2.27
昼前の街道は、昨日より少しだけ静かだった。
森を抜けて広がる草原の道を、三人は並んで歩いている。
「ねえ、今日も“先生の日”?」
レイナが笑いながら振り向く。
「……歩きながらは難しい」
エルナが小さく首を振る。
「じゃあ雑談の日ね」
ミラが伸びをして、前を歩く荷馬車を眺めた。「平和って最高」
風が草を揺らし、空は高い。
何事もない、旅の一日。
――のはずだった。
◇
休憩で立ち寄った小さな集落。
井戸の近くで水を汲んでいると、エルナの視界の端に違和感が走る。
黒い外套。
顔は見えない。
けれど、さっき街道でも見た背格好。
――気のせい?
目を戻すと、もういない。
「エルナ?」
レイナが首を傾げる。「どうしたの?」
「……なんでもない」
言葉にした瞬間、胸の奥が少し重くなった。
◇
昼食後、三人は再び歩き出す。
「ねえミラ、さっきの屋台の人、昨日の街にもいた気がするんだけど」
レイナが何気なく言う。
「旅人なんてみんな似て見えるでしょ」
ミラは笑って答えた。けれど、その視線はほんの一瞬だけ後ろを確認していた。
エルナは何も言わない。
ただ、風の流れと人の気配を無意識に数えていた。
――三人の後方、距離一定。
振り向けば、ただの旅人。
気にしすぎだと、自分に言い聞かせる。
◇
午後。
森寄りの細い道に入ると、人の数が一気に減った。
「静かだね」
レイナが小さく呟く。
「こういう道、嫌いじゃない」
ミラが先を歩く。「音がよく分かるから」
その時。
枝が、折れた。
遠い。
でも、三人の歩幅に合わせるような位置。
エルナの背中に冷たい感覚が走る。
「……少し、歩く間隔広げよ」
自然を装って言う。
「了解」
ミラは何も聞かず頷いた。
レイナも、冗談を言わずに位置を変える。
会話は続く。
けれど三人とも、ほんの少しだけ呼吸が浅くなっていた。
◇
夕方前。小さな丘の上。
振り返ると、街道は長く続いている。
その先に、黒い影が一つ。
立ち止まりもしない。
近づきもしない。
ただ、一定距離を保って歩いている。
「……気づいてる?」
ミラが小声で言う。
「うん」
レイナが短く答えた。
エルナは目を細める。
敵意は、まだない。
でも――視線が長い。
「……今は放っておこう」
エルナが静かに言う。「向こうも、まだ来ない」
「観察されてるってこと?」
「……多分」
風が吹き抜ける。
草が揺れ、影が一瞬だけ消えた。
次の瞬間には、もう見えない。
◇
その日の夜。
三人が野営地で火を囲んでいる頃。
少し離れた森の奥。
黒い外套の男が、小さな結晶に触れる。
淡い光が瞬いた。
「観測対象、行動安定」
低い声が、誰かに届く。
その背後に、もう一つ影。
「戦闘能力、想定以上」
別の声が続く。「幹部への報告、許可願う」
短い沈黙。
やがて、冷たい声が返る。
「……評価段階、終了。
次段階へ移行する」
風が吹く。
影は、音もなく消えた。
◇
火の前では、三人の笑い声が続いていた。
今日の屋台の話。
レイナの失敗。
ミラの大げさな身振り。
いつもと同じ夜。
けれど、見えない場所で
“狙い”は、すでに始まっていた。
――影はまだ、名前を持たない。
だが確実に、三人へ近づいている。




