2.20
――守るために、刃を取る。
これまでにも、人を殺したことはある。
村人を守るため。
魔族や盗賊を相手に。
そのときは迷わなかった。
相手がこちらに殺意を向けてきたからだ。
殺されるかもしれない。
だから斬った。
ただ、それだけだった。
だが今回は違う。
相手は、死にかけの老いたエルフ。
武器も持たず、敵意もない。
ただ――
事実を語り、お願いをされた。
命令ではない。
強制でもない。
だからこそ、重かった。
エルナは息を吐く。
(……答えを伝えに行くだけだ)
それだけのことだ。
◇
森の中央へ向かう道を、エルナは歩いていた。
大樹の根が絡み合う、古い広場。
何世代ものエルフが行き交った場所。
その奥に、大長老の部屋がある。
足元の土は柔らかい。
踏みしめるたび、過去の足跡が静かに沈む。
逃げようと思えば、いつでも逃げられた。
誰も追わない。
誰も責めない。
大長老はそう伝えてくれていた。
それでも――
エルナは、ここに立っている。
(……逃げない理由を)
胸に手を当てる。
そこにあるのは、力。
奪った力だ。
望まれていない殺しから、手に入れてきたもの。
力を得るたびに、
自分としての何かが少しずつ削れていく感覚があった。
だから今までは――
「仕方がない時」だけにしてきた。
だが。
(守りたい)
それは衝動ではない。
怒りでもない。
義務でもない。
エルフの里。
この森。
ここで生きてきた者たちの時間。
そして。
そのすべてを背負おうとしている、
ひとりの老いた背中。
その時だった。
「エルナ」
静かな声が、後ろから届く。
振り返ると、ミラが立っていた。
夜の森の中でも、彼女の表情は落ち着いている。
「……起きてたのか」
エルナが言うと、ミラは小さく微笑んだ。
「ええ。少しね」
ゆっくり歩み寄る。
「考えてたの?」
エルナは少しだけ迷い、頷いた。
「……うん」
ミラはエルナの顔をじっと見つめる。
観察するように。
けれど、責める気配はない。
そして、静かに言った。
「無理はだめよ」
エルナの眉が、わずかに動く。
「これは……無理じゃない」
「そう」
ミラは頷いた。
否定はしない。
ただ、優しく続ける。
「でもね、エルナ」
名前を呼ぶ声は柔らかい。
「つらいと思うなら、
逃げたってかまわない。
口に出してくればいいわ」
「ええ」
「でも、逃げたくない」
ミラはしばらくエルナを見ていた。
そして、そっと言う。
「大丈夫よ」
その声は、とても静かだった。
「あなたはちゃんと、
自分で考えて選べてる」
エルナの胸の奥守るためにた重さが、少しだけほどける。
「……ミラ」
「私は近くにいる
それに未来は確定してない。
あの人たちが言ってるだけで実際どうなるかなんてわからないわ」
ミラは森の奥――
里の方向へ視線を向けた。
「一人で背負う必要はないの」
少しだけ笑う。
「それにね」
「?」
「レイナも大長老も、
あなたが一人で抱えることを望んでないと思うわ」
エルナは、息を吐いた。
胸の奥にあった迷いが、ゆっくり沈んでいく。
「……ありがとう」
ミラは軽く頷いた。
「行ってらっしゃい、エルナ」
「うん」
エルナは歩き出す。
ミラはその背中を見送った。
その目は、優しかった。
そして少しだけ――
祈るようでもあった。
◇
扉を開くと、
大長老はベッドに横たわっていた。
こちらを見ている。
まるで、最初から分かっていたかのように。
エルナは一歩進み、立ち止まった。
「……決めました」
声は、驚くほど静かだった。
大長老は目を細める。
「そうか」
それだけだった。
引き止めない。
確かめもしない。
ただ、受け入れている。
エルナは一歩、前へ出る。
「私は……」
一度、息を吸う。
「この力を、誰かを守るために使います」
言葉にして、初めて理解する。
これは逃げではない。
自分で選んだ。
「そのために」
視線を逸らさない。
「あなたを殺します」
重い言葉だった。
それでも、揺れなかった。
「それでいい」
大長老は、わずかに笑った。
「私はな、
エルナ」
一拍、間を置く。
「感謝しておる」
杖を地に突く音が、小さく響く。
「この里に関係もないお主に、無茶なお願いをしていることも分かっておる
伝えたことによって重い決断を強いているのも分かっておる。
申し訳ない」
エルナは、唇を噛みしめる。
逃げ道は、用意されていた。
それでも選んだ。
重い決断だが自分で選択したことだ。
「……はい」
短く、答える。
大長老は、微かに笑った。
「では早いうちが良い、今夜にしよう」
静かな部屋でその声は大きく響いた。
◇
エルナは剣の柄に手を置いた。
震えはない。
怖くないわけじゃない。
後悔しない保証もない。
それでも。
(より多くの人を守るために)
この力を使うと、
ようやく決めた。
森は、相変わらず静かだった。
だがその静けさは、
拒絶ではなく――
見届ける沈黙だった。




