2.21
――引き受けられた役目
火が灯るのは、久しぶりだった。
エルフの里の中央広場。
普段は儀式にしか使われない場所に、篝火がいくつも並び、酒と料理が運ばれている。
賑やかではある。
だが――
誰もが分かっていた。
これは祝宴ではない。
別れのための夜だ。
◇
最初に立ち上がったのは、年老いたエルフだった。
背は低く、杖をついている。
かつて森の境を守っていたという戦士だ。
彼は、大長老ではなく――
エルナを見た。
その視線に、エルナはわずかに身構える。
「……まず、言わせてくれ」
掠れた声。
だが、広場の隅まで届いた。
「この里を、長い間見守ってきてくれたのが――
この大長老だ」
篝火が、ぱちりと鳴る。
「その旅立ちの夜だ」
「今日は、盛大に語り合おう」
静かなざわめきが広がる。
そしてその老エルフは、ゆっくりと歩き――
エルナの前で止まった。
杖を握る手が、少し震えている。
「……嫌な役回りを押し付けてしまったな」
しばらく黙り、そして言った。
「申し訳ない」
そのまま――
深く頭を下げた。
広場の空気が、重く沈む。
エルナは視線を落とした。
(……やっぱり、知っている)
誰も口にしないだけで、
この里の者たちは皆、分かっている。
「本当はな」
老エルフが、ゆっくりと続ける。
「誰も感謝なんてしちゃいけない役目だ」
篝火が揺れる。
「それでも――言わせてくれ」
杖をつく手に、力が入る。
「森を守るために」
「嫌われる覚悟で、刃を振るう者が必要だった」
そして、もう一度。
深く、静かに礼をする。
「……本当に、ありがとう」
◇
エルナは、返す言葉を見つけられなかった。
喉の奥が、詰まる。
(……感謝されることじゃない)
殺す。
それだけの行為に。
守るためだと分かっていても、
それを礼として受け取ることが、ひどく居心地が悪い。
「……やめてください」
ようやく声が出た。
小さく、低い声。
「私は――」
少し言葉を探し、続ける。
「褒められるようなことをするわけじゃない」
顔は、上げられない。
「ただ……」
「必要だと言われたから、やるだけです」
それ以上は、言えなかった。
老エルフは、少しだけ笑った。
責める気配はない。
「そう言うと思ったよ」
静かに頷く。
「だからこそ」
「お前に任せるんだ」
◇
宴は続いた。
酒が注がれ、
昔話が語られ、
ときには笑い声も上がる。
だが、エルナの胸の奥には、
重たいものが残ったままだった。
少し離れた場所では、ミラが静かにその様子を見ている。
誰にも話しかけず、
ただ、エルナの方を時々見ていた。
やがて。
若いエルフの一人が立ち上がった。
「勝負をさせてください」
ざわめきが止まる。
それは、抵抗であり。
別れであり。
せめてもの足掻きだった。
「俺たちは……」
その若者は、大長老を見る。
「あなたの意思は知っています」
迷いのない目だった。
「でも」
声が震える。
「俺たちはあなたが好きだ」
「死んでほしくない」
広場が静まり返る。
若者は、エルナを見た。
「勝負を」
空気が、張り詰める。
「もし俺たちが勝ったら」
拳を握りしめる。
「――あなたは、大長老を殺さないで、この森を去ってください」
それは、死を否定する提案。
彼なりの、精一杯の敬意だった。
大長老は答えない。
ただ、視線をエルナに向ける。
エルナは、一歩前に出た。
「……分かりました」
静かに言う。
「お願いします」
◇
若者たちは剣を構える。
だが――
迷いがある。
大長老の意思を知っている。
それでも抗いたい。
そんな矛盾が、体を鈍らせていた。
それに対して。
エルナには、迷いがない。
剣を抜く。
静かな音が、夜に響いた。
◇
勝負は、一瞬だった。
最初の一歩で距離を詰める。
閃き。
若者の剣が地に落ちる。
二人目。
三人目。
構える間もなく、足元に崩れていた。
殺意はない。
だが――
容赦もない。
「……っ」
誰も死なない。
それでも、誰も立ち上がれない。
若者たちは地面に倒れたまま、空を見ていた。
敗北と。
納得と。
それでも残る悔しさを抱えながら。
「……強いな」
誰かが、呟く。
エルナは剣を収めた。
何も言わなかった。
◇
宴は、そのまま続いた。
酒が減り、
語り声は静かになり。
一人、また一人と火から離れていく。
やがて――
篝火の前に残ったのは。
大長老。
レイナ。
エルナ。
そして、少し離れた場所で見守るミラ。
誰も口を開かない。
エルナは、剣の柄に触れた。
さっきの「ありがとう」が、
まだ耳に残っている。
(……殺すことに、感謝される)
それでも。
火が、静かに爆ぜる。
夜は深く。
森は――
すべてを知っているように、静まり返っていた。
この先に待つものを。
もう誰も口にしなくても――
十分に分かっていたからだ。




