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2.18

夜の森は、昼よりも饒舌だ。


風が枝を揺らし、

葉が擦れ、

遠くで獣が息をする。


それらすべてが、

「生きている」と主張している。


エルナは、大樹から少し離れた場所に座っていた。


焚き火はない。

火を見る余裕が、今はなかった。


膝の上に置いた剣。


鞘から抜いてもいないのに、

そこに“選択”がある気がして、視線を落とせずにいる。


(殺して、奪う)


いつものことのはずだった。


魔族を斬るとき。

敵を倒すとき。


迷いはなかった。


なのに――


(今回は敵じゃない)


その事実が、思考を鈍らせる。



牢獄を出た日のことを、思い出す。


鉄の匂い。

冷たい床。

久しぶりに外へ出たときの光。


あのとき、自分は何を思った?


――生きている。


それだけだった。


誰かを救うためでも、

何かを背負うためでもない。


「生き延びた」


ただ、それだけ。


(……いつからだろう)


剣を振る理由が、

“自分のため”じゃなくなったのは。



大長老の言葉が、頭の奥で反芻される。


――利用しようとしているだけ。


優しさでも、信仰でもない。

必要だから、そうする。


その割り切りが、

逆に誠実に思えた。


(でも)


胸の奥が、重い。


自分は、殺すことでしか、

何かを受け取れない。


それを“継承”と呼んでいいのか。


奪っているだけじゃないのか。



ふと、感覚が研ぎ澄まされる。


遠くの足音。

葉を踏む癖。

風に混じる、微かな魔力。


(……レイナ)


近づいてくる気配に、

エルナは顔を上げなかった。


「眠れない?」


いつもより少し軽い声。


「……はい」


レイナは、わざとらしく肩をすくめながら、少し離れた場所に腰を下ろした。


「やっぱり?

 私もなのよね」


小さく笑う。


「ねえねえ、こういうときってさ。

 森が妙にうるさく感じない?」


エルナは少しだけ耳を澄ます。


「……確かに」


「でしょ?

 昼より喋るのよ、この森」


軽い調子。


けれど、その声の奥に、わずかな硬さが混じっていた。



「ねえ、エルナ」


「はい」


「別に断ってもいいのよ」


レイナは、夜の森を見ながら言う。


「私はその決断を、あなたを責めない」


エルナは何も言わない。


「むしろね」


少しだけ笑う。


「ここまで付き合ってくれただけで、十分すぎるくらいよ」


風が葉を揺らす。


「あなたがいなかったら、

 里はとっくに詰んでたもの」


少し大げさな言い方。


けれど、嘘ではない。


「だから」


レイナは軽く言った。


「エルフのために、あなたが背負う必要なんてないの」


エルナは、ようやくレイナを見る。


「……でも」


声が低くなる。


「背負えるのに、背負わなかったら」


「それは、逃げではありませんか」


レイナは、すぐには答えなかった。


百年以上生きたエルフの沈黙は、

短くても重い。


やがて、肩をすくめる。


「逃げ、かもしれない」


「でも、生き方でもあるわ」


エルナは視線を落とす。



「私」


ぽつりと、言葉が落ちる。


「殺すこと自体は、嫌なんです」


「……ええ」


レイナは静かに頷く。


「でも」


剣の柄を強く握る。


「奪った力を使うことには、抵抗を覚えない」


「奪った後は、もう自分の力だと思ってしまう」


「それが、怖い」


レイナは息を飲んだ。


エルナは続ける。


「嫌悪と、冷静さが、同時にある」


「割り切れてしまう自分がいる」


「それが正しいのか、分からない」



レイナは、少しだけ笑った。


無理に、明るく。


「それなら」


「あなたは、まだ大丈夫よ」


エルナが顔を上げる。


「……どういう意味ですか」


「だってさ」


レイナは指で森を指す。


「抵抗ないって言いながら、こんなに悩んでる」


「それ、ちゃんと気にしてる証拠でしょ?」


夜風が二人の間を通り抜ける。


「何も感じなくなったら」


少しだけ真顔になる。


「そのときは、本当に危ないのかもしれない」


そして、また笑う。


「でも今は違う」


「迷ってるでしょ?」


「それって、ちゃんと選ぼうとしてるってこと」


「流されてないことはいいことだと思うわ」


その言葉が、

胸の奥に静かに染みた。



エルナは立ち上がった。


剣を手に取る。


抜かない。


ただ、持つ。


「……決めきれない」


「うん」


レイナは軽く頷く。


「でも」


エルナは森を見渡す。


この森を支えるもの。

ここで生きる者たち。


「“前向きに使う”可能性があるなら」


「私は、それを否定したくない」


レイナは、しばらく黙っていた。


そして、小さく笑う。


「そっか」


それだけ言った。



その夜。


エルナは初めて、

“大長老を殺す瞬間”を想像した。


刃を振るう感触。

目の前で生気を失う大長老。

そして人の力を奪う感覚。


胸が痛む。


それでも。


(……逃げない)


まだ答えは出ていない。


けれど――


迷いは、恐れではなく、

責任へと変わりつつあった。


森は、静かに息をしている。


その呼吸の重さを、

エルナは確かに感じていた。


そして。


レイナは、横で空を見上げながら小さく呟いた。


「ほんと……」


誰にも聞こえない声で。


「重たい役、押し付けてくれるんだから」


それでも。


その声には、どこか安心したような響きが混じっていた。


森は、ただ静かに揺れている。

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