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2.23

エルナは、剣を抜いた。


音は、小さい。


構えは、戦闘用ではない。


相手に隙を作らせる必要も、

駆け引きもない。


ただ――

終わらせるための構えだった。


「……行きます」


その声に、震えはなかった。


大長老は、目を閉じる。


「頼んだぞ」


その言葉のあと――


ゆっくりと、手が伸びた。


枯れ枝のような手。


だが、その指先が

エルナの手の甲に触れる。


驚くほど、温かかった。


「あとは任せた」


短い言葉だった。


だが――

それで、十分だった。


エルナは、息を吸う。


そして。


刃は、正確に、

命を断つ位置へと入った。


血は、ほとんど飛ばない。


ただ――


重さが、腕に伝わる。


そして、消える。



――その瞬間だった。


胸の奥に、

知らない感覚が流れ込んでくる。


言葉にならない知識量。


長い時間の積み重ね。


森の呼吸。


弓の技術、生態系、里の歴史。


精霊との距離。


結界の張り方。


理解ではない。


それは――


「思い出す」感覚だった。


(……これが)


エルナは、膝をつきそうになる。


だが、歯を食いしばる。


殺したから、力が入るのではない。


今回は何かが違う。


――託された。


最後に触れた、あの手が。


そう言っている気がした。



レイナが、静かに近づく。


大長老の亡骸の前で、膝をついた。


「……見届けました」


声は、震えていない。


「里は、

 この選択を、忘れない」


ミラは、少し離れた場所で、

手を組んで祈っていた。


エルナは、剣を鞘に戻す。


手は、まだ重い。


だが、

逃げたいとは思わなかった。



朝霧が、ゆっくりと晴れていく。


光が、森に差し込む。


新しい一日が、

何事もなかったように始まろうとしていた。


エルナは、空を見上げた。


「……守るために使う」


小さく、だが確かな声。


それは、

誰かに聞かせるためではない。


自分自身に、

言い聞かせる言葉だった。


刃は下ろされた。


だが、

この選択の重さは――

ここから始まる。



葬列は、静かだった。


泣き声は、ない。

嘆きも、怒号もない。


エルフの里では、

長く生きた者の死を、声で悼まない。


その代わりに、

森そのものが、わずかに重くなる。



大長老の亡骸は、

白布に包まれ、森の奥へと運ばれていく。


根が絡み合った、古い大樹の前。

そこが、弔いの場所だった。


年老いたエルフたちは、

一人ずつ、足を止める。


祈りではない。

感謝を、短く告げるだけ。


「長い間、ありがとうございました」


それ以上の言葉は、誰も口にしない。



若者たちは、列の後ろにいた。


昨日、エルナに挑み、

一瞬で倒された者たちだ。


彼らは、地面を見ている。


拳は、握られていない。

悔しさも、怒りも、表に出さない。


――出せない。


彼らは、知っている。


この死が、

里を守るための選択だったことを。


そして、

それを引き受けたのが、

人間の剣士だったことを。



エルナは、列の端に立っていた。


正面に出る資格はない。

そう、自分で決めていた。


だが、

年老いたエルフの一人が、

静かに歩み寄ってくる。


「……すまないねぇ、感謝します。」


その言葉に、

エルナは、返事ができなかった。


感謝される理由が、

どうしても、理解できない。


「殺したのに」


喉まで出かかった言葉を、

飲み込む。


老人は、穏やかに微笑んだ。


「“殺すしかない”と知っていて、

 逃げなかった」


それだけで、十分だった。



大樹の根元に、

亡骸は静かに横たえられる。


土は、被せない。


時間をかけて、

森に還す。


それが、エルフの弔いだ。


風が、一度だけ強く吹いた。


葉が、ざわめく。


それは、

別れの合図のようだった。



葬送が終わると、

里は、すぐに日常へ戻っていく。


誰も、足を止めない。

誰も、振り返らない。


それが、

この森の生き方だった。



里の外れ。


出立の準備をする三人。


レイナは、最後に振り返る。


大樹の影に、

若者たちの姿が見えた。


誰も、手を振らない。


だが、

視線だけは、確かにこちらを向いている。


「……任せたって顔ね」


小さく呟く。


ミラが、頷く。


「ええ。

 重いけど、逃げられない」



エルナは、剣の柄に手を置いた。


昨日とは、違う重さ。


力が増えた感覚は、ある。

だが、それ以上に――


「預かった」


そう、はっきり分かる。


誰かの人生を、

丸ごと。



レイナが、隣に立つ。


「約束する」


エルナを見ず、

森を見たまま言う。



「私が、大長老になる日が来たら」


少しだけ、言葉を区切る。


「その時は、

 あなたが背負ったものを、

 私が引き取るからね」


それは、誓いだった。



三人は、森を離れる。


足取りは、静かだ。


だが、確かに前へ進んでいる。


エルナは、振り返らなかった。


振り返れば、

逃げ道が見えてしまう気がしたから。


それでも――


森の気配は、

確かに背中を押していた。


葬送は終わった。


約束は、交わされた。


そして旅は、

また始まる。


――今度は、

誰かを守るための力を携えて。

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