2.22
篝火は、もう一本だけになっていた。
宴の名残の酒壺も、食器も、
誰かが片づけたのだろう。
広場には、三人分の影しかない。
夜風が、森を揺らす。
葉擦れの音が、呼吸のように続いていた。
大長老は、火の向こう側に座っている。
背は丸く、肩は細い。
それでもその姿勢には――
長く里を支えてきた者の静けさが残っていた。
◇
「……若い者たち、やりすぎたな」
ぽつりと、大長老が言う。
「本気ではなかった。
それは、分かっておる」
エルナは答えない。
分かっている。
分かっているからこそ、
あの速さで終わらせた。
「恨まれても、仕方ない」
エルナが、静かに呟く。
大長老は火を見つめたまま、首を横に振った。
「まだ整理しきれていないのだろう
恨むことがないように伝えてはおる」
「この役目を押し付けたのは、わしじゃ」
ゆっくりと視線がエルナへ向く。
篝火が、その目を照らす。
「わしはな」
一拍。
「感謝しておる」
その言葉に、
エルナの指がわずかに強く握られた。
「……それは、やめてください」
低い声。
だが、はっきりとした拒絶だった。
「殺すことに、
感謝されるのは……」
言葉を探し、
見つからず、
エルナは息を吐いた。
「……正しい気がしない」
◇
大長老は、少しだけ笑った。
「正しくは、ないな」
即答だった。
「だが、必要だ」
迷いはない。
「里を守る力は、
時に“綺麗であってはならない”」
その言葉を、
レイナが静かに受け取る。
彼女は少し離れた場所に立っていた。
弓は持っていない。
ただ――見届ける者として。
「エルナ」
レイナが、初めて名を呼ぶ。
「あなたは
“殺す力”を持っている」
責める声ではない。
事実を、そのまま置く声。
「でも今夜、
それを“守るために使う”と決めた」
エルナは目を伏せたまま答える。
「……逃げたくは、ありません」
小さく、しかし確かな声。
「誰かを守るために使うなら」
「私は、この力から目を逸らさない」
それは誓いというより――
自分自身への確認だった。
◇
大長老は満足そうに頷いた。
「それで、よい」
そして、ゆっくり姿勢を正す。
「レイナ」
名を呼ばれ、
レイナは一歩前に出た。
「お前は、見届け人だ」
「はい」
短く、確実に。
「この里が
この選択をした証人となれ」
「引き受けます」
迷いはない。
「魔王の件が終わったら――
私は、戻る」
その言葉に
大長老の目が細くなる。
「その時には」
レイナは森を見渡した。
「この森を、私が守る」
約束だった。
◇
沈黙。
火が、最後に大きく揺れた。
大長老は、ゆっくりと立ち上がる。
長い年月を背負った体。
それでも足取りは、不思議なほど穏やかだった。
「もう、十分だ」
声は、静かだった。
「長い生涯だった」
篝火の光が揺れる。
「苦労も多かったが」
少しだけ、遠くを見る。
「幸せでもあった」
「そして――」
エルナとレイナを順番に見る。
「希望も見つかった」
微かな笑み。
「満足である」
エルナは剣を握る。
まだ。
だが、もう――
覚悟は揺れない。
「……はい」
短い返事。
その一言で、
すべてが決まった。
夜は深く、静かだった。
森は、何も語らない。
だが――
今日、一本の命が終わり、
一つの責務が受け渡される。
それを。
この夜だけは――
誰も否定しなかった。
そしてエルナは、静かに思う。
(これは――終わりじゃない)
(守るために、受け取る命だ)
篝火が、最後に小さく揺れた。




