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2.13

夜明け前の森は、好きだ。


まだ人の営みが目覚めていない時間。

魔族の気配も薄く、

獣たちの息遣いだけが静かに地を満たしている。


レイナは木の上で、膝を抱えて座っていた。


下では、エルナとミラが交代で仮眠を取っている。


規則正しい呼吸。

だが深くはない。


(……眠りが浅い)


人間は、いつもそうだ。


短い時間しか生きられない代わりに、

眠りも、覚悟も、選択も――すべてが急ぎ足になる。


その様子を見下ろしながら、

レイナの思考は、静かに過去へと滑っていった。



――人間とエルフが、まだ「友好関係」と呼ばれていた頃。


森の外れに、交易所があった。


石と木で作られた、小さな共同拠点。


人間は鉄を持ち込み、

エルフは薬草と弓を渡す。


互いに礼を守り、距離を測り、

それなりに――うまくやっていた。


問題が起きたのは、三十年後。


人間の街が、急速に広がり始めた。


「木を、少し分けてほしい」


最初は、控えめな願いだった。


「ここは、もう使われていない土地だ」


やがて、言い方が変わり。


「森は再生するんだろう?」


最後には、当然のように言われた。


レイナは、その言葉を今も覚えている。


(……確かに、森は再生する)


百年あれば戻る。

二百年あれば、傷跡すら消える。


けれど――


(その百年を、生きない者たちが言うことじゃない)


エルフにとっての百年は、時間ではない。


記憶だ。

積み重なった暮らしであり、

名前を知る命の重みだ。


人間は、自分たちが死んだ後の未来を、

あまりにも簡単に語った。



ある夜、森が燃えた。


人間の開拓団が、魔獣除けのために放った火。


風向きが変わることを、

彼らは想定しなかった。


炎は広がり、

森は焼け、

精霊の流れは乱れ、

獣たちは住処を失った。


抗議するエルフたちに返ってきたのは――


「悪気はなかった」


「想定外だった」


「補償はする」


その言葉のどれ一つ、

森を元には戻さなかった。


焼け落ちた木々も。

途切れた精霊の流れも。

帰らなかった命も。


何ひとつ。


その日から、エルフは

“人間の時間感覚”を信用しなくなった。



魔族との関係も、似ている。


かつて魔族は、森を荒らさなかった。


瘴気の流れを読み、

自然と共存する術を持っていた。


だが人間は彼らを「脅威」と呼び、

理解する前に刃を向けた。


理由は、単純。


「分からないものは、怖い」


ただ、それだけ。


戦争はあっという間に始まり、

終わりの定義を持たないまま続いた。


エルフは、その狭間に立たされた。


人間からは――

「味方でいろ」と求められ。


魔族からは――

「敵ではないだろう」と見られ。


どちらにも、完全には属せない。


(……だから私は)


勇者として、前に出た。


誰かが“正しい”と決めた戦いを、

自分の目で確かめるために。



小枝が折れる音。


意識が現在へ戻る。


エルナが、目を覚ましていた。


静かな視線が、こちらを見上げている。


レイナは木から音もなく降りた。


「眠れなかった?」


エルナは小さく首を振る。


「……考えてた」


短い声。


「正義とは何か。

 立場が違えば、何が正しいのか」


焚き火の残り火を見つめる。


「人間。魔族。エルフ」


「……分からない」


レイナは、少し目を丸くした。


「あなた、人間にしては珍しいわね」


「?」


「自分の種族を、絶対だと思ってない」


エルナはしばらく黙り、やがて言った。


「……剣を振る理由が、消える時がある」


その声は静かで、重かった。


レイナは答えず、弓を撫でる。


木目をなぞる指先は、ゆっくりとしている。


「私たちはね」


静かな声。


「時間を、覚えてしまう種族なの」


エルナが顔を上げる。


「覚える?」


「誰が、どこで、何を失ったか」


レイナは森を見渡す。


「それを、忘れられない」


人間は、忘れる。

魔族は、耐える。

エルフは――抱え続ける。


「だからね」


小さく息をつく。


「簡単に“正義”を名乗れなくなるの」


エルナは何も言わない。


ただ、まっすぐ見つめてくる。


迷いと。

それでも進もうとする意志。


(……やっぱり、似てる)


アレンと。


レイナは、ふっと微笑んだ。


「明日、少し付き合って」


「?」


「森の奥に、境界石があるの」


「境界石?」


「昔、人とエルフが

 “ここまで”って決めた場所」


約束は守られなかった。

境界は踏み越えられた。

時間が、すべてを曖昧にした。


それでも。


「知っておいた方がいい」


レイナは静かに言う。


「この世界が、どうやって歪んだのか」


焚き火が、ぱちりと爆ぜる。


長命の森。

短命の火。


その間で揺れる世界は、

まだ答えを選べずにいる。


――けれど。


選ぼうとする者たちが、ここにいる。


それだけが。


今夜の、救いだった。

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