2.26
朝露の残る森を、三人はゆっくり歩いていた。
葉先に溜まった水滴が、時折ぽたりと落ちる。
その音すら、今はやけに静かに感じられる。
「今日は“指導日”ね」
ミラが腕を組み、軽く顎を上げる。
いつもの、状況を整理する側の顔。
「……何かそれ、嫌だ」
エルナは小さく息を吐いた。
言葉ほど強い拒絶ではない。ただ、少しだけ距離を取りたかった。
「でも教えるのは事実でしょ」
横からレイナが口を挟む。
「昨日の続き。精霊との接し方」
「……うん。じゃあ、ここで止まって」
三人は、小さく開けた場所で足を止めた。
風が抜け、葉が柔らかく揺れる。
「まず、精霊感知。見るんじゃない。“気づく”感じ」
「そっからもうついていけないわ」
ミラが小声で言う。
「聞く立場に寄り添ってほしいわね」
「……ごめん」
「別にいいのよ。慣れないことをさせているのも、ちゃんと分かってるから」
責める調子ではない。
ただ、現実を置くような言い方だった。
レイナが、静かに目を閉じる。
呼吸がゆっくりと整っていく。
エルナは、その様子を見ながら言葉を探した。
「……空気の中に、少しだけ違う“重さ”があるの」
自分でも、曖昧だと思う。
「引っかかる、みたいな感じ」
「重さ……」
レイナの眉がわずかに動く。
「風の流れの中で、止まってる場所……みたいな」
説明しながら、ふと気づく。
言葉が、考えるより先に出てくる。
――大長老。
胸の奥で、何かが静かに応える。
「……あ」
レイナが目を開けた。
「右奥。空気がちょっと濁ってる」
エルナは、息を止めた。
迷いのない指摘だった。
「それで分かるものなの」
ミラが短く言う。
「……すごいんじゃない」
「……すごいよ、レイナ」
「まあね」
軽く肩をすくめる。
けれど、わずかに誇らしさが混じっていた。
「次、距離感」
エルナは小石を三つ置く。
「目を閉じて、この位置を感じて」
レイナが歩き出す。
足取りに迷いはあるが、崩れない。
「……そこで止まって」
ぴたりと止まる。
「正確……」
小さく呟いたのはミラだった。
「……ちょっと、私もやってみる」
ミラが目を閉じて歩き出す。
「ミラ、左」
「分かってる――うわ」
木にぶつかりかけて、ぎりぎりで止まる。
「ヒーラーが先に負傷するのやめて」
レイナが淡々と言う。
「治せるから気にしないのよ」
「いま完全に前衛の突っ込み方だったけど」
わずかな沈黙のあと、
空気が少しだけ緩む。
大きく笑うことはない。
それでも、距離がほんの少し近づいたのが分かる。
――ちゃんと、伝わっている。
胸の奥に、静かな温もりが灯る。
同時に、別の感覚も流れ込んでくる。
精霊の位置。
風の向き。
地面の柔らかさ。
考えるより先に、理解している。
「……エルナ?」
ミラの声で、意識が戻る。
「あ、ごめん。最後、森の歩き方」
三人で、再び歩き出す。
「足で探らない。“全身で地面に触る”感じ」
言葉にしてから、自分で違和感を覚える。
それでも――間違ってはいないと分かる。
レイナがすぐに真似る。
昨日より、動きが自然だった。
「……ねえ」
レイナが、少しだけ振り返る。
「私、このままで大丈夫かな?」
確認するような声。
「……うん。問題ない」
エルナは、迷わず答えた。
即答だった。
短い沈黙。
だが、重くはない。
◇
休憩に入ると、
エルナは自分の手を見つめた。
指先から、淡い光が滲んでいる。
意識していないのに、力が流れている。
――私は、器なんじゃないか。
ふと、そんな考えが浮かぶ。
「はい、水」
ミラが無造作に差し出す。
「考えすぎてるわね。顔に出てるよ」
「……分かりやすい?」
「分かりやすい」
間を置かずに返ってくる。
「あと、お腹空いてそう」
レイナが付け足す。
「それ関係ある?」
「もちろん。判断力落ちるし」
小さなやり取り。
笑いは控えめで、
でも確かにそこにある温度。
役に立てている実感と、
消えない違和感。
どちらも、嘘じゃない。
それでも――
三人は、同じ道を歩いている。
森の光の中で、
継承は静かに、確かに続いていった。




