2.8
ヴァルは、冷めた声音で話し出した。
「昔の話をしよう」
一瞬。
エルナの剣が止まる。
その隙を咎めるでもなく、ヴァルはゆっくり一歩近づいた。
「先代の魔王の話だ」
淡々とした声。
「あいつは力はあったが――臆病者だった」
ヴァルの声音は、驚くほど理性的だった。
「人間を攻めず、
魔族を守り、
世界を停滞させた」
わずかに口角が上がる。
「だから俺が、理由を作ってやった」
軽い調子で続ける。
「簡単だ」
ミラの視線が鋭くなる。
「……まさか。あなたがリュナを攫って人へ?」
ヴァルは否定しない。
「そこからは最高だ」
静かな笑み。
「魔王は娘を見つけるために人の村を襲い、他の魔族も感化されて暴れる。
人間も同じだ」
一歩、剣が動く。
「村を焼き、人を殺し、憎しみを育てれば――必死になる」
ミラが歯を噛みしめた。
「最低ね」
「最高効率だ」
即答だった。
「戦争は、感情で起こすものだろう?」
視線が、再びエルナへ向く。
「だが、失敗だ」
わずかな苛立ちが滲む。
「今の魔王もつまらない。
あの子は――父親と同じだった」
静かな沈黙。
「さぁ、どうすれば戦争が起きるかな」
刃が再び交わる。
金属音が森に響く。
「理由がないなら、また作ればいい」
今度は――
完全に押される。
「君は、どうだ?」
ヴァルの声が戦場に落ちる。
「理由のために殺すか」
刃が擦れる。
「それとも――」
一瞬。
剣が止まる。
「理由ごと、壊すか」
エルナの剣を握る手が、わずかに遅れた。
その一瞬。
ヴァル=ネイスの刃が、肩をかすめる。
熱。
次の瞬間、血の感触。
「……っ」
踏みとどまったのは、意地だった。
足が重い。
それでも――
剣だけは裏切らない。
弾く。
流す。
受けて、ずらす。
身体は追いついていないのに、
動きだけが正しい。
「……面白い」
ヴァルが呟く。
剣を交えながら、余裕は崩れない。
「力はない。
だが、技は一流だ」
エルナは答えない。
息が浅い。
一歩引くたび、
地面の感触が、異様なほどはっきり伝わってくる。
――近い。
距離感が、鋭すぎる。
それが、
奪ってきた力の残滓だと、分かってしまう。
「集中しな!」
横からミラの声。
同時に短剣が閃く。
背後を取る動き。
だがヴァルは、振り向きもしない。
肘打ち一つで弾き返す。
「後衛が前に出るとは」
「……驚きもないのね。やられときなさいよ」
ミラは距離を取り直す。
二人がかりでも、押せない。
互角ですらない。
「君たちは、同じだ」
ヴァルの声が続く。
「知ってしまった」
剣戟の隙間。
「真実と、力の味を」
刃が交錯する。
「だから――迷う」
その瞬間。
エルナは見てしまった。
隙。
ほんの一瞬。
剣先が、喉に届く距離。
(……斬れる)
思考より先に、身体が動きかける。
斬れば終わる。
いや――
斬れば、入ってくる。
あの時と同じ。
命の余熱。
感覚の奔流。
研ぎ澄まされていく、自分。
(……また)
心臓が、嫌な音を立てる。
(また、これを……)
剣が、止まった。
「――バカめ」
ヴァルの声。
次の瞬間。
刃が弾かれる。
衝撃。
エルナは後方へ転がる。
「エルナ!」
ミラが駆け寄ろうとする。
だがヴァルが、それを許さない。
「躊躇したな」
責める声ではない。
むしろ――理解している者の声。
「力を得ることが、怖いか」
エルナは立ち上がらない。
剣を、強く握る。
怖いのは、強くなることじゃない。
(……慣れてしまう)
殺して。
奪って。
それを当たり前に使ってしまうこと。
嫌悪と、冷静さが同時にある。
逃げたい自分と、
逃げられない自分。
「君は優しすぎる」
ヴァルが言う。
「だから、選べない」
ミラが歯を食いしばる。
「……黙りなさい」
だが、彼女も分かっている。
今、エルナが一歩踏み出せば――
戦況は変わる。
変わってしまう。
「ミラ……」
エルナがかすれた声で言う。
「私、もし……」
言葉が続かない。
ミラは何も答えない。
ただ、短剣を強く握り直した。
(……見せたくなかった)
この力を。
この先を。
エルナが戻れなくなったときのために。
人類の敵として立ちはだかったときの――切り札として。
だが。
ヴァルが再び踏み込む。
――まだ戻れる。
この力は、殺すためだけじゃない。
今の彼女のために。
ミラは、一歩前に出た。
エルナを、半歩だけ庇う位置。
「……下がって」
静かな声。
拒否を許さない声。
「ミラ……?」
振り返らない。
「今回は、私が選ぶ」
それが何を意味するのか、
エルナにはまだ分からない。
ただ一つだけ確かなのは――
この戦いは、ここから変わる。




