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2.17

大樹の内部は、ひどく静かだった。


外の森は、風に揺れ、葉を鳴らし、確かに生きている。

その気配が濃い分だけ、ここだけが取り残されたように感じられた。


エルナは床に膝をついていた。


剣は外してある。


――頼まれたわけではない。


それでも、そうするべきだと思った。

理由は、自分でも分からない。


「顔を上げなさい」


弱々しいが、芯の通った声。


大長老は、横たわったままエルナを見ていた。


「あなたが……大長老様?」


「そう呼ばれておる」


言葉に飾りはない。

時間の残り少ない者の、まっすぐな話し方だった。


「率直に聞こう」


長老は静かに続ける。


「お前は、人を殺すことで、その力や技を奪えるな」


空気が、わずかに張り詰めた。


レイナが何か言おうとしたが、

長老は視線だけでそれを制した。


エルナは、否定しなかった。


「……はい」


短く、静かな返事。


「嫌な言い方をするなら、呪いのような力です」


「そうだな」


長老は、わずかに笑ったようだった。


「だが森にとっては――

最後の選択肢になり得る」



長老は、ゆっくりと語り始めた。


百年ごとに目覚める、大精霊。

里のご神木に宿る存在。


その精霊と“対話する方法”。


儀式の手順。

魔力の流れ。

森と同調する呼吸。


そして――


失敗すれば、森そのものを枯らしかねない技。


「これは、記録に残せぬ」


「言葉でも、伝えきれぬ」


「感覚でしか継承できぬ技術だ」


エルナは、ただ聞いていた。


「だが」


長老は、ゆっくり目を閉じる。


「もう、教える時間がない」


沈黙が落ちる。


やがて、長老は目を開いた。


「そこでだ」


声が、わずかに強くなる。


「お前に、わしを殺してもらいたい」


言葉は、まっすぐだった。


逃げも、飾りもない。



エルナの喉が、小さく鳴る。


「……それは」


言葉が続かない。


「殺して奪うのは、身体能力だけではないな」


長老は理解していた。


「知識、経験」


「精霊と対話するときの感覚も、得られるはずだ」


「……はい」


「よし、それはいい」


あまりにも静かな肯定だった。


「これはエルフの問題だった」


長老は続ける。


「お前には、本来関係のない話だ」


「お前の力を利用しようとしているということだ」


その言葉の方が、かえって重かった。


「拒否してもよい」


長老ははっきりと言った。


「その場合、里は――

百年を待たず衰えるだろう」


「結界は弱まり」


「森の実りは減り」


「争いが増える」


「大精霊との会話、儀式とはそのくらい重要なことだ」


長老はそこで言葉を止めた。


「それでも、選ぶのはお前だ」



エルナは拳を握った。


(殺して、奪う)


それは今まで――


敵に向けて使ってきた力だった。


守るために使うと誓った。

誰かに殺しを求められたことはない。


「……ひとつ、聞いてもいいですか」


「何でも聞け」


「あなたを殺す以外に、方法はないのですか」


長老は迷わなかった。


「ない」


即答だった。


「後継者は大事に育ててきた。

 でも死んだ。何も残っておらん」


エルナは静かに息を吸う。


「では」


視線を上げる。


「これは正しい行いですか」


「皆が、納得しますか」


長老は少し考えた。


そして言った。


「正しいとは言えん」


静かな声だった。


「だが、わしの願いだ」


「納得せぬ者もおるだろう」


「それでも、文句は言わせん」


長老は、かすかに笑った。


「わしはどのみち、もう長くない」


「明日かもしれん」


「三日後かもしれん」


「それでも、この方法でエルフが救われるなら」


一度、目を閉じる。


「恥だと言われても構わん」


「だが、わしは其方に感謝しよう」


静かに、言い切った。


「それは、誰かの命を守る行為だからだ」



レイナは黙って聞いていた。


口を挟む資格がないと、

自分で分かっている。


「……私が、それを奪ったら」


エルナが言う。


声は震えていない。


「私は、エルフの里に縛られることになりませんか」


「確かに全ての知識や技術は知ることになるだろう。

 しかし其方はエルフではない。

 縛られることはないと誓おう。

 そして今後、森やエルフのことは彼女に任せたい」


視線がレイナに向く。


「繋ぐのは、あやつだ」


レイナの肩がわずかに揺れた。


「奪った技術は、レイナに継承してほしい」


「今あやつは、別の問題に関わっておる」


「それが終わり、里へ戻ったとき」


長老は静かに言った。


「望むなら、大長老として迎えよう」


レイナは何も言えなかった。


「それまでの間」


長老はエルナを見る。


「お前には“代理継承者”としていてほしい」


そして、最後に言った。


「安心しろ」


「お前を選んだのは、力だけではない」


静かな声。


「レイナが、お前を連れてきたからだ」


「――あやつが信じた者なら、わしも信じる」



エルナは目を閉じた。


命を奪うことよりも。


それを――


託されることの方が重い。


「……少し、考えさせてください」


「当然だ」


長老は満足そうに頷く。


「急がせはせぬ」


「だが、時間は残っておらん」



大樹の外に出た瞬間。


森の音が、一気に戻ってきた。


風。

葉のざわめき。

遠くの鳥の声。


「……ごめんなさい」


エルナが小さく言う。


「私、すぐに答えを出せなくて」


「ごめんなさいは私のセリフよ。

 大丈夫」


レイナは言った。


「簡単に決められることじゃないじゃない」


エルナは森を見つめる。


長く息を吐く。


「……でも」


剣の柄に、そっと触れた。


「殺すためじゃなく」


小さく呟く。


「支えるために使うなら」


その先の言葉は、まだ形にならない。


だが。


迷いは確かに――


前を向き始めていた。


森は静かに息をしている。


選択を、待つように。

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