道筋・7
セイとレイはその日の夜、ノマライト城の一室にいた。
「――結局、リオウ様のことしか話さなかったね。僕ら」
長椅子で寛ぎながら、レイが言った。
グラエルにも宣言した通り、今日行った演説はリオウの話に終始していた。演説なんて名ばかりの、思い出話。
けれどそれで良かったのだと思う。2人は世界平和だとかそんなことはまったく考えておらず、ただただリオウのためにひたすら働いていただけに過ぎない。だから、もし本当に讃えるべき人がいるのだとすれば、それはきっと今まで2人に協力してくれた人々と、2人を動かす原動力となったリオウなのだろう。
それに、リオウの話を皆も喜んでくれた。リオウが魔竜討伐を果たしてから十数年、彼女の存在は忘れさられたものだと思っていた。けれど、沸き立つ人々を目にして2人は胸を熱くした。
――嗚呼、彼らの心にはまだ彼女がいる。そして、これからはセイとレイもそのそばに。
コト、と音を立てて侍官がテーブルにグラスを置く。その中を満たすのは、葡萄酒。
2人は礼を言ってから、グラスをそれぞれ手に取った。
視線が、交錯する。
やがて、2人はどちらからともなく笑みを交わし、グラスを掲げた。
「今日が良き日であったことに」
「明日も良き日であるように」
「乾杯」
2つの声をぴたりと重ね合わせて、セイとレイはグラスに口を付けて中身を呷った。
――――それが、2人の最後の記憶。
+++++
腕時計の両針が、もうすぐ真上で重なろうとしている。
立川静嶺は、白い息を吐いてコートのポケットに手を戻し、なんとはなしに空を見上げた。
――それなりに都会であるこの辺りでは満天の星空など期待できるわけもなく、見上げた先には果てしない濃紺が広がるばかり。その中で唯一輝く月は、静嶺にはとても寂しそうに思えた。
……そんな風に思うのは、静嶺が今、満たされているからだろうか。
と、その時、
「次どうするー?」
「まだ行くんスか」
「当然!りおーちゃんも行くよね!」
「あ、私は……」
「なに?行かないの」
店の扉が開き、中から数人の男女が現れる。車に寄りかかっていた静嶺は、その中に待ち人を見つけて声を上げた。
「理央さ――理央さん!」
しかし、いつもの呼び方でうっかり呼びそうになり慌てて言い直した。
静嶺の声に反応して、店から出てきた男女がこちらを向く。その中で一際輝いている(ように静嶺には見える)彼女は、静嶺を見てぱちりと目を瞬いた。
「静嶺、くん」
「――あれー、りおーちゃんのイケメン彼氏じゃん」
「ちがっ…彼氏じゃなくてただのお隣さんです」
「はいはい、隣のイケメンこと彼氏ね」
「だから――」
けれど、集団の中で一際声が大きい女性に彼女の視線を奪われてしまう。確かあれは、理央の話にもよく出てくる大学の先輩でサークルの部長の――吉田、という名前だったか。
その吉田に向かって、少々ムキになりつつ静嶺が彼氏ではないことを説明する理央に、正直静嶺の心は複雑だった。
再会してからずっと理央には自分の気持ちを伝えているのに、彼女はイマイチ信じてくれない。いや、それが恋情であるのか疑っている、と言った方が正しいのか。
――まあ、こうしてそばにいることを許してくれる今は、『お隣さん』でもまだ構わないけれど。
そんなことを考えながら待っていると、話が終わったらしい理央がこちらへと駆け寄ってくる。
「静嶺君、待ってたの?」
「はい」
「……今日飲み会ってこと、教えたっけ」
「お母様からメールをいただきました」
そう答えると、理央はなんともいえない顔になった。
因みに『お母様』とは理央の母のことである。理央が友人との付き合いや用事で遅くなる場合、静嶺のところに理央の母経由で連絡が来るのだ。
「……だからって毎回迎えに来なくたって……」
「迷惑ですか?」
申し訳なさそうに目を伏せた理央にそう尋ねると、彼女はうっと言葉に詰まった。
「迷惑、ではないけど……そっちこそ、面倒じゃない?」
「いいえ、全く」
にっこりと笑って首を横に振る。
「僕は、一秒でも長く理央様のそばにいたいので」
「……――あ、あの、車の中入らない?寒いでしょ」
いつも気にしている呼び方を咎めるのも忘れた様子で、理央は静嶺からパッと顔をそらした。さらりて揺れた黒髪の隙間からのぞく耳が赤いのは、寒さのせいか、それとも――
「……そうですね、入りましょうか」
苦笑してから、静嶺は車のドアを開いて理央を車の中へと誘った。
――今から27年前、彼らはこの世に生を受けた。『セイ』と『レイ』ではなく、『立川静嶺』という存在として。
「なんか、まだ変な感じがするんだよね」
助手席に座った理央のシートベルトを締めてから、自分の分のシートベルトを確認していた静嶺は、理央が放った言葉に顔を上げた。
「変……?」
「なんかこう……静嶺君が車の運転してたり、携帯いじってたりするの見てると……うん、なんか変」
「はあ」
静嶺は訳が解らないままに相槌を打った。理央自身も良く解っていないようで、首を傾げて迷うように言葉を続ける。
「多分、なんだけど……私の中で静嶺君ってやっぱりセイとレイなんだと思う。
だから、こっちの世界のものを使ったりしてるのを見ると、違和感?があるというか」
「……ああ、そういうことですか」
――こちらの世界の文明は、セイとレイの生きた世界とは比べものにならないほど進んでいる。既にこの世界で『静嶺』として27年も生きた今では車も携帯電話も当たり前に使っているが、理央からしてみれば静嶺はつい最近現れたばかりで。呼び方こそ「静嶺君」だが、まだ『セイ』と『レイ』という認識が強いようだ。
だから多分、静嶺がこちらの世界で普通にやっているのを見ると、妙に見えるのだろう。
「――っていうか、馴染んでるよね、静嶺君」
「そうですか?」
「そうだよ。私なんて、こっちに戻ってからしばらくは凄い大変だったのに」
ぶちぶちと愚痴らしきものを吐く理央に、静嶺はふっと笑みを漏らした。
「そりゃまあ、理央様より7年多く生きてますから」
理央は現在20歳。そして静嶺は27才。理央を追いかけてきたはずなのに、何故か理央が産まれるより7年も前に転生させられたことは未だに不可思議だが、これも多分なんらかの意味を含んでいるのだろう。……多分。
(まあ、単なる嫌がらせという可能性も否定できないが)
白いのと比べて随分と性格が悪そうな、こちらの世界の神だという黒いのは、セイとレイを転生させるにあたって幾つかの制約をつけた。
その制約のせいで理央が異世界で勇者をやって帰ってきたあとも、静嶺はすぐに理央に会いに行けなかったのだが――――あれも、今となってはただの嫌がらせだったような気がする。
「…………静嶺君は、さ」
静嶺が黒いのの真意について考えていると、理央がぽつんと話し出す。
見れば、理央はどこか浮かない顔で自身の膝に目を落としていた。
「静嶺君は――自分のこと、全然話してくれないよね。
向こうで私がいなくなったあとどうしてたのか、とか。こっちで産まれてからどんな風に過ごしてきたのか、とか」
その言葉に、静嶺もそっと視線を落とす。
理央が、ずっと静嶺の過去を気にしているのはなんとなく感じていた。けれど、静嶺は何も話さなかった。
セイとレイが歩んだ道筋のことも、静嶺として産まれる前に神に与えられた制約のことも、何も。
――静嶺は、ハンドルに置いていた手を、理央へとのばす。
「……もし、」
柔らかそうな頬に手を滑らせ、理央と目を合わせる。
「もし、全て話せば貴女は僕の想いに応えてくれますか?」
その、気丈でありながら今にも泣き出してしまいそうな目をまっすぐに見つめて、静嶺は問うた。
「……分からない」
ややあってから、理央が首を小さく横に振る。そして、そのあとにまた静嶺と視線を合わせて、答えた。
「でも、こんな風に何も話さずに好きだっていわれても……信用、できない」
「……そうですか」
それは、決して色良い答えではないはずなのに静嶺は心が喜ぶのを確かに感じた。多分、それが一番理央らしい答えだったからだろう。
――勇者でなくなっても理央は変わらず理央で、そして静嶺は、そんな彼女が好きなのだ。
助手席へと乗り出していた上半身を元の位置に戻して、静嶺は前を見つめる。
……きっと、全て話せば理央は静嶺の想いに応えてくれるだろう。それがたとえ負い目を感じた結果だとしても、彼女が手にはいるならそれで別にいいじゃないかとも思う。
だが――――
(……欲張りになったな、"僕ら"も)
負い目も損得も関係なしに彼女が静嶺を好きだと言ってくれたなら……と夢想してしまう自分がいる。
「……静嶺君?」
窺うような声音で呼びかけられ、静嶺は再び理央をその目に映した。――戸惑うように揺れた理央の瞳は、どこか甘さを含んでいるようにも思えて。
ずっと、この人のそばにいたい。愛し、愛されて――全てを話すのは、それからで。
きっと、決して遠くない未来にその時はやってくるだろうから。
「道筋」はこれにて終了です。
双子視点に意外と苦戦させられました。今思えば理央はすごく書きやすかったんだな~と実感。
まあ、とりあえず理央とのその後が書けて良かった。まだくっついてないんですけれども(笑)
以降も不定期ですがいくつか番外編を投稿する予定なので、その時はまたお会いできたら嬉しいです。
ではでは、ここまで読んで下さりありがとうございました。