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2.6

村は、思ったよりも普通だった。


柵があり、畑があり、

夕方の空気に、煮炊きの匂いが混じっている。


戦争の気配は、ここにはない。


「……入るわよ」


ミラが外套のフードを深くかぶりながら言った。


エルナは、少し遅れて頷く。


足取りは安定していた。

戦闘の後から、身体は嘘みたいに言うことを聞いている。


魔族を倒した後に流れ込んできた“力”。


筋肉の張り。

神経の冴え。

視界の解像度。


高揚は、もうない。

だが、消えてもいない。


――それが、気持ち悪い。


村の入り口で、老人に止められた。


「旅の方かね?」


「ええ。少し休ませてほしい」


ミラが慣れた調子で答える。


老人は周囲を気にしながら、声を落とした。


「魔族が出るって話、聞いたか?」


「この辺り、斥候みたいなのが出てな……」


エルナの指先が、わずかに動く。


――さっき倒した二体。


「もういません」


思わず、口に出ていた。


老人が目を見開く。


「……何だって?」


「通り道に、いましたけど。

もう、いないです」


嘘ではない。


だが、真実でもない。


老人は何か言いたそうにしたが、

結局、深くは聞かなかった。


「……助かったよ。

宿は空いてる。使ってくれ」



宿の部屋は、小さかった。


木の床。

簡素な寝台。


窓の外では、子どもたちが走り回っている。


エルナは椅子に腰掛け、剣を壁に立てかけた。


まだ、剣が軽い。


身体に残る“余熱”。


(……消えない)


殺した直後の昂りではない。


もっと、持続的なもの。


まるで――

自分の一部になったみたいに。


「気分は?」


ミラが向かいに座りながら聞いた。


「……普通です」


「それ、信用していい?」


エルナは少し考えてから答えた。


「普通じゃないことを、

ちゃんと分かってます」


ミラは何も言わない。


それが肯定なのか、保留なのかは分からなかった。



夕食時、宿の食堂がざわついた。


「子どもがいない」


「どこ探しても、見つからないんだ」


村人たちが顔を寄せ合っている。


「森に行ったんじゃ……」


「この時間に?

魔族が出るって話もあるのに?」


エルナは黙って聞いていた。


胸の奥で、

何かが静かに反応している。


「……私、探します」


ミラが口を開くより早く、言葉が出た。


ミラがエルナを見る。


「大丈夫」


短く言う。


エルナは、そのまま立ち上がった。



森に入ると、空気が変わった。


湿り気。

冷たい土の匂い。

鳥や虫の声。


牢に入れられる前から、

彼女の五感は人並みを超えていた。


――奪ってしまった、誰かのもの。


(……殺したことは、忘れない)


だが。


その力を、ためらうことはない。


目を閉じても、耳を塞いでも、

身体が勝手に拾ってしまう情報。


それを拒む術を、エルナは持っていなかった。


歩幅を調整する。

音を殺す。

呼吸を浅くする。


――いる。


沢の方向。


不均一な呼吸。


魔族じゃない。


(……子ども)


判断は、考えるより早かった。


倒木の向こうで、少年が座り込んでいた。


足を捻ったらしい。


「立てる?」


少年は首を振る。


魔族の気配はない。

それでも、警戒は解かない。


子どもを支え、来た道を戻る。


森は暗い。


だが、迷うことはなかった。


(……見えすぎる)


地面の凹凸。

踏み荒らされた草。

風の流れ。


全部、分かる。


それが自分の“普通”になっていることが、

どうしようもなく気持ち悪かった。


戻る途中、子どもがぽつりと呟く。


「おねえちゃん、すごい」


エルナは少し躊躇ってから答えた。


「……普通だよ」


まるで、自分に言い聞かせるみたいに。



村に戻ると、拍手と安堵の声が迎えた。


感謝。

礼。

安い酒の匂い。


エルナは少し距離を取り、それを眺めていた。


ミラが横に並ぶ。


「五感が鋭いのね」


エルナは頷いた。


「便利すぎる。

だから、嫌です」


ミラはしばらく黙ってから言う。


「それでも、必要になる」


「……分かってます」


分かっているからこそ、

剣を取った。


窓の外で、子どもたちの笑い声がする。


エルナはそれを聞きながら、目を閉じた。


――奪わなくても、守れるように。


この力は、守るために使う。


その決意を、忘れないように。


余韻は、まだ消えない。


だが、

それに飲み込まれるつもりはなかった。


真実に辿り着く、その日までは。

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