2.30
森は、昨日と同じ匂いだった。
けれど三人の足取りは軽くない。
レイナが小さく息を吐く。
「……絶対また来るよね」
「来るね」
ミラが即答した。
エルナは黙って歩く。
感覚が、ずっと森をなぞっている。
――見られている。
止まったのは、ほぼ同時だった。
空気が切り替わる。
次の瞬間。
目の前に“女”が立っていた。
音も、気配もなかった。
長い黒髪。
淡い色の瞳。
表情は――退屈そう。
「初めまして、というのも変ね」
静かな声。
「レイナ。遠距離精密射撃、反応速度は高いけれど感情が動くと照準が甘くなる」
レイナの指が止まる。
「ミラ。回復支援……表向きは、ね。踏み込みの癖、まだ直ってないわ」
ミラの視線が細くなる。
そして。
女の目が、エルナに落ちた。
「エルナ。継承者。感知と判断速度は異常値。けれど――迷う」
胸が冷える。
「……誰」
短く問う。
女は少しだけ首を傾けた。
「名乗る必要はないと思っていたけれど……まあいいわ」
一歩、近づく。
距離が詰まる。
気配が、重くなる。
「私は――“ラディア”」
空気が歪む。
「現魔王リュナ直属幹部。あなた達の処分担当よ」
レイナが矢を放つ。
完璧な射線。
――当たる。
はずだった。
瞬間。
ラディアの姿が消える。
真横。
指が、レイナの首元に触れる。
「反応は悪くない」
ミラが横から斬り込む。
ラディアが消える。
背後。
エルナの視界が警鐘を鳴らす。
「下がって!」
遅い。
掌が胸に触れる。
衝撃。
エルナの身体が吹き飛ぶ。
息が抜ける。
地面を転がる。
次。
ミラが詰める。
踏み込み。
急所。
完璧。
――空振り。
背後から、軽い声。
「暗殺者としては優秀。でも、“殺す理由”が揺れる時がある」
肘打ち。
ミラが数歩後退。
レイナが連続射。
森を切り裂く矢。
ラディアは消える。
現れる。
消える。
距離が存在しない。
「ワープ……」
レイナが歯を食いしばる。
ラディアはため息をついた。
「近距離転移。あなた達には対応不可能よ」
次の瞬間。
三人の間に入り込む。
掌打。
蹴り。
指先。
全てが急所。
防いでも――重い。
反撃が当たらない。
連携が崩れる。
エルナは立ち上がる。
感覚を開く。
位置が――分かる。
次の出現位置。
踏み込む。
刃が届く。
――止まる。
ほんの一瞬。
視界に浮かぶ記憶。
顔。
知っている人。
殺すべきじゃない相手。
迷い。
ラディアの指が、喉元へ伸びる。
「やっぱり、迷う」
動けない。
近い。
死。
次の瞬間。
空気が裂けた。
音がない。
影が一つ。
ラディアの腕が弾かれる。
距離が生まれる。
黒い外套。
フード。
無駄のない立ち姿。
息を切らさない声。
「……そこまでだ」
ラディアが、初めて目を細めた。
「……へえ。想定外が来たわね」
エルナは、言葉を失った。
目の前の男は――
命を捨てて戦う空気をまとっていた。




