「……痛くないの?」
小さな声。
「……慣れてる」
短い返答。
「……怖くない?」
少し間。
水音だけが流れる。
「……怖いって思う時間が、無駄だった」
その言葉に、胸が少し締まる。
◇
休憩のあと。
四人は再び歩き出す。
森の奥。
少し狭い獣道。
突然。
エルナの感覚が、鋭く反応した。
「……前」
同時に。
低い唸り声。
茂みから飛び出す影。
大型の魔獣だった。
距離、近い。
次の瞬間。
リオが前に出ていた。
踏み込み。
早い。
でも――
防御を捨てた角度。
「待って!」
エルナの声。
届かない。
魔獣の爪が振り下ろされる。
避けない。
踏み込む。
剣が急所へ届く。
同時に。
肩に深い裂傷。
血が跳ねる。
魔獣は倒れる。
静寂。
◇
「……は?」
レイナが固まる。
「ちょっと待って今の何!?」
ミラが駆け寄る。
「避けられたでしょ!?」
リオは血を拭う。
「……効率的だ」
「だからって斬られに行くな!」
珍しくミラが怒鳴った。
エルナは何も言えない。
ただ。
さっきの動きが頭から離れなかった。
死ぬ前提の距離。
躊躇のない踏み込み。
そして――
ほんの一瞬だけ。
知っている誰かの影が、重なった気がした。
◇
夕方。
四人は小さな野営地を作った。
火が揺れる。
ミラが腕を組む。
「……ルール決めよう」
全員の視線が集まる。
「単独突撃禁止」
即答。
「……」
リオは黙る。
「アンタ死ぬ気で戦うのは勝手。でもさ」
少しだけ声が柔らかくなる。
「今は“同行者”だから。背中、預けられてるの」
レイナも頷く。
「私たちも守るし、守らせて」
沈黙。
火の音。
長い間のあと。
「……努力する」
小さな声だった。
それが、リオなりの譲歩だった。
◇
夜。
見張りは四人交代。
エルナの番。
隣に、リオが立っていた。
しばらく沈黙。
「……さっき」
エルナが言う。
「危なかった」
「……問題ない」
「……私、迷った」
小さな声。
「昨日も、今日も」
少しの間。
風が頬を撫でる。
「……迷ってもいい」
リオが言った。
「死ななければ、次がある」
それだけ。
でも。
エルナの胸の奥が、少しだけ軽くなった。
火が揺れる。
四人の影が、少しだけ近づいていた。
戦いの余熱を残したまま。
新しい同行の形が、静かに始まっていた。




