2.24
エルフの里を覆っていた結界の気配が、背後に遠ざかる。
空気が、少しだけ乾いた。
振り返っても、そこにあるのはただの森――
もう見送る視線も、感じられない。
「……元の旅に戻っていきましょう」
レイナが前を向いたまま呟く。
軽い声。
けれどどこか、確かめるようだった。
エルナは答えない。
ただ、一定の歩幅で歩き続ける。
胸の奥に、何かが残っている。
後悔か。責任か。
それとも――もっと別のものか。
言葉にしようとすると、形が崩れた。
村へ寄り、森へ入り、必要があれば魔族を倒す。
三人は、以前と同じ形の旅へ戻っていく。
◇
森の匂いを吸い込んだ瞬間、
エルナの肩から、わずかに力が抜けた。
「……森の生活も、悪くはなかった」
ぽつりと漏れる。
隣でミラがゆっくりと伸びをする。
「分かるわ。お客様待遇で、いろいろ親切にしてもらったものね」
「でしょでしょ!」
間髪入れず、レイナが割り込む。
「ほぼ私のおかげだから。もっと感謝していいんだよ?」
「あなたは何もしてないでしょ」
ミラは即答した。
「エルフの方々には、ちゃんと感謝してるわよ」
「えー!? 私がお願いしたから優しかったのに!」
「はいはい、ありがと」
完全に流された。
「も~!!」
レイナが地団太を踏む。
その音が、落ち葉を軽く跳ねさせた。
◇
会話は、自然に繋がっていく。
ぎこちなさは、ない。
けれど――
ほんの少しだけ、互いに距離を測っている。
壊さないように。
触れすぎないように。
それでも、一緒にいるための距離。
足元の落ち葉が、柔らかく鳴る。
(……落ち着く)
エルナは、わずかに視線を逸らした。
「ねえねえ!」
レイナが急に前に出る。
「エルナ、今さ、分かる?」
「……何が?」
「精霊! そこ、そこ!」
指差す先。
淡く揺れる光。
以前より、はっきり見える。
「……うん」
短く頷く。
「大長老様の力を取り込んでから、見えるものとか、感じ方が……」
一瞬、言葉が止まる。
「……変わった気がする」
「ほんと!? いいなぁ!」
レイナの声が弾む。
「同じ感覚分かる人いるの、ちょっと嬉しいんだけど!」
ミラが腕を組む。
少しだけ肩をすくめた。
「……分からないわね。私だけ置いていかれてる感じがするわ」
「大丈夫大丈夫!」
レイナが軽く手を振る。
「いいことばっかじゃないって、これ」
その一言に、ほんの少しだけ重みが混じる。
エルナは、何も言わなかった。
◇
「……エルナ?」
ミラが名前を呼ぶ。
エルナは、はっとして顔を上げた。
「あ、ごめん。少し考え事」
「最近それ、多いわね」
責める声ではない。
ただ、静かに事実を置く。
「まあまあ!」
レイナが間に入る。
「いいじゃん。今はマイペースでいこ?ね?」
いつも通りの、軽さ。
わざとらしいくらいの明るさ。
エルナは、小さく頷いた。
◇
しばらく歩く。
自然と足が動く。
枝を避ける。
段差を選ぶ。
考えるより先に、体が反応する。
「……ねえ」
レイナが後ろから声をかけた。
「何か今までと違くない?」
「え?」
「全然疲れてなくない!?」
振り返る。
確かに――息が乱れていない。
ミラも頷く。
「言われてみれば……歩きやすいわね」
エルナは、少しだけ考える。
「……なんとなく」
「それ絶対なんとなくじゃないって!」
即ツッコミ。
ミラが小さく笑う。
「いいじゃない。便利なら大歓迎よ」
「ねー!」
「……うん」
短く答える。
その瞬間。
胸の奥に、わずかに熱が灯った。
◇
小さな沢で、休憩を取る。
ミラが靴を脱ぎ、そっと水に足を入れる。
「……冷たい。でも、悪くないわね」
「ねえねえ、それズルくない?」
レイナもすぐに真似する。
「うわ、冷たっ!でも気持ちいい!」
「無防備すぎない?」
エルナが呆れ気味に言う。
「大丈夫よ。ヒーラーいるもの」
「自分で言うんだ、それ」
小さな笑い。
水面が揺れる。
その向こうに――光。
精霊の気配。
前より、近い。
前より、はっきりしている。
(……怖くはない)
ただ、不思議だった。
◇
「ねえ、エルナ」
ミラが優しく声をかける。
「今やってること、言葉にできるかしら?」
「旅に使えそうよ」
「それそれ!」
レイナが乗っかる。
「私もやりたい!先頭やりたい!」
「……いいよ」
自然に、言葉が出た。
その瞬間。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
――教える側。
一瞬、大長老の背中がよぎる。
まだ、重くはない。
けれど――
確かに、そこにある。
◇
夕方の光が、森を染める。
ミラとレイナのやり取りを聞きながら、
エルナは少し後ろを歩く。
森は穏やかだった。
空気は、優しい。
ただ――
精霊の気配だけが、少し違う。
自分の中の何かが、
わずかに変わっている。
(……考えすぎない)
視線を前に戻す。
三人は、同じ道を歩いている。
その距離は、まだ変わっていない。
それだけで、十分だった。
――今は。




