2.12
風向きが、いい。
矢を放つ前に、レイナは必ずそれを確かめる。
森の匂い。葉の揺れ。遠くの気配。
百年以上を生きた身体に染みついた習慣だった。
見下ろした村は、焼けきってはいない。
だが――無事とも言えなかった。
通りの中央。
武器を手にしたまま倒れている人間の死体。
槍。
剣。
戦った痕跡は、確かにある。
けれど。
子供や老人の姿がない。
人の気配そのものが薄い。
(……逃げられた?
ならいいけど。
でも、変。)
視線を巡らせる。
大きな家屋――
村長か、裕福な家の建物は徹底的に焼かれている。
柱だけが黒く残り、屋根は崩れ落ちていた。
その一方で、小さな家はところどころ無事だった。
畑は荒らされているが壊滅ではない。
井戸も残り、水も使えそうだ。
最低限、
“村が生き延びるための機能”だけが残されている。
偶然じゃない。
戦えない者は、最初から標的にされていない。
(……魔族のやり方じゃない)
壊すなら徹底的に壊す。
殺すなら見せしめに殺す。
それが、レイナの知る“侵略”だった。
だがここには、
恐怖を植えつけるための虐殺が存在しない。
あるのは――
狙いを選んだ、静かな破壊だけ。
レイナは見張り台へ軽やかに登る。
「……なにこれ」
小さく息が漏れた。
「変なの」
◇
足音が二つ。
近づく気配に、弓を構えたまま待つ。
撃たない。
まず観察。
現れたのは、人間の女が二人。
「……ミラ?」
思わず声が弾む。
勇者パーティで共に戦った魔術師。
――そして、もう一人。
(……剣士)
隙のない足運び。
常に周囲を測る視線。
無駄がない。
けれど、鋭すぎる。
刃のような気配。
魔族の気配が森の縁で膨らんだ。
三体。
二人へ迫る。
「ちょ、待って待って!」
考えるより先に身体が動く。
弓を引く。
一射目。足を止める。
二射目。喉を断つ。
三射目。急所。
静寂。
地面へ降り立ち、レイナは顔を上げた。
「ふぅー……よしっ!」
ミラが静かに名を呼ぶ。
「……レイナ」
「ひさしぶりー!」
ぱっと表情が明るくなる。
「全然変わってないじゃん! 元気だった!?
ねえねえ今なにしてるの!?」
駆け寄りながら矢筒が揺れる。
視線が、自然ともう一人へ向く。
(……似てる)
立ち方。
眼の奥。
背負っているものの重さ。
「私はエルナ」
短い名乗り。
レイナは目を丸くした。
「えっ!? もしかしてアレンの妹さん!?」
ぐっと距離を詰める。
「うわほんと!? すごい似てる!
ねえねえ絶対強いでしょ!? 雰囲気がもう“達人”なんだけど!」
エルナは一歩引く。
「……近い」
「あ、ごめん!」
ミラが小さく息をつく。
「相変わらずね、あなたは」
「えへへー」
悪びれず笑った。
◇
夜。
焚き火を囲む三人。
火を見つめたまま、レイナが口を開く。
「最近の魔族、どう思う?」
ミラが穏やかに答える。
「統制が取れているわね。
昔とは明らかに違う」
「でしょでしょ!?」
レイナは勢いよく身を乗り出す。
「村も必要以上に壊さないし!
逃げ道残してるし!
追い方も浅いし!」
エルナが静かに言う。
「不可解」
「そうそれ!」
「無抵抗な人間を殺さない。助かる。
でも変」
ミラがゆっくり頷く。
「ええ。
“侵略”とは違うわね」
火が、ぱちりと爆ぜる。
エルナが視線を落とす。
「魔族が言ってた。
リュナは積極的に侵略してないって」
「証拠は?」
「ない。
でも嘘は言ってなかった」
レイナは首を振る。
「統率されてない魔族もいる。
けどそっちは今はどうでもいいの」
二人が視線を向ける。
「気になるのは――
従ってる側の目的」
静かな声。
「昔はね、ほんと酷かったんだよ。
魔物が通っただけで村が消えた」
火を見つめる。
「あれは誰が見ても侵略だった」
顔を上げる。
「でも今は違う」
小さく息を吸う。
「魔王は、世界を壊したいんじゃない気がする」
エルナの瞳が揺れた。
「……なぜ」
「分かってほしいんじゃないかなって」
少しだけ照れたように笑う。
「リュナって、そういうこと考えそうじゃない?」
◇
エルナが剣を見る。
「……敵なら、斬った方がいい」
短い断定。
ミラが静かに言う。
「焦らなくていいのよ」
「迷いは弱さになる」
「迷いはね、
本当に守りたいものを教えてくれるの」
レイナが二人を見比べる。
そして、ふっと笑った。
「正義ってさ」
少しだけ大人びた声。
「いちばん目的を見失いやすいんだよ」
焚き火の向こうで、エルナの瞳が揺れる。
(……この子)
迷いながらも、前へ進んでいる。
だからこそ。
レイナは勢いよく立ち上がった。
「ま、難しい話はあと!」
ぱっと笑う。
「私は確かめたいだけ!」
胸に手を当てる。
「この戦いが誰のためなのか!」
にっと笑う。
「ちゃんと見てから決めたいの!」
エルナを見る。
「だから一緒に行くね!」
ミラを見る。
「ね、いいでしょ?」
ミラが優しく微笑む。
「ふふ……賑やかになりそうね」
エルナは短く答えた。
「……好きにして」
焚き火が静かに揺れる。
夜は深く。
答えはまだ遠い。
けれど――
新しい風が、確かに吹き始めていた。




