2.31
黒い外套の男が、ラディアの腕を弾いた。
空気が裂ける。
距離が一瞬だけ生まれる。
エルナの視界が揺れた。
――速い。
ラディアが初めて表情を変える。
ほんのわずかに、目が細くなる。
「……予定外」
短く呟く。
男は答えない。
ただ一歩、前へ出た。
剣が抜かれる。
音がない。
呼吸も浅い。
死ぬ前提の構え。
「……誰」
レイナが低く問う。
外套の奥から声が落ちた。
「……リオ」
それだけ。
名乗ったのは、名前だけだった。
ラディアが消える。
次の瞬間、真横。
掌打。
急所。
だが――
リオが踏み込んでいた。
防御じゃない。
相打ちの距離。
刃が頬をかすめる。
同時に、ラディアの脇腹へ斬撃。
浅い。
しかし速い。
距離が詰まりすぎている。
ラディアが即座に転移。
背後。
蹴り。
リオの肩が沈む。
骨が鳴る。
普通なら崩れる衝撃。
――止まらない。
そのまま振り返りざまに突き。
ラディアが半歩退く。
目が細くなる。
言葉はない。
呼吸だけが変わる。
戦闘に完全に入った証拠。
エルナが立ち上がる。
感覚を開く。
転移の前兆。
空気の歪み。
「……右!」
レイナの矢が飛ぶ。
ラディアが消える。
現れる。
しかし。
そこに、もうリオがいる。
距離を捨てた踏み込み。
肩からぶつかる。
斬る。
受ける。
血が飛ぶ。
互角。
速度も、技量も、ほぼ同じ。
違うのは――
退かないこと。
リオは傷を無視する。
頬が裂けても。
腕が切れても。
間合いを詰め続ける。
ラディアの動きが、ほんの少しだけ広がる。
転移の間隔が増える。
近距離戦を嫌がっている。
だが。
次の瞬間。
ラディアが消えた。
完全に視界から外れる。
エルナの感覚が叫ぶ。
「……上!」
遅い。
ラディアが真上から落ちる。
指先が喉へ。
リオが刃で受ける。
――衝撃。
体勢が崩れる。
そこへ。
膝。
肘。
連撃。
急所だけを狙った打撃。
リオの身体が吹き飛ぶ。
地面を滑る。
血が落ちる。
呼吸が乱れる。
レイナが矢を放つ。
ミラが踏み込む。
ラディアは二人を軽くいなす。
視線は――リオ。
立ち上がるのを待つ。
静かな間。
リオが立つ。
肩が落ちている。
血が流れている。
普通なら動けない傷。
だが。
一歩。
また踏み込む。
間合いゼロ。
刃が振り抜かれる。
ラディアが反応。
しかし。
ほんの一瞬。
リオの呼吸が崩れたのを見て――
踏み込みを選ぶ。
攻撃。
決めに行く動き。
その瞬間。
リオの剣が軌道を変えた。
捨て身。
防御を完全に放棄した一撃。
ラディアの脇腹に深く入る。
血。
距離が生まれる。
ラディアが後退。
初めて、大きく息を吐いた。
傷は深い。
致命ではない。
だが――続けられない。
リオも膝をつく。
肩が下がる。
呼吸が荒い。
互いに、限界。
短い沈黙。
森が止まる。
ラディアが姿勢を戻す。
視線を一度だけ三人に向ける。
そして、リオへ。
わずかな間。
何も言わない。
次の瞬間。
空気が歪む。
姿が消える。
完全撤退。
気配も残らない。
静寂。
レイナが弓を下ろす。
「……なに、あれ……」
ミラが息を吐く。
「……化け物同士」
エルナは、リオを見る。
血に濡れた外套。
崩れそうな呼吸。
それでも、立とうとしている。
「……なんで、助けたの」
小さく問う。
フードの奥。
疲れた目。
感情がない。
「……通りすがり」
短い答え。
そして。
ゆっくりと背を向ける。
森の奥へ歩き出す。
止める言葉が、出ない。
ただ。
死に急ぐ背中だけが、残った。




