2.28
朝霧の残る野営地。
火の残り香が、まだ空気に薄く漂っていた。
「……おはよ」
レイナが小さく手を振る。
「早いね」
ミラはまだ眠そうな声で伸びをする。「見張り、ちゃんと寝た?」
「……寝た、と思う」
エルナは少しだけ言葉を濁した。
夜の間、何度も目が覚めた。
理由は分からない。
でも、森の奥から“見られている”感覚が消えなかった。
◇
朝食を終え、三人は街道へ戻る。
「今日は町に寄るんだっけ?」
ミラが地図を覗き込む。
「うん。小さい交易町」
レイナが指でなぞる。「半日くらいかな」
平和な予定。
普通の旅程。
けれど――
エルナの視界の端で、草がわずかに揺れた。
風じゃない。
歩幅に合わせるような、一定の動き。
振り向く。
誰もいない。
でも、気配だけが消えない。
◇
昼前。
小さな橋を渡る。
下を流れる水音に紛れて、足音が増える。
……一つじゃない。
「……二人、後方」
エルナが小声で言う。
「昨日より増えてる?」
レイナが自然に位置を変えた。
「多分」
ミラは笑顔のまま、屋台の看板を眺めているふりをする。「でも、まだ“来ない”」
橋を渡り切ると、気配はまた距離を取った。
――監視。
確信に近い感覚が、胸の奥に落ちる。
◇
交易町の入口。
人の流れに紛れると、気配は一時的に消えた。
「……はあ。人混みありがたい」
ミラが小さく息を吐く。
「完全には消えてない」
エルナは周囲を見渡す。「多分、交代してる」
「交代?」
「同じ距離、同じ視線。……訓練されてる」
レイナの表情が少しだけ真剣になる。
「……敵?」
エルナは少し考えた。
「まだ分からない。でも――普通じゃない」
◇
町の市場。
果物の匂いと、人の声。
ミラはあえて明るく振る舞う。
「ねえ見て、これ絶対美味しいやつ!」
「さっきも言ってた」
「言うのは自由!」
笑いながら歩く。
けれど三人とも、視線だけは動かしていた。
同じ位置。
違う顔。
でも、同じ“見方”。
――観察されてる。
◇
町を出て、再び森寄りの道へ。
人が減ると同時に、気配が戻る。
今度は隠さない。
枝が鳴る。
石が転がる。
距離を測るような動き。
「……数、三」
エルナが低く言う。
「昨日より本気ね」
ミラが肩をすくめる。
「戦う?」
レイナの声は落ち着いていた。
「……まだ」
エルナは首を振る。「向こうも様子見」
その時。
風の流れが一瞬だけ止まった。
――見られている。
もっと遠く。
もっと上から。
精霊の気配が、ほんの少しだけ揺れた。
◇
夕方。
野営地を決め、火を起こす。
いつも通りの準備。
いつも通りの会話。
でも、沈黙の隙間が増えていた。
「……ねえ」
レイナが小声で言う。「昨日から、明らかに“追ってる”よね」
「うん」
エルナは頷く。
「協会?」
「違うと思う」
ミラが静かに答えた。「あの距離感、あの交代の仕方……諜報の動き」
火がぱちりと鳴る。
少しの沈黙。
「……逃げる?」
レイナが聞く。
エルナは火を見つめた。
「……まだ分からない。でも――」
その瞬間。
森の奥で、小さな光が瞬いた。
誰かが、何かに“報告”したような、短い魔力の波。
エルナの背中が冷たくなる。
◇
同時刻。
森のさらに奥。
黒い装束の三人が、膝をついていた。
中央の人物が結晶を握る。
「対象、警戒状態へ移行」
低い声が響く。
結晶の向こうから、冷たい女性の声が返る。
「……観察は十分」
短い沈黙。
「次は、試す」
風が渦を巻く。
空間が、わずかに歪んだ。
「先遣班、“宵影”――接触許可」
通信が途切れる。
黒装束たちは同時に立ち上がった。
◇
夜。
火の前で三人が座っている。
笑っている。
話している。
でも全員が分かっていた。
――もう、ただの追跡じゃない。
どこかで、
“何か”が動き出している。
森の奥で、枝が折れる音がした。
今度は――
隠そうともしなかった。




