2.4
夜は、思ったよりも早く訪れた。
森の奥。
街道から少し外れた場所で、小さな焚き火が揺れている。
エルナとミラは、火を挟んで向かい合って座っていた。
炎の揺らぎが、エルナの顔を断続的に照らす。
ミラは無言で水筒を差し出した。
「……ありがとう」
エルナがぽつりと言う。
ミラは肩をすくめる。
「私は、あなたを信用していないけど――
あなたがいてくれて助かってるわ」
エルナは水筒を下ろし、真正面から彼女を見た。
「正直で助かる」
「でしょう?」
火が小さく爆ぜた。
しばらく、音だけが間に落ちる。
「……ねえ、エルナ」
ミラは焚き火を見つめたまま、問いかけた。
「あなたは、何を目的に旅をするつもり?」
エルナはすぐには答えなかった。
胸の奥にあるものを、言葉にするのは簡単じゃない。
やがて、低く言う。
「……真実」
ミラの視線が、わずかに動く。
「兄がどう死んだのか。
そして――本当に、死んだのか」
焚き火の光が揺れた。
ミラの指が、ほんのわずか動く。
「もし、生きていたら?」
「会いに行く」
即答だった。
「そして……聞く」
エルナの声は静かだ。
「どうして、私を置いていったのか」
怒りではない。
もっと深い、置き去りにされた傷。
ミラは目を伏せた。
「私は、仕事だから魔王を殺す」
あまりにも淡々とした声だった。
「協会に戻るための、唯一の手段だから」
エルナが聞く。
「……戻りたいの?」
ミラは一瞬だけ言葉に詰まった。
それから、軽く肩をすくめる。
「正確には、“戻らないと生きられない”だけ」
火に照らされた彼女の顔は柔らかい。
だが、目の奥は冷えていた。
「協会を抜けた人間は、どこにも居場所がないの。
逃げ続けるか、死ぬか、功績を持って戻るか」
「……都合のいい組織ね」
エルナの言葉に、ミラは苦笑した。
「ええ。だから、あなたの言葉も半分しか信じてない」
「同じ」
短い返答。
二人の間に、奇妙な共通認識が生まれる。
互いに利用している。
それを理解した上で、同行している。
「でもね」
ミラは、少しだけ声を落とした。
「あの時……魔王城で見た光景は、本物だったと思ってる」
エルナは何も言わず、聞いている。
「血の量。倒れ方。呼吸の有無。
生存の可能性は、ほぼゼロだった」
「……でも」
「ええ。でも」
ミラは焚き火の炎をじっと見つめた。
「もし、あの場に強力な幻覚使いがいたなら――」
炎が揺れる。
「“死んだと確信する光景”を見せることも、不可能じゃない」
エルナの拳が、無意識に握られていた。
兄の顔が浮かぶ。
冷静で。
優しくて。
――嘘が、上手だった人。
「……兄さん」
声が、わずかに掠れた。
ミラはそれ以上踏み込まない。
今はまだ、確信を語る段階ではない。
「だから、私はあなたと行く」
静かな声で言った。
「魔王を殺すためでもある。
でもそれ以上に――何が起きたのかを知るために」
エルナはしばらく黙っていた。
やがて、焚き火に小枝を投げる。
火が、少しだけ強くなった。
「……いいよ」
低い声。
「目的が違っても、進む方向が同じなら」
ミラの口元が、わずかに上がる。
「利害一致、というやつね」
「信頼はしない」
「ええ。私も」
二人は同時に立ち上がった。
夜の森は深く、静かだ。
遠くで、獣の鳴き声が響く。
エルナは闇の向こうを見つめた。
兄が命を落とした場所。
そして、世界が嘘をついた場所。
そこへ、今度は自分が向かう。
――英雄でも、勇者でもない。
ただ。
真実を暴くための、旅人として。
焚き火を消し、二人は夜の中へ歩き出した。
まだ誰も知らない。
この旅が――
やがて、世界そのものを揺るがすことになると。




